在籍した9シーズンで3度のリーグ制覇。間違いなく最もチーム貢献度の高かった外国籍選手のひとりと言えるだろう。写真:サッカーダイジェスト

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 圧倒的なデピュー戦だった。
 
 前年の2008年、Jリーグ史上に残るパスサッカーを展開して9月23日にはJ1昇格を決めてしまった広島のJ1復帰初戦、舞台は日産スタジアムであり、相手はビッグクラブの横浜だということもあり、注目を集めていた。ただこの時、広島の新外国人選手であるミハエル・ミキッチに熱い視線を注ぐ報道陣は、ほとんどいなかった。
 
 この試合に先発した森崎和幸自身、ミキッチがどういうプレーを見せてくれるのか、気がかりでもあった。
「シーズン前の練習試合でも一緒にやっていましたが、そこまで強烈な印象はなかったんです。だからこそ、この開幕戦が、ね」
 
 繰り返す。圧倒的だった。
 
 渡邊千真(現神戸)に先制点を許した後、ディナモ・ザグレブ時代に「クロアチアのマイケル・オーウェン」と称された貴公子は、その本性を爆発させる。ボールを持てば必ず勝負。前へ、前へと圧巻のスピードで裏をとり続けた。対面した田中裕介(現C大阪)も必死に追いすがるが止めることは困難だ。スペースを消したつもりでも深い切り返しや瞬間のステップで守備者を置き去りにする。彼が奪ったCKから同点に追いつき、素晴らしいダイレクトプレーの連続で逆転すると、さらにミキッチが輝く。
 
 ストヤノフの裏へのパス。フワリとしたボールにミキッチと田中が競り合った。田中は181センチ、ミキッチは177センチ。だが強靱なバネと駆け引きで空中戦を仕掛ける。競り合った。前にこぼれた。すぐに切り替える。走る。GK榎本哲也が前に出たところをワンステップでかわす。正確なクロス。横浜も必死に守るも、佐藤寿人(名古屋)、高柳一誠(山口)と絡み、最後は柏木陽介(浦和)が決めた。アシストはつかない。しかし、誰もが感じた。すごい選手が広島にやってきた――。
 
「いや。本当にすごいと思った。こんな選手が来てくれたのか、と」
 森粼はそう回想する。だが、本当にすごいと感じたのは、その後の彼の振る舞いだった。
「ミカは本当に真面目な選手なんです。日本に、広島に馴染もうと最初から努力を重ねていた」
 
 1年目からミキッチはケガが多く、日本の夏にも苦しんだ。もし彼が、ディナモ・ザグレブで14個のタイトルを獲得したこと、ブンデスリーガやチャンピオンズリーグでのプレー経験などを鼻にかけ、日本を見下すようなメンタリティを持っていたら、早々に帰国していただろう。だが、ミキッチは日本行きを決断した時から、「ここでプロとしてのキャリアを終えるんだ」と強い決意をもって来日している。来日1年目、彼はこんな言葉を口にした。
「正直、僕のプロとしてのキャリアは、あと2〜3年というところだろう。しかし、僕は広島でキャリアを終えたい。そのために努力を続けるんだ」
 
 ディナモ・ザグレブでの彼は右サイドのレギュラーとして3年連続のリーグ・カップ二冠に大きく貢献していた。だが、自分自身の中で「クロアチアではもうやるべきことはない」という気持ちも浮かんできた。そういう時に届いた広島からのオファー。「日本ではほとんどの人が英語をしゃべると思っていた」と語るほど日本について何も知らなかったのに、彼は全く新しい文化の国でプレーすることを選択した。「チャレンジ」という言葉を彼は口にしたが、ミキッチを突き動かした本当の理由は、おそらく彼自身にも分からない。運命が導いたとしか、言えない。
 
 J1において9年連続同一クラブでプレーした外国籍選手はミキッチだけ。その間、常にトップレベルでプレーし、3度の優勝をもたらしたことも偉大である。だが彼の本当の素晴らしさは、そこだけではない。