1996年のアトランタ五輪で金メダルを獲得し、表彰式で喜ぶナイム・スレイマノグル氏(1996年7月22日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】五輪で3連覇を達成したトルコの伝説的な重量挙げ選手で、小柄な体から生み出されるすさまじいパワーで「ポケット・ヘラクレス」の異名を取ったナイム・スレイマノグル(Naim Suleymanoglu)氏が、50歳でこの世を去った。18日に国内メディアが報じた。

 ブルガリア生まれのスレイマノグル氏は、9月後半に肝不全で集中治療室に入っていたが、半国営アナトリア(Anadolu)通信が訃報を伝えた。スレイマノグル氏は、1988年のソウル大会、92年のバルセロナ、96年のアトランタで五輪3連覇という快挙を達成してトルコの国民的英雄になり、今でも同国史上最高のスポーツ選手の一人と言われている。

 ブルガリア国内のトルコ系少数民族の出身であるスレイマノグル氏のスターダムへの道のりは、決して平たんなものではなかった。当初はブルガリア代表として試合に出場していたが、1986年12月、オーストラリアのメルボルンで開催されていた世界大会の最中に東欧の共産主義国であるブルガリアから亡命。トルコ首相の自家用機でロンドンに移動すると、そこからトルコに向かって国の英雄として迎え入れられたことは、当時波紋を呼んだ。

 亡命に怒ったブルガリアによって、スレイマノグル氏は1年間の出場停止を科されたが、1988年のソウル五輪で圧巻の優勝を飾ると、ギリシャのバレリオス・レオディニス(Valerios Leonidis)氏とスポーツ史に残るライバル関係を築き、世界中のトルコ人、ギリシャ人コミュニティーが二人の戦いを熱心に追いかけた。

 アトランタで3回目の五輪のタイトルを獲得した後、2回目の競技復帰を果たして2000年のシドニー五輪に臨んだがメダルには手が届かず、その後は政治の世界に飛び込んだが、政治家として大成することはなかった。
【翻訳編集】AFPBB News