元日本代表のGK川口能活【写真:編集部】

写真拡大

【連載第3回】泣きながら練習していた中学時代、“天狗”を変えた恩師の本気と情熱

 自身のサッカー人生を綴った著書「壁を超える」を上梓した元日本代表GK川口能活(SC相模原)。42歳にして今なお、ピッチに立ち続ける希代の名GKはいかにして、現在の地位まで上り詰めたのか。全4回にわたり探る連載。第3回はサッカーの成長期に影響を多大な与えた恩師の言葉と指導を振り返る。

 川口が全国で知られる選手となったのは、東海大第一中時代だろう。静岡県選抜、東海選抜に続き、ジュニアユース代表メンバーにも選抜された。

「うれしかったですね。小学校の文集に『将来の夢は日本代表』などと書いてはいたけれど、夢は夢。本当に日の丸をつけて戦う日が来るなんて、思ってもいなかったんです。結局、ジュニアユースでは試合に出る機会はなかったけれど、中学に帰れば実績ではナンバーワン。このときばかりは、調子に乗っていました(笑)」

 そんな川口の心を正したのが、当時のサッカー部の顧問、桜井和好氏だった。東海大一では全体練習の後、部員全員のシュートを受けるキーパー練習が始まる。その後、川口一人だけが残され、さらに特訓。最後は一人でグラウンドにトンボを掛けてから帰っていたという。

「毎日、チームの誰よりも怒られていたし、立っていられないほど疲れ果てていた。先輩も『おまえは期待されているんだよ』と励ましてくれたけれど、当の本人は辛さしかなく、悔しさで泣きながら練習するときもあった。代表から戻ってからは特に厳しく、 『なんで代表に選ばれたのに特訓されなきゃいけないんだ』と思いながら特訓を受けていましたね。きっと桜井先生は、心のうちを見抜いていたのだと思います」

「常に謙虚であれ」―桜井氏が繰り返し言っていた言葉の真意とは?

「常に謙虚であれ」。桜井氏は事あるごとに、自分に、そしてチームに繰り返し言っていたという。

「サッカーには当然、集中しなければならない。でも選手である前に一人の生徒、人間として、成熟しなければならない。自分を前面に出すのではなく、まずは謙虚な姿勢で臨め、と必ず僕らに伝えていました。本当に厳しい練習でしたが、今ではGKに必要な精神面を鍛えてくれたのだとわかります。僕が天狗にならなかったのも、あの特訓と言葉があったおかげです」

 川口が在学中、東海大一中は全国中学校サッカー大会に3年連続で出場。2年時には初優勝を飾った。だが、3年時の大会では3回戦で敗退。川口が審判に抗議したことから相手にチャンスを与え、失点につながった。

「申し訳ない気持ちでいっぱいだった」という川口に桜井氏は意外な言葉をかけたという。

「『あれは、おまえのせいではない』。僕の謙虚さを欠いた態度が原因だったのに、先生はそう言ってくれたんです。それまで負け試合では必ず『おまえが前に出なかったからだ』、『しっかりキャッチしないからだ』と僕ばかりが叱責されていたので本当に驚きました。あの時初めて、ちゃんと僕のことを見てくれたんだな、と先生の愛情を感じました。もしも、あの言葉がなかったら、中学生の僕はきっと立ち直れなかった。桜井先生の言葉で救われ、高校に行ってもサッカーを頑張ろうと思えました」

サッカー経験ゼロの桜井氏、それでも「想い」が川口に届いた理由

 そんな桜井先生から言われたもっとも印象深い言葉を尋ねると、「 『ピーター・シルトンになれ』ですね」と川口。シルトンとは、82年から3大会連続ワールドカップ出場したイングランド代表の名GKだ。「何しろ、“目指せ”ではなく“なれ”です。その言葉に桜井先生の情熱を感じ、強烈な説得力を持って僕の心に響きました」

 その日を境に、桜井先生に渡されたシルトンのビデオを繰り返し観て、キャッチングやセービングを目に焼き付けたという。

「サッカーを指導するうえで経験いかんよりも大切なのは、子供に対する愛と情熱があることだと思います。実は桜井先生自身はサッカーの経験がありません。手に入るあらゆる試合をビデオで見て、他校の先生たちの教えも受けながらコーチングの勉強を重ね、東海大一中を全国で優勝するチームに育て上げました。指導者から生徒にかける言葉って、勿論、何を言うかも大事です。でも、やはり熱が入っていない言葉は相手の血となり肉となりになりません。そしてどんな言葉も、必ず『想い』は伝わるはず。桜井先生の情熱と本気は、いつも僕らにヒシヒシと伝わってきました」