どう見てもたこ焼きだが、中身はカスタードのシュークリーム(写真:虎屋本舗提供)

旅行や出張の楽しみの1つがお土産だ。日本各地の駅や売店でご当地の銘菓が激しい陣取り合戦を繰り広げている。そんな群雄割拠の土産市場で、ある商品がSNSなどで話題になっている。広島は福山の虎屋本舗が開発した「元祖 本物そっくりスイーツ・シリーズ」だ。

「どう見てもたこ焼き」のシュークリーム


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同シリーズでは「たこ焼きにしか見えないシュークリーム」や「ざるそばそっくりなモンブラン」「うな重そっくりなミルフィーユ」「もしかして麻婆豆腐」など、見た目と味にギャップのあるスイーツを展開している。

1番人気のシュークリームは、表面にソースを模したチョコレートや花かつおに似せた削りチョコレートなどがトッピングされている。さらに中身はカスタードクリームにタコの食感を思わせるナタデココを入れるという徹底ぶりだ。その精巧な出来栄えから、マスコミに数多く取り上げられ、SNSとも好相性だった。

いわゆる「B級グルメ」として面白み先行の商品だが、意外なことに虎屋本舗は1620年創業の超がつく老舗だ。福山藩主に御用菓子を献上していたなど、その歴史は長い。丹波の黒豆、讃岐の和三盆などと並んで高級材料として知られる備後の白小豆を使った主力商品の「とんど饅頭」は地元では知らない人がいないほどのロングセラー商品として、今でも手土産の定番である。

そんな老舗ゆえ、そっくりスイーツの開発当初は会社のイメージに合わないことを理由に反対する声も大きかった。

シリーズ最初の商品となるシュークリームは2003年6月に発売。きっかけは商品企画会議中のひらめきだった。同社の創業祭がある6月に出す新作が決まらず、期限が目の前に迫る中、夜食に買ってきたたこ焼きを会議室で食べながら雑談をしているときに、アイデアが浮かんだ。ひらめきから製品化までは1週間程度。そこには、長年培ってきた職人の技がふんだんに盛り込まれた。

しかし、程なくして開かれた店長会議では、半数が会社のイメージに合わないことを理由に反対した。暗礁に乗り上げかけたそっくりスイーツだったが、現社長で16代目当主の高田信吾氏の意見は違った。高田社長は大学卒業後、アパレル関連の企業に就職していたが、体調のすぐれない父を支えるため20代後半で虎屋本舗に入社。1994年、31歳のときに16代当主に就任していた。

そんな高田社長は「単にこの商品を見て大笑いした」ことを理由に、商品化にゴーサインを出した。根拠はそれだけだったという。売れるか売れないかは問題ではなく、お客さんが驚いて喜んでくれるだろう、という1点が決め手となったようだ。こうした中小企業ならではのトップダウンによるスピード感覚がさらに商品開発に拍車をかけた。

外国人を意識した「意外な」新商品も

シュークリームはヒットを収め、その後ミルフィーユやモンブランなどシリーズ化につながった。一方で、そっくりスイーツは1000円前後の価格帯の商品が多く自家消費需要がメインだったため、贈答品としても使える季節感のある商品の開発にも着手する。


てまりずしにしか見えないが、実際はわらび餅(写真:虎屋本舗提供)

こうして生まれたのが、和菓子のお弁当シリーズ(春夏秋冬)だ。中でも「てまり寿司」(てまりずしの見た目をした京風わらび餅)は、「お土産グランプリ2016」のフード・ドリンク部門で174商品の中からグランプリを受賞している。

このコンテストは、国内のみならず海外の人にも喜ばれるお土産であるかが審査基準となっているが、日本食の定番として認知度の高いすしと、日本の伝統である和菓子を融合させた点が高く評価されたようだ。


16代目当主の高田信吾社長(写真:筆者撮影)

こうした成功を重ねても、高田社長は至って冷静だ。「いかにすばらしい商品だから作れといっても、売れなければ技術は継承されない。きれい事だけではダメだ」と話す。

加えて、「どの商品をつくるときも気持ちは同じでなければならない」と従業員に檄を飛ばすという。一連の商品が一時的なブームで終わることなく、愛され続けているのはこうした経営姿勢があるからなのだろう。

祖父の背中から経営を学ぶ

高田社長が経営者の手本としているのは、祖父の14代目当主・高田銀一だという。幼少の頃より、職人肌の父よりも祖父から「何のために商売するのか」など多くのことを学んだ。銀一は和菓子メーカーの暖簾(のれん)を守りながら、戦前にフランスのパリに渡るなど、新しい文化を取り入れる気概があった。銀一は、にぎやかなシャンゼリゼ通りでおしゃれな格好をした人々がケーキを食べている光景に感銘を受け、フランス人のライフスタイルを取り入れることを目指した。

戦時中は空襲で福山駅前の店と工場が全焼、5年ほど事業停止に追い込まれた。しかし、工場が地下にあったことが幸いし、戦後更地となった地面を掘り返したところ、顧客台帳や材料、道具、レシピが見つかった。その後、戦前に見たパリの光景のように豊かな日本を実現するため、1965年に洋菓子の製造に着手。こうした進取の精神が現当主に引き継がれているのだろう。

高田現社長は50代半ばだが、2020年に創業400年を迎えるにあたって息子に当主を譲ることを明言している。それも息子が自社ではなく他社に勤務していた7年前にはすでに決めていたというから驚きである。

いささか早すぎるのではないかとも考えられるが、消費者の価値観の多様化やSNS、ネット通販の発展など、時代が大きく変わったことが交代を決意した理由という。こうした変化に対応しながら会社の舵取りをするのは当然容易ではない。「ネット環境のど真ん中で育ってきた今の20代の考え方は、息子じゃないとわからない」と高田社長から本音が漏れる。

創業当時から続く伝統を守りながらも、時代の流れに対する柔軟な精神が、商売を長く続けられる秘訣なのだろう。