【ライターコラムfrom広島】「ミカ」と「アオチャンッ」の特別な関係…J1残留へ、広島をもう一度“勝者”に

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 サンフレッチェ広島の右の翼は、常に14番が担っていた。1対1、いや時に1対3になる時もある状況でも決して逃げずに打開を試み、ギラリと光る刃のような突破で相手のブロックを突き破る。圧倒的なスピード、深く鋭い切り返し、創造性を感じさせるクロス。あらゆる意味でレベルを超えた存在だったミハエル・ミキッチは、J1記録となる外国人選手としての同一クラブ最長在籍記録(9年)と3度の優勝という偉大な実績を残し、広島を去ることが決まった。

「まだ実感がわかないんです。ミカがチームを去るということが。自分の中で受け止め切れていない」

 その9年間、常に右サイドでパートナーを組んでいた青山敏弘は、寂しさを隠せなかった。

「アオチャンッ!!!」

 トレーニングで響き渡る甲高い声。ミキッチがトップスピードで走り出したその瞬間、彼は必ず大きな声を発してボールを呼び込む。特に青山がボールを持ったその瞬間、いやボールが入ろうとする直前にはもう、ミキッチは「アオチャンッ」だ。その時、青山がミキッチを選択しなかったら、「アー、アオチャン……」と嘆く。だがすぐに切り替えてポジションを取り直し、攻撃のサポートや守備に関わる。ボールがなくても、彼が「さぼる」ことはほとんどなかった。青山がパスを出さなかったとしても、次の機会には「アオチャンッ」。5回続けてパスが出なくても、6回目もまた「アオチャンッ」だ。諦めることも、チームメイトを疑うこともない。だからこそ、最後には常に「ミカッ」となる。

「とにかく速い。それがミカの特徴ですよね。そして、僕にパスを出せと呼び込んでくるんです(笑)。でも、あんな矢のようなスピードで飛び出していくから、パスを出す側としては頼もしかったですね。お互いに信頼し合っていたし、彼のスピードと飛び出しによって自分もいいパスを通させてもらった。そのことの積み重ねで、成長させてもらったと実感しますね。ミカとのコンビネーションによって、サッカーとは何かということも教えてもらった。ミキッチと僕らは、一緒に成長していったんだと思うんです」

 11月13日、広島退団が決まったミキッチは選手たちの前でスピーチを行った。その時の彼の言葉を青山は覚えている。

「勝者として、広島を去りたい」

 その通りだな。

 ミカを送り出す僕たちが、J2に降格するわけにはいかないんだ。

 戦って、戦って、J1に残らないといけないんだ。

 青山は何度も、自分に対して言い聞かせた。

 7月1日、埼玉スタジアム2002。浦和レッズとの対決に臨んだミキッチは37分に清水航平(現清水エスパルス)と交代。右ハムストリングス筋損傷で戦線を離脱した。その間に監督が森保一から横内昭展、そしてヤン・ヨンソンと変わり、システムも3−4−2−1から4−2−3−1に変化した。得意とするポジション(ウイングバック)を失い、4人目の外国人選手としての悲哀を味わった。10月には家族の事情でクロアチアに戻らざるを得ず、出場機会を失ってしまった。

「でも、試合に出ていなくても、ミカらしさは出してくれていた」と青山が言うとおり、どういう状況でもトレーニングで全力を尽くし、声を上げ、戦う気持ちを前面に出して走っていた。だからこそ、と青山はいう。

「最後の最後、ミカが力になってくれる。そんな予感がするんです。一緒にグラウンドに立って、J1残留を決めて、彼に別れの挨拶がしたい。ミカのためにも、僕たちは戦いたい」

 決意をもって、青山敏弘は戦う。ミハエル・ミキッチと共に、全力で戦い抜く。

文=紫熊倶楽部 中野和也