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text:Jim Holder(ジム・ホルダー)

もくじ

ー 「自動車産業で最も力のある英国人」
ー アイデンティティが築かれるまで
ー リスクの高さ=イノベーション
ー ロバートソンが描くクルマの未来
ー イアン・ロバートソンとの一問一答
ー イアン・ロバートソンが愛したクルマ

「自動車産業で最も力のある英国人」

BMWで職位の最も高い英国人、イアン・ロバートソンによると、自動車産業で大きな仕事を行う秘訣は失職を恐れすぎないことだそうだ。

自動車産業での38年間にローバー、ランドローバー、ロールス・ロイス、ミニそしてBMWで様々な上級職を務めてきたことがその証だ。

しかし1978年に新卒で入社して以来、1度も会社を辞めたことはない。彼が会社を変えたのではなく、会社のほうが変わったのだ。

彼の簡単な経歴は以下のとおり。

1979年:ウェールズ大学(カーディフ)海洋学科 卒業
1979年:英国ローバーグループ 試用員入社
1988-90年:ローバーグループ・ドリュース・レーン工場 工場長
1990-91年:ローバーグループ・パワートレイン工場長
1991-94年:ローバーグループ 購買部長
1994-99年:ランドローバー・ビーグル 専務取締役
1999-05年:BMW南アフリカ 専務取締役
2005-08年:ロールス・ルイス・モーター・カーズ 社長兼CEO
2008-12年:BMW AGセールス&マーケティング担当上級副社長、ロールス・ルイス・モーター・カーズ社長兼務
2012-2017年:BMW AG上級副社長

変わった会社で与えられた新たな機会に合わせて彼はキャリアを積み重ねてきた。そして来年、BMWのボードメンバーを引退する。

ひとは彼のことを「グローバルな自動車産業において最も力のある英国人」と呼び、同僚は「立派で自分に厳しくいつも勤勉でフェアな奴」と言う。

そして自分自身は「いつも忙しく、せっかちで楽天的。十分な情報に基づいた決断を楽しむような男」と思っているが、そんな役から降板するのだ。

誰が見ても彼の人生はまったく旅のようだ。

アイデンティティが築かれるまで

彼は、最初のクルマ、シンガー・シャモアのエンジンをリビルトするようなクルマ好きのティーンエイジャーとしてシロップシャーのオスウェストリーで生まれ育った。

一家で初めての大学生となり(海洋学を学んだ)、グローバルな自動車産業のトップに立つまで。

仕事への情熱は日々15時間以上の過酷な勤務で証明されているが、まだ枯れていませんよと彼は言う。

「わたしはいつも部下たちに言うんです。『クルマがトランスポーターに乗せられ、われわれの給料を払ってくださるお客様のもとにに配送されるとき、そのクルマに興奮と情熱を感じなけばならない』とね」ロバートソンは言う。

「自動車産業はタフで複雑な働き場所です。しかしわたしはクルマを愛しているし、クルマが日々良くなっていくのを見たいという欲求に突き動かされているんです」

「大学を卒業した時、クウェートのオイルリグで働く話もあったんです。給料もいいし、税金もかからない。6週働いて2週休むという勤務です。でもわたしはクルマが好きでした。なので自動車産業に就職したんです」

彼は1970年代後半に英国の自動車産業に奉職するが、当時、そんなひとは多くなかった。自動車生産は1972年にピークを過ぎており、社会不安は暴動の起きる寸前だった。

しかしロバートソンは、内部の権力闘争と日本のライバル会社の欧州設立による混乱を楽しんだ。混乱への愛着は彼のキャリアのもうひとつの特徴だ。

「英国にも誇るべきクルマがありました。わたしはトライアンフTR7とローバーSD1、それにスピットファイアも持っていました。運転が簡単なので好きだったんです。あと、驚かれるかもしれませんが、アレグロ(ブリティッシュ・レイランド)、マキシ(オースチン)などもね」

「ローバーに就職したとき、マイケル・エドワーズがトップで、本当に大刷新の最中でした。そう、会社には多くの因習や古臭い考えが充満していましたし、この体たらくはいったい誰のせいなんだと皆言い合っていました。しかしそれでも日常の業務は続いていたんです。それが好きでしたねぇ」

リスクの高さ=イノベーション

混乱はしばしば、新たな競争相手の出現や新しいオーナーの登場という形でやってくるが、ロバートソンはそんな機会を笑顔でしっかりと捕らえるようになった。ご存知のように笑顔は幸せを意味する。

「わたしは楽観主義者なんです。あなたもマーケティングをやってみる必要がありますね」と彼は笑顔で言う。

「本来、クルマの組み立てはとても複雑で大変なものです。でもその複雑性こそが大きな競争を育て、莫大な投資を要求するのです。とてもリスクの高い産業ですが、でも裏を返せば、毎日イノベーションの最先端にいるわけです。われわれもそこから利益を得るし、社会もそこから利益を得る。とてもエキサイティングです」

競争を楽しみ、機会をしっかりと捕まえるロバートソンは、同時に、自分のことをしきたりや因習を破るのが好きな ―控えめに言うと、感情や慣習ではなくロジックで物事を決めていくのが好きな― 男だと思っている。

ランドローバーをいち早くBMWの傘下に編入し、BMWの南アフリカ工場を信じがたい品質レベルに引き上げ、CEOとしてロールス・ルイスの名声と新生ファントム以降のラインアップを再構築し、15,000人以上のチームを指揮して売り上げ記録を何度も書き換え続けているのは、こんな男なのだ。

「必要だった決断のいくつかは、大きなものでした。しかし直感を信じ、最悪でも職を失うだけだということが理解できれば、肩の荷も少しは軽くなるというものです」と彼は言う。

「始まったばかりのころ、ロールス・ロイス・ゴーストを一例に、社内には別の方向に進むべきだと強く主張するひとたちもいました。しかしわたしには開発チームの才能がわかっていたし、その判断を信頼しました」

引退間際になっても未来を熱く語るロバートソンは、電動化、コネクティビティ、そして自動運転は100年に1度の変革だという。

ロバートソンが描くクルマの未来

「多くは安全性という尺度、特に原動機という金属の塊を前提として事故の際にどのようにキャビンを保護するか、という視点で説明できます」

「われわれはそんな金属の塊が必要ないというところまで来ています。120年間も繰り返しクルマを設計してきたわけですが、今ようやく、大きな変革が起ころうとしているのです」

「デジタル化によりわれわれと顧客との関係がどう変わるのか、というのも大きな問題です。われわれは何度もその絵を描こうとしていますが、まだ完成していません」

「クルマの所有は共有に変わるのか? おそらく特定の場所では。電動化と自動運転化は単なる機能ではない。デジタル化を通して、もっと大きなものを作り出すと思うのです」

で、お次は何だろう。

ロバートソンは黙ってはぐらかすが、彼はBMWのために仕事を続けるだろう。英国のEU離脱前後の混乱期に何とか英国の自動車産業を支援したいと彼は熱っぽく語る。

詳細はこれからだが、われわれのインタビューの翌日、彼はテレサ・メイ首相およびグレッグ・クラーク英ビジネス・エネルギー産業戦略相との会合に出席する。

おそらく、彼は活躍の場を広げ熱い信念を持って英国の産業政策を鍛え上げていくだろう。まだ隠居するつもりはないらしい。結局、彼には年を取って仕事を変えることにためらいはないのだ。

「チャンスを逃すつもりはありませんよ。他にも計画があるのですから」と彼は言う。

「いつかは60を過ぎるといつも意識していました。ですから戸惑いはありません。ええ、ワクワクするようなことがたくさん起こりますよ。来年も再来年も、ずっとね。面白そうなことがあれば、どんどんやっていくつもりです

イアン・ロバートソンとの一問一答

自動車産業を離れようと思ったことは

「ちょっと苦しい時期に他の会社から誘われました。なのでイエス。でも、今の上司とちょっと雑談したときに、これからやってくる仕事にワクワクして、それで辞めるのを止めたわけです」

BMWの不得意なところ

「成功を祝うこと。われわれはみな頑固で不屈です。決して満足しません。われわれは『よくやったね』と言うのが苦手です。パーティーもお祝いもなしです。むしろ、何が悪かったかを聞くんですよ」

一歩先んじていると思うところ

「可能ならいつも部下と電話連絡しています。同僚はよく怒るんですよ、わたしが彼らより早く問題を知っているって。どうしてかって? 問題を見つけた社員がまずわたしに相談の電話をかけてくるからですよ」

製造したクルマをテストする

「BMWのボードメンバーはクルマをテストします。販売やマーケティング担当ならもっとドライブするでしょうね。クルマを売っているのなら、それが好きなほうがいい。仕事のこういう面も好きだったんですよ」

ロバートソンの考える「責任」とは

「何かに押しつぶされそうになって、眠れなかったことはありません。でも部下が16,500人もいれば、責任は精神を集中させますね。圧迫されるのではなく、駆り立てられるという感じです」

自動車産業について思うこと

「はつらつとした精神の持ち主が働きたがる場所です。非常にダイナミックでエキサイティングで複雑でチャレンジングだけれど、働きがいのある産業です」

ダイソンを辞めたこと

彼らの電気自動車計画が明らかになったので、辞めざるを得ませんでした。その他のプロジェクトには関わりがありますが、別の自動車メーカーのために働くことは心情的に困難です」

イアン・ロバートソンが愛したクルマ

1970年代

「もちろん、ミニですよ! わたしは生産ラインのすぐ横に座っていました。イシゴニスもすぐ近くでした。後年、ミニのブランド化に携わることができたのは大きな誇りです」

1980年代

「初期のころにトライアンフ・スピットファイアとTR7を持っていました。欠点もあったけど、うっとりと思い出しますね。英国の誇るべきクルマでした。ロータス・エランも買うべきでしたが、ロータスで働いていなかったので」

1990年代

「レンジ・ローバーは大好きでした。(第1世代の)最後のクルマがライン・オフする時にスペン・キング、ノエル・エドモンズ(写真)と一緒に並んだのを覚えています。このクルマはアイコンでしたね。50歳のお祝いをしてもらえるクルマなんて滅多にありませんよ」

2000年代

「個人的な理由でE46の3シリーズが1番です。当時、南アフリカの生産工場を任されていて、米国に輸出していたんです。品質基準を満足させることなんてできっこないと言われました。でも、やりましたよ。品質でJDパワーの金賞をとったんです。職業人としても個人としても人生最良の時でしたね。われわれはBMWに成功をもたらし、地域社会でも多くの仕事ができ、そしてもちろん、マンデラ大統領(写真)にお会いしたことも特別でした」

「ロールス・ルイスの経営もとても特別でした。今までの栄光の上にあぐらをかき、未来はありませんでした。わたしは6か月で3人目の社長として着任しました。混乱の時期でしたが、われわれはチーム力でブランドを本来の位置に戻し、未来に向けてサスティナブルな長期的計画を明確化しました。ゴーストにはわれわれのビジョンを徹底させ、SUVの計画も立案しました」

2010年代

「iシリーズの構成は特別なものでした。i3から始まったのですが、ただの移動手段ではないことを強調するためにi8が欲しくなりました。電動パワーは合理的なだけではありません。われわれは実物のクルマを製作し、iシリーズがローンチする数年前からブランドのポジショニングに着手しました。使う言葉からショールームの景観まで、何から何まで違いましたね。すべてを詳細に観察しました。単なる2台のクルマではなく、カーボンファイバーからエネルギー効率の高い生産プロセスまで、その全容が必要だったのです。とても大変な仕事でしたが、その価値はありましたね」