連載『黄金は色褪せない』で数多のレアエピソードを披露してくれた本山。生涯でたった半年だけの「ボランチ時代」を振り返る。写真:筒井剛史

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 ゴールデンエイジの面々を一人ひとり訪ね歩く連載シリーズ『黄金は色褪せない』。今回5番手として登場してくれるのは、ギラヴァンツ北九州の名ドリブラー、本山雅志だ。
 
 近日スタートする本編を前に、ここではとっておきのエピソードを先出しでお届けしよう。
 
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 名門・東福岡高校サッカー部に入部した本山雅志は、夏のインターハイ予選を前にしたタイミングで、志波芳則監督(当時/現・総監督)にこう告げられた。
 
「お前、ボランチをやってみんか。やってみい」
 
 あるチーム事情によって急転直下の展開を見せたわけだが、すでに攻撃的なポジションで自慢のドリブルとパスセンスを炸裂させていた逸材は、4-1-4-1システムのアンカーを任されることとなった。「サッカー人生の中であんなに走った1年はないですね」と、38歳になった名手は回顧する。後にも先にもない、“3列目”での貴重な経験だ。
 
 先輩の助けや自身の絶え間ないトライによって、1ボランチのコツを掴みつつあった本山。そして1995年の大晦日、初めて全国高校サッカー選手権の檜舞台を踏む。東福岡の1回戦の相手は、神奈川の新鋭・桐光学園。どうやら2年生の天才レフティーが、ヤバイらしい。
 
 1か月前の組合せ抽選会で対戦が決まってから、本山にはひとつのタスクが与えられていた。思いもよらない、マンマークである。敵の司令塔、中村俊輔を封じ込めというのだ。
 
「シュンさんがすごい選手だってのはなんとなく知ってたけど、そこまで詳しいわけじゃなかった。で、試合ではマンマークで付けと志波先生に言われて、いいか、どこまでも付いていけと。めっちゃ走りましたよ、あの試合は」
 しかし、スカウティングによって準備してきた作戦は、ファンタジスタにはまるで通じなかった。
 
「左を切って右に追い込んでいけばいい、右足でほとんどプレーしないというのが事前のスカウティングだったけど、とんでもない話で。さっと僕が左を切るじゃないですか。前にも味方がいるから大丈夫だろうって安心してたら、あっさり逆を取られて、『あー! それだけはやめてー!』って(笑)。サイドに流れても簡単に切り返して右足でセンタリングとか上げてたし、ぜんぜんスカウティングと違うんですけど!って」
 
 翻弄された。まだ本山は世代別の日本代表に選ばれておらず、いわゆる黄金世代の面々とは対面していない。16歳の北九州っ子が初めて遭遇し、身近で体感したスーパータレントが、水色のユニホームに身を包んだ中村俊輔だったのだ。
 
「ずっとキツかったんだけど、すんげー楽しかったんですよ。巧いですから、シュンさんは。それを目の前で見れて本当に面白かった。正直抑えたのかと訊かれれば……かなり怪しい(笑)」
 
 試合は、2-1で東福岡が勝利した。怪物ルーキーは小島宏美、山下芳輝、生津将司らキラ星のごときアタッカー陣を後方から巧みに操り、ベスト4進出に貢献。本山雅志は一躍、全国にその名を轟かせた。
 
 観衆の度肝を抜く、魅惑のアタッキングサッカー。筆者が東福岡を“赤い彗星”と呼ぶようになったのは、ちょうどこの頃からだ。
 
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

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