かつて、その場に男性しかいない社会では成り立っていた会話かもしれませんが…(写真は本文とは関係ありません。撮影:風間仁一郎)

女性の育児や仕事など、女性の問題ばかりが取り上げられるこのご時世。
しかし、男だって「男ならでは」の問題を抱えて生きづらさを感じています。男が悩むのは“女々しい”!? そんなことはありません。男性学研究の精鋭、田中俊之先生がお答えします。
この連載は、普段は男性からのご相談にお答えしていますが、今回は女性からのご相談です。

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今回の相談
まずは落ち着いてから質問いたします。
私は女性ですので、男性(一部の)に対する疑問です。
男性と職場の人間関係についての話をしているとき、同僚の若い男性に関する話題になると「あいつは童貞だから仕事ができない」と評する場面に遭うことがあります。性経験の有無で他人を評価することが、女性ではさほどありませんので、このような場面に遭遇するたび、違和感を覚えます。
こういった評価を下しがちな男性は30代後半からのように思えます。また、私個人の主観によれば特に仕事において有能とも思えません。
一方で、評価される側の「童貞とおぼしき若い男性」も確かに「ザ・有能」というわけでもありません。とはいえ悪態をつかれるほど仕事において難点を持っているわけでもなく……
むしろ両者は似たもの同士のようにも思えます。
男性に見られがちな、性経験と自身の能力を結び付けがちな志向の正体はいったいなんなのでしょう?

これは「全部」ではなく「一部」です


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まずは落ち着いてくださり、本当にありがとうございます。

しっかり、「男性(一部の)」と書いてくださるところに、相談者さんの丁寧さを感じました。男女をめぐる議論は炎上しがちですが、一部の女性/男性にしか当てはまらないことを、あたかもすべての女性/男性の問題であるかのように語ることが原因の1つです。

たとえば、痴漢は明らかに一部の男性の犯罪行為であり、すべての男性が容疑者ではありません。冷静な視点を持つならば、痴漢の男性は、被害者になる女性と加害者でもないのに疑われる男性にとって、共通の「敵」であることが明らかになります。痴漢の被害をなくすために、男女は手を取り合って協力しなければならないのです。

本題に入ると、確かに一部の男性には、性的な経験を自分の能力に結び付けて語る傾向が見られます。そして、一部の女性に同じような傾向が見られるのも事実です。

さて、男性の場合、経験人数だけではなく、二股や不倫をしている、あるいは風俗に行ったなどのエピソードも定番です。性的な経験の豊富さがアピールのしどころであり、この文脈で童貞はバカにされているわけです。

こうした価値観を持つ男性にとって、性的な経験がないことは「問題」であり、解決する必要があります。「なんだお前は童貞なのか。じゃあボーナスが出たら風俗に連れていってやるよ」。もし、このような会話があるとすれば、それは先輩社員の後輩社員に対する「親切心」に基づいていると考えられます。

放置されている「性の二重基準」

多くの女性から見れば、ただ「恥ずかしいだけのエピソード」が、どうして「自慢話」になるのでしょうか。「性の二重基準」という視点から見ることで、この問題を適切に理解することができます。

性的な経験について、「男性は奔放であってもよいが、女性は貞淑でなければならない」というダブルスタンダードが存在しています。これが性の二重基準です。

有名人が不倫をした際に、女性側への罰が重く、男性側にそれほどダメージがないという事態がわかりやすい例だといえます。職場での男女平等の達成が大きな社会的課題として理解されているようでいながら、こうしたあからさまな女性差別が放置されているのです。

先ほど性の二重基準の定義を紹介しましたが、まだ十分ではありません。男性が奔放で、女性が貞淑ならば、男性が自由に性的な関係を結ぶ女性はいなくなってしまうからです。性の二重基準は「妻・恋人にふさわしい女性」と「妻・恋人にふさわしくない女性」を区別することで成立しています。そして、一部の男性は、「妻・恋人にふさわしくない女性」をモノ化して、まるで時計や車のようにコレクションします。

「素人童貞」という言葉があるように、「妻・恋人にふさわしい女性」を確保したうえで「妻・恋人にふさわしくない女性」との関係を持たなければ、一部の男性の仲間内ではバカにされます。その意味では、性的な経験の豊富さに価値を置くような男性の場合、「妻・恋人にふさわしい女性」さえもモノ化しているといえます。

以上のことから、性的な経験の量だけではなくさまざまなバリエーションのコレクションを所有していることが、コレクターとしての「能力の証明」であり、「自慢の種」になるのです。このタイプの男性は、童貞だけではなく、独身男性も見下し、自分のほうが有能だと考えている確率が高いと考えられます。

せっかくなのでご紹介しておきますが、性的な経験を自分の能力を証明するための糧としてきた男性の末路は、実に哀れなものです。2010年代に中高年男性を対象にした週刊誌で「死ぬまでセックス」特集が頻繁に組まれましたが、性的な能力が減退していく中でも、コレクションを増やし続けなければならないので、必然的に精力剤に頼ることになります。最近はスポーツ新聞だけではなく、一般の新聞でもこうした商品の広告を見掛けるようになりましたね。広告費は高額のはずですから、よほど売れるのでしょう。

しかし、脂ぎった顔でまむしドリンクを握りしめ、精力を維持する秘訣を語るおじさんに、魅力を感じる女性がいると思っているのなら、正気のさたではありません。最終的には、女性からは求められず、同性から見てもおぞましい、しかし、本人は自信満々の悲しいモンスターが誕生します。

性的な経験と能力を結び付ける一部の男性の思考は、「二重の悲劇」につながります。まず、女性を人ではなくモノとして見るような男性のせいで、一緒に暮らしたり、働いたりする女性は被害を受けます。加えて、客観的な視点を失うことで、男性にもモンスターに成り果てるという被害をもたらします。つまり、男性が加害者となって、女性に被害をもたらす悲劇と、男性が加害者となって男性自身に被害をもたらす悲劇が、そこにはあります。

職場はもう、男性だけの閉じた空間ではなくなった

今回のご相談で興味深いのは、相談者さんからは「童貞とおぼしき若い男性」と彼を批判する中年男性が、仕事上の能力に関して「両者は似たもの同士」に見える点です。

性的な経験の豊富さを理由に、俺とあいつは違うと主張する男性は、その場に男性しかいない状況では劣等感を抱かせて、「有能さ」をアピールすることができました。しかし、職場が男性だけの閉じた空間であった時代に形成された「奇妙な習慣」は、女性の職場進出が進むことで、外からの視線にさらされることになります。同じ穴のムジナ同士で交わされていた「自慢話」は、やがて「恥ずかしいエピソード」に塗り替えられていくはずです。

女性が無力な存在として物語に描かれていた時代には、お姫様は王子様からのキスで目を覚ましていました。女性も男性も対等な立場で働く時代に、眠りから覚めなければならないのは誰でしょうか。

目を開かせるための手段については真剣に考えなくてはなりませんが、「二重の悲劇」からの解放は、女性に加えて、性的な経験に固執する男性にとっても福音になります。女性からの疑問を「攻撃」として理解するのではなく、建設的な「意見」として聞く耳を持つことが解放への第一歩です。お互いのためになることですから、相談者さんは遠慮することなく、ぜひ職場で男性たちに疑問を投げかけてあげてください。