―大好きな吾郎くんが、私と結婚してくれたー

数々の苦難の末に、結婚願望のない男・吾郎との結婚に辿りついた英里。

結婚はゴールでないことなど、百も承知。

しかし、そんな二人を待ち受けていたのは、予想を上回る過酷な現実であった。

愛し合っていたはずの夫婦は、どのようにすれ違い、溝ができてしまったのか。

男女の価値観のズレ、見解の相違、そして、家庭外での誘惑...。

二人の“新婚クライシス”が、今、始まる...!




「なぁ吾郎、おまえ、結婚式挙げないの?」

丸の内でのランチタイム。『レストラン サングリア』のスパイシーなタイカレーをガツガツ食べながら、同僚の松田が吾郎に問う。

この松田というのは、かなり優秀な弁護士にも関わらず、ポンコツ嫁の尻に敷かれる情けない男である。

「俺は、結婚式なんて下らんことに興味はない」

「マジ。おまえタキシード似合いそうなのになぁ。てか、嫁さんはドレスとか着たいんじゃないの?」

外はすっかり秋モード、肌寒い季節が到来したというのに、松田は額と鼻の頭にたっぷりと汗をかきながら至近距離で吾郎の顔を覗き込む。

「うちの嫁だって、もう30歳過ぎてるんだ。今さらドレスなんか興味ないだろ」

「...それ、本人がそう言ったの?」

「...いや、ちがう。だが言わなくても分かる」

すると松田は大袈裟に目を丸くし、さらに身を乗り出してきた。

「ちなみにハネムーンは?お前、結婚指輪も付けてないよな」

「ハネムーンの予定はない。旅行はお互いの休みが合うときに行けばいいだろう。わざわざ指輪をつけて既婚アピールする意味も分からん。よって、どちらも必要ない」

「お前......それ、絶対ヤバいぞ。結婚生活“墓場行き”の超特急に乗ってるようなもんだぜ」

―お前にだけは、言われたくない。

吾郎は心の中で悪態をつきながら、松田を無視してカレーを食べ続けた。


吾郎の知らぬ間に、英里はストレスを溜めていく...?!


本当に、“羨ましい”結婚生活?


―結婚式、かぁ......。

英里は会社のデスクで一人ランチをとりながら、PCに向かい小さく息を吐いた。

先日の咲子の妊娠報告は衝撃だった。彼女は英里と同じ商社で、しかも総合職でバリバリ働いているからだ。

仲良し3人組のうち英里1人だけ子作りの予定もないなんて、またしても取り残されたような気分になるのは、やはり自分が未熟だからだろうか。

それに、小規模でも結婚式くらい挙げるべきと勧められたことが、いつまでも頭に残っていた。

―2人の言う通りよね。だって、ウェディングドレスなんて一生に一度しか着れないし...。

実際、同僚や上司たちからは、結婚式やハネムーンはいつにするのか聞かれることも多い。英里のキャラ的にも、当然“ふつうに”結婚式をすると思われがちなのだろう。

周囲から問われるたび、英里は苦笑いで「夫が多忙で、予定が立たなくて...」などと答えていたが、いい加減それも億劫になっていた。

まさか、「夫が結婚式ギライの偏屈男だ」なんて正直に言えるわけもない。

しかし結婚式について一度考え始めると、英里は夢が一気に膨らみ、ウェディングドレスのブランドをあれこれと夢中で検索していた。PCの画面には、華やかなドレス画像がズラリと並んでいる。

最近はレースで肌を覆うタイプのドレスが流行っているようだ。どれもこれも素敵で、英里はかつて、親友2人のドレス選びに付き添ったことを思い出す。




あのときは、いつか自分も順番が回ってきたら、彼女たちと同じように主役になりドレスを選んでもらえるものと当然のように思っていた。

できれば一流のホテルで家族や仲良しの友人を呼んで結婚式を挙げ、そのままモルディブやタヒチにハネムーン。新婚生活を1年ほど楽しんだ後には、可愛い娘を授かる...。

だが、現実はどうだろう。

これらの理想を実現するためには、頑固な吾郎といちいち対峙し、結婚前のようなバドルを延々と繰り広げることになるだろうか。それならば.........、、、

......自分が、我慢すればいい。

英里は諦めにも似た気持ちでそんな風に思い直し、溜息とともにPCのウィンドウを一気に閉じた。

結婚式を挙げたいがために、実際の結婚生活にヒビを入れる必要なんてない。

それに、吾郎みたいな男とどうしても結婚したかったのは、英里自身なのだ。今さら、ないものねだりに悲観し、あの吾郎にぶつけても何の得もないだろう。

「英里さん!今、ドレス見てましたよね?結婚式するんですかっ?!」

振り向くと、5つ年下の後輩・新一が目を輝かせて立っていた。彼はまだ26歳のフレッシュ感あふれる好青年で、しかも素直で仕事熱心だから、社内の人気者だ。

「新一くん...。いや、結婚式はまだなんだけど、何となく見てただけなの」

「英里さん、ドレス似合いそうですもんね!二次会くらいは僕も呼んでくださいね。旦那さんも超イケメンなんすよね?美男美女の新婚夫婦とか、超絶羨ましいっす!!」

英里は控えめに微笑みながら、“羨ましい”という言葉に苦い気持ちを噛みしめていた。


完全に行き違った二人。とうとう“クライシス”が始まる...?!


日時指定で嫁を抱くようになったら、男の人生は終わり


「吾郎くん、おかえりなさい...。ゴハン、食べてきたの?」

「あぁ、ただいま。松田がまた嫁のことでストレス溜めてるらしくてさ、愚痴を散々聞かされてきた」

吾郎が帰宅したのは、深夜0時を過ぎていた。今日は金曜日だから、仕事はそれほど多忙ではないはずで、英里は夫のために夕食を用意していた。

「そうなんだ...。金曜日なんだし、外で食べるなら連絡くらいくれればいいのに」

「あぁ、悪い悪い。しかし、松田は本当に馬鹿な奴だよ。口を開けば“結婚は墓場だ”って言い続けるんだからな。生活費をむしり取られるとか、月々の保険料がアイツの小遣いより高いとか」

吾郎は英里の小さな訴えに気づく様子はなく、ほろ酔いで語り続ける。

「嫌ならさっさと別れればいいのにな。なのに、今度は子作りを強要されてるらしいぞ。日時指定されてポンコツ嫁を抱くようになったら、男の人生終わりだな。俺には理解不能だ」

「...そうかな。私は、松田さんはただ優しい人なんだと思うけど」

吾郎が松田という男を批判するのを聞いていると、英里はどうしてもチクチクと神経を刺激される。

高額な保険料を家族のために収めるのも、子作りに協力的なのも、どう考えても良き夫ではないか。それをなぜ、吾郎はわざわざ斜め目線で批判して妻に聞かせるのだろうか。




「わかってないな。アイツは単に、自分で考える力のない不甲斐ない男なんだよ。そのくせ、俺には結婚式くらいするのが常識だとか、下らないことばかり言い連ねる」

吾郎がそこまで言うと、英里はこれまで我慢していた何かがプツンと切れたような気がした。

「...世の中の大半の人は、下らないなんて思わないわよ。そんな風にヒネくれてるの、吾郎くんだけ」

英里の冷たい声が、薄暗いリビングに静かに響いた。吾郎はやっと妻の不穏に気づいたようで、しばしの沈黙が流れる。

「...どういう意味だ。お前、まさか今さら結婚式なんかしたいのか?」

「別に...でも私だって、結婚式や新婚旅行はどうするのかって周りから色々言われるの。一生に一度なんだからドレスは着た方がいいってみんな言うし、親だってきっと喜ぶし...」

「また“みんな”か」

英里の言葉を強く遮ると、吾郎は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。

「結婚式なんて、単に人の自己顕示欲を利用したビジネスだろう。お前、まだ性懲りもなく周りの人間に影響されて生きてるのか?......結婚前と何ら変わってないな」

「何も変わってないのは、吾郎くんの方でしょう!!!」

その瞬間、英里は声を荒げるとともに、手元のグラスを床に打ち付けていた。

こうして、二人の“新婚クライシス”はゆっくりと幕を開けた。

▶NEXT:11月25日 土曜日更新予定
ついに爆発した英里。吾郎の理解は得られず、夫婦の亀裂は深まる...?