元ナイキジャパン社長は、フィル・ナイトにどのようなことを言われたのか(撮影:今井 康一)

10月27日の発売開始後すぐに10万部を突破し、早くも「2017年最高の書」と高い評価を得ているナイキ創業者フィル・ナイトの自伝『SHOE DOG(シュードッグ)』。
10月26日(木)には本書の刊行記念イベント「フィル・ナイト・NIGHT」が日本橋浜町「Hama House」で行われ、1993年から2年間、ナイキジャパンの社長を務め、フィル・ナイトと直接議論を戦わせてきた秋元征紘氏が登壇した。秋元氏が語ったフィル・ナイトの人物像をご紹介する。
聞き手:佐藤 朋保(東洋経済新報社 翻訳委員長)

「日本人がするように、靴を脱いでくれないか!」


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――フィル・ナイトさんとの最初の出会いを教えてください。

始まりは、ヘッドハンターからの連絡でした。1992年ころ、あるヘッドハンターが会いにきて「秋元さん、以前、ナイキの社長ならやるとおっしゃっていましたよね。来週、ポートランドに行けますか?」と聞いてきた。

そのオファーを受けた後、当時の上司を含め周囲とも相談して、ポートランド郊外のビーバートンのナイキ本社までフィル・ナイトに会いに行きました。ナイキの本社であるナイキ・ワールド・キャンパスは、『シュードッグ』にも書かれているように、すごくかっこいい。

四角い人造湖の周りに美しい近代的な建物が立ち並び、サッカー場、巨大な体育館も併設されている。広大な敷地をめぐるジョギングコースもある。社員は上から下まで全身ナイキを身につけ、好きなときにスポーツをして汗を流している。汗だくのまま、リンゴをかじりながら会議にも来る。もう会社というイメージではなかったですね。

フィルの部屋は、日本的なイメージを意識したインテリアに囲まれ、障子のような白いスクリーンから外の光が差し込んでいました。広さはそれほどでもなかったのですが、とてもスタイリッシュでした。そこで、フィルに会うなり言われました。「日本人がするように、靴を脱いでくれないか!」と。それが最初の出会いでした。

そのときの面接を経て、ナイキジャパンの社長となることが決まり、3カ月間、本社で研修を受けました。そして1993年、私はナイキジャパンの社長に就任したのです。

お前自身がナイキになれ

――当時のナイキジャパンはいかがでしたか。


秋元 征紘(あきもと ゆきひろ)/元ナイキジャパン社長。1944年生まれ。1993年から1995年まで、ナイキジャパン代表取締役社長を務める。ナイキ創業者フィル・ナイトとビジネスで深く関わった経験を持つ。1970年日本精工入社。ニューヨーク、トロント駐在を経る。その後自ら起業するも失敗、35歳のときに時給600円のアルバイトとしてケンタッキーフライドチキンで働き始めて人生を再スタートさせ、日本ペプシ・コーラ副社長、日本KFC常務取締役、ナイキジャパン代表取締役社長、ゲラン(LVMHグループ)代表取締役社長・会長などを歴任。現在はジャイロ経営塾代表、ワイ・エイ・パートナーズ代表取締役。著書に『こうして私は外資4社のトップになった』(東洋経済新報社)、『一流の人たちがやっているシンプルな習慣』(フォレスト出版)、『ビジョナリー・マネジャー』(クロスメディア・パブリッシング)など(撮影:今井 康一)

『シュードッグ』のなかに、ナイキが日商岩井に救われるシーンがあります。1975年のことですね。この本は、1980年までの出来事しか書かれていませんが、実は、1980年以降にも、ナイキは日商岩井に助けられているんです。

ナイキと日商岩井は、1981年に合弁でナイキジャパンを設立しました。ところが、私が聞いた話では、初期は苦戦の連続で、ある年、粉飾決算が明るみに出て、蓋(ふた)を開けてみると大量の不良在庫を抱えてしまったのです。そこで、日商岩井がナイキジャパンを100%子会社化して、その不良在庫は南米を含めた海外市場で処分するという事態に至ったようです。

1993年、マイケル・ジョーダンのシリーズに支えられたナイキ本社の好業績もあって、ナイキジャパンは日商岩井の子会社から、改めて100%ナイキ本社の傘下というかたちにシフトしたのです。ですから私が社長に就任した段階では、ほぼ全員が日商岩井の子会社の社員で構成されていました。

初めてナイキジャパンに足を踏み入れたとき、先ほどお話しした本社に行ったときとはまた別の衝撃を受けました。幹部層にはメタボぎみのおじさんがたくさんいて、しかも、オフィスはとてもたばこくさかった。ナイキ・ワールド・キャンパスはもちろん禁煙でした。一方のナイキジャパンは、いかにもその当時の日本の会社という感じで、どう考えても同じナイキの社員とは思えない。「これはヤバいな」と思いました(笑)。

じつは、フィルから私に与えられたミッションが2つありました。1つは「Niki-ize yourself(お前自身がナイキになれ)」。もう1つは、「ナイキジャパンをナイキ化すること」。つまり、ナイキジャパンの組織カルチャーを変えろというわけです。

マイケル・ジョーダンが社長就任会見に

――秋元さんが社長に就任されたとき、マイケル・ジョーダンが衛星中継で登場したと聞いていますが?

そうなんです。当時の日本では、社長就任会見というと、帝国ホテルやニューオータニで格式高くやるというのが普通でした。しかしフィルが「ナイキっぽくやろう。マイケル・ジョーダンを呼ぼう」と言ったんです。


イベントの様子(撮影:今井 康一)

それを聞いて、「おいおい、無理だろう」と思いました。当時、マイケル・ジョーダンはNBAの現役を引退して野球にチャレンジ中で、シカゴではレストランのオーナーもやっていました。多くの人々がそのマイケルから直接話を聞いてみたい。だから衛星中継で登場してもらおうという案でした。電通に問い合わせたら2億、3億円はかかるだろうと。これは手持ち予算とは1ケタ違う話です。

それで早速、ナイキ本社での研修で親しくなったナイキ香港の広報担当に「無理な話だよな」と相談したんです。そしたら彼は「そうじゃないだろ、秋元。無理なことをやる、常識を破る(ブレーキングルール)ことがナイキ風なんだ」と言ったのです。

結局、マイケル・ジョーダン出演の衛星中継記者会見が、なんとか実現しました。ナイキ香港の彼が、MTVにこの会見のグローバルな放映権を売却するという絶妙な知恵を出してくれたからです。会場となったのは、まだ完成して間もない東京ドームのプリズムホール。ジョーダンを映すために、いちばん大きなブラウン管モニターを何十台も並べて、大画面を特設しました。そこにジョーダン目当ての250人近い記者が集まるという異例の記者会見でした。

前任のナイキジャパン社長内田さんと私、そしてフィルのスピーチが終わって、いよいよマイケル・ジョーダンの登場となりました。ところが、シカゴの彼のレストランの椅子しか大画面には映っていない。本人が現れない。だんだんと私たちも焦って、会場もざわめいてくる。予定から5分ほど遅れたところで、やっと彼が現れました。そして彼はこう言った。

「みんな、俺が出てこなくて緊張しただろ。これはわざとやったんだ。俺が試合に出る5分前は、いつもそれくらいの緊張感で過ごしているんだ。最初の一歩を踏み出すまではすごく嫌なんだ。でも、それがオレたちの仕事なんだ。わかってくれたかい」

これこそ「JUST DO IT.」だと思いました。誰もが知っている、ナイキを体現するいちばん有名なコピー。私が知るかぎり、これこそがナイキ、つまりはフィルがいちばん大切にしていた言葉だと思っているんです。

――どういうことか、詳しく聞かせてください。

私がペプシ・コーラで働いていた頃、ペプシではマイケル・ジャクソンを起用した「Choice of New Generation(新しい世代の選択)」という広告キャンペーンをして、コカ・コーラを猛追していました。「Choice of New Generation」という言葉だけでは日本人には伝わりにくいので、私はこのコピーに細川護煕政権登場の世相を意識して、「時代は変わる」というサブコピーを付けて、日本のTVコマーシャルで紹介しました。

「JUST DO IT.」の本当の意味とは

このときの成功体験から、ナイキジャパンの社長になったとき、JUST DO IT.にも、何か日本語コピーを併用しようと考えていたんです。当時、私には、本社から来たアメリカ人の部下が5人いて、その中のマーケティングディレクターにそのことを話しました。すると、彼女はすごく険しい顔をしてこう言ったんです。「フィルは絶対にOKとは言わないわ!」。

私は、「日本の消費者はJUST DO IT.に日本語のコピーをつけないと、その意味を理解してくれない」と反論しました。それでも、彼女は「絶対ダメ」と言うばかり。そして間もなく、フィルから「ポートランドの本社まですぐ来てほしい」と連絡がありました。理由を教えてもらえなかったのですが、ともかくフィルの下に駆けつけました。

そしてフィルに会うと、強い口調でこう言われました。「JUST DO IT. DO NOT translate(絶対に翻訳するな)」。「あいつ、フィルにちくったな」とマーケティング担当の女性のことを思い浮かべつつ、「それなら、電話でそう言ってくれればいいじゃないですか」と言ったんです。すると、フィルは「電話じゃわからないから来てもらったんだ。これは大事なことだから」と。

慌てて駆けつけたのに理由もわからずダメだと言われて、「はいそうですか」と帰るわけにいかない。むっとしながら、フィルに「説明してほしい」と言いました。そうしたら「君たち日本人は孔子の教えを掛け軸にして壁にかけたりしているだろ。翻訳なんかせずに。なぜ中国語は訳さないのに、英語は訳すんだ?」とフィル。

それを聞いて、「ああ、そうですね」と返事をしたものの、やはりどうも納得がいかない。そこで続けて、フィルにこう聞いたんです。「JUST DO IT.という言葉の意味はわかる。でも、ナイキにとって、あるいはあなた自身にとってこの言葉はどういう意味を持つのか」と。

そのときのフィルの答えはこうでした。「いかなるアスリートにとっても、最初の一歩を踏み出すことは決してやさしいことじゃない。実際に行動に移る、その小さな勇気こそJUST DO IT.なんだ。その勇気を持つ人々を、そしてそうなりたいと思う人々を、応援しサポートしていくのがわれわれの仕事なんだ」。

この言葉を聞いて、すごく感動しました。「JUST DO IT.」は単なるコピーではなく、ナイキの哲学を体現するものだと知り、これはたしかに翻訳はできないと納得しました。

『シュードッグ』は、フィルがランニングをする準備をして、つらい一歩を踏み出し、駆け出すところから始まりますね。あれは、まさに当時フィルが言っていたせりふそのもので、読み始めから興奮しました。

(構成:大内 ゆみ)

<後編に続く>