「もし森崎和幸がディナモ・ザグレブでプレーしていたら、さらなる欧州のビッグクラブに1000万ユーロ(約13億円)で移籍しただろう」と称賛された男は、ミキッチの素晴らしさをこう讃える。
 
「どんなにマークされても常に勝負を仕掛けていたし、ミカにボールを預けることでラインを上げることができた。ただ、ミカの凄さはどんな時も練習から100%の力を発揮して、常に戦っていたこと。今のように(4人目の外国人選手扱いで)試合に出られなかったとしても、それは変わらない。若手はもちろん、すべての選手の模範です」
 
 彼は広島の選手たちにプロとしての振る舞いやあり方を伝授した。パッサーである青山敏弘に対して常にパスを求めて走る。どんなボールに対しても食らいつき、ギリギリで追いついて決定機をつくることで、青山にチャレンジする大切さを教えた。同じサイドでプレーした塩谷司(アル・アイン)に対しては、コンビネーションの重要性をプレーで示し、いくつものチャンスを2人でつくった。
 
「自分の良さを引き出してもらったし、いい思い出もたくさんある。ミカ以上にやりやすい人は、なかなかいない」と超攻撃的ストッパーは語る。トレーニングでは対面する若手DFに対して100%以上の力で対峙。ミキッチとの対決の中で、柏好文や山岸智(大分)はスキルを磨き、高橋壮也は戦いを挑むことの大切さを教えられた。
 
 紫の14番は若手に何も言わない。特別なことは語らない。しかし、トレーニングで、試合でのプレーで、サッカーの大切なことを教えてくれる。そういう希有な存在がいたからこそ、広島は3度の優勝を果たすことができたのだ。
 
 かつては2017年での現役引退も考えていたが、ケガや外国人枠に泣かされたこともあり、彼は「まだ自分はやれる」と現役続行を決意した。ここ数年、クロス・ドリブル数や成功率もリーグトップクラスの数字を叩きだし、プレーに円熟味が加わっていたことが自信の源。具体的なオファーの存在は明言を避けたが、日本を心から愛し、「Jリーグのレベルは高い。優勝した当時の広島ならブンデスリーガの中位で戦える」と言い切った親日家の彼は「Jリーグ以外でのプレーは考えていない」という。
 
「勝者として広島を去りたい」
 
 退団が決まった時、選手の前でミハエル・ミキッチはこう語った。そしてその言葉どおり、ミキッチはその後のトレーニングでも100%以上の力を発揮し、声を出し、仲間を励ました。その姿に心を突き動かされた選手たちは戦う姿勢を前面に押し出し、トレーニングは激しさを増した。「ミカのためにもJ1残留を果たしたい。降格して彼を送り出すわけにはいかない」と青山敏弘は言う。その思いは、選手・スタッフ・サポーター、すべての広島の思いである。
 
取材・文:中野和也(紫熊倶楽部)