2004年のJ1昇格してから、初のJ2降格が決定した。写真:徳原隆元

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[J1リーグ32節]新潟1-0甲府/10月29日/デンカS
 
 新潟がJ2に降格した。32節の甲府戦で1-0の勝利を収めたものの、他会場で広島が神戸を下して勝点3を積み上げたため、残り2試合での巻き返しは不可能に。2004年の昇格以来、14年間守ってきたJ1の定位置を失ってしまった。
 
 主力流出による戦力低下が、降格の主因になったのは誰の目にも明らかだろう。昨季まで攻守の軸を担っていたレオ・シルバやラファエル・シルバのほか、舞行龍ジェームズ、小林裕紀ら主力の多くを放出。代わりに矢野貴章や富澤清太郎など19名の新戦力を迎え入れたが、その穴を埋めるには至らなかった。
 
 また、シーズン途中には、今季加入のジャン・パトリックがフィットせずに契約解除に至った。さらに、前半戦に司令塔として活躍していたチアゴ・ガリャルドも9月の練習中に規律違反を犯し、試合メンバーから外れると、それから程なくして、家庭の事情で帰国(現在も再来日は未定)した。以前まで新潟のストロングポイントでもあった優良助っ人による活躍が、今季は見込めなかったのである。
 
 こうした戦力の低下に加え、大幅に血を入れ替えて大所帯としたことが、今季の戦いを一層難しくした。
 
 開幕時のメンバーは34人。J3にU-23チームを持つC大阪(41人)、FC東京(38人)に次いで、リーグで3番目に多い数字だ。J2降格が決まった甲府戦の後、神田勝夫強化部長は「各ポジションにベテランと若手を揃えて、競争を促すのが狙いだった」と、大量獲得の意図を語っている。
 
 しかし、その思惑どおりに事は運ばなかった。大所帯のうえに、その多くが新戦力とあって、今季から指揮を執った三浦文丈監督の戦術が浸透せず。開幕10試合で1勝2分7敗の17位に低迷すると、クラブ史上最短となるわずか10試合で三浦監督が退任し、呂比須ワグナー監督に指揮権が託された。
 
 呂比須監督の初采配となった12節の札幌戦(11節は片渕浩一郎コーチが代理で指揮)に1-0で勝利し、調子が上向く兆しを見せたのも束の間、その後はリーグ戦18試合勝ち星なし。夏場にDF大武峻、MF小川佳純、磯村亮太、FW富山貴光、ドウグラス・タンキと、GK以外の各ポジションを補強するも、効果はなかなか表れず、札幌戦以降は約5か月間勝利から見放された。
 
 リーグ終盤は29節のG大阪戦から4試合無敗と、脅威の粘りを見せるも、時すでに遅し。これまでに失った勝点が、あまりに大きすぎた。
「1度の練習ですべてを教えるのは当然無理。メンバーを試しながらチームを作るのに、時間がかかった。タンキもホニも、日本は長くないので、うまくコミュニケーションがとれないこともあった」
 
 呂比須監督は甲府戦後の会見で、チーム作りについてこう反省を述べている。
 
 神田強化部長が「メンバー構成を多くしたのがJ2降格の原因ではない」と言うように当然メンバーの増幅がすべての原因ではないが、大所帯がゆえの連帯感の欠如といったデメリットは少なからず存在したのだろう。
 
 事実、中野幸夫取締役社長は「サッカーは監督、コーチ、選手、それをサポートするフロント、地域のみなさんの総合力で戦うスポーツ。そういった意味で今季は、まとまりを欠いてしまっていた。普通なら修正できる小さいことも、自信をなくしていたこともあり、困難になってしまった」と話している。
 
 J2降格が決まった翌19日には、神田強化部長と呂比須監督の退任が発表された。チームをリセットし、一から立て直そうという意思の表われだ。
 
 とはいえ、シーズン終盤戦、追い込まれてからの驚異的な粘り強さは見逃してはいけない。チームが一丸となり、戦術の整理が進めば、大きな力を発揮できることを証明したのも事実なのだ。まずは、新潟本来の団結力や連帯感を取り戻す。再建の道は、そこから始まるのかもしれない。
 
取材・文:多田哲平(サッカーダイジェストweb)