東京には、いろいろな妻達がいる。

良き妻であり、賢い母でもある良妻賢母。

夫に愛される術を心得た、愛され妻。

そして、あまり公には語られることのない、悪妻ー。

これは、期せずして「悪妻」を娶ってしまった男の物語である。

女性の美に並々ならぬ執着を持つ男・藤田。自由奔放な妻・絵里子を連れて、藤田の家族に会いに行くことになった。




両親との顔合わせ、まずは及第点


「今日は、本当にありがとうございます。先日は緊張してしまい、きちんとしたご挨拶も出来ずに申し訳ありまませんでした。」

ホテルオークラ東京 別館のロビーで、両親に深々と頭を下げながら挨拶する絵里子を見て、藤田は一瞬ギョッとした。

ーこれが、あの絵里子なのだろうか?

いかにも貞淑で夫を立てる妻、と言った風である。

絵里子は一礼したまま、しばらく動かない。ゆっくりと顔を上げたと思ったら、微笑をたたえながら今度は少女のように無邪気に母に話しかける。

「お義母さまのお着物、とっても素敵。」

昔から着道楽で日舞の師範の免状まで持っている母は、あからさまに機嫌が良くなったようだ。絵里子の調子に合わせ、弾んだ声を出す。

「もうおばあちゃんなのに衣装だけは派手好みで、お恥ずかしいわ。絵里子さんさえ良かったら、今度家にある若い人向けの訪問着なんかも是非一度見にいらしてね。たくさんあるのよ。」

本当ですか?と素直に顔を輝かせる絵里子は、藤田が知るマイペースな絵里子と同一人物とはまるで思えない。

だが、自分の母親と楽しげに話している様子を見て、藤田は大いに満足感を覚える。

ー贅沢だなんだと言っても、俺の両親にこうして愛想よく出来るなんて立派じゃないか。

藤田なりに緊張していた食事会だったが、絵里子の予想以上の”良妻”ぶりに藤田は思わず気を良くしネクタイを緩める。

が、しかし。

喜んだのも束の間、いつもの絵里子らしさがこの後でてくることになった。


絵里子がとった行動とは?


本音を隠せない絵里子


近隣の弁護士事務所に勤める姉が到着し、ホテル内の『ラ・ベル・エポック』で食事を始めてからも、絵里子は「上品で清楚な妻」の仮面を全く崩さず藤田の家族との会話を楽しんでいた。




しかし、そんな時間は長くは続かなかった。

「それで、絵里子さん。まだ早いけど、2人は子供のこととか考えているのかしら?」

矢継ぎ早に繰り出される姉や母からの質問に、最初はにこやかに応じていた絵里子だが、歳老いた母のこの一言で雰囲気が一気に変わってしまう。

「子供?子供なんて、全然考えていません。まだ私も25歳ですし、今後色々やりたいことも多くて。」

あらそう…と、母はあからさまに落胆した顔を見せた。

「それに子供って、欲しいな、と思った時に考えるものだと思うんです。結婚したからって何も考えずに子供を産むことを受け入れるっていうのもちょっと違うな、と思うんですよね。」

あろうことか、絵里子は悠々と自説を展開し始めた。

その後もワインを飲んで気が大きくなった絵里子の不用心なおしゃべりで、身分不相応な物件への引越しや日頃の贅沢ぶりなどが次々と両親に露呈する。

藤田も懸命に取り繕ったが、両親の苦い表情が変わることはなかった。

姉などは、「とんでもない女に捕まったわね」とでも言いたげに半笑いしながらこちらを見てくる。絵里子だけが、一人上機嫌にお喋りを続けた。



「お休みなさい!今日はありがとうございました。」

結局、微妙な空気のまま今夜はお開きとなった。

絵里子は挨拶しながらきちんと頭を下げたが、両親と姉は食事の後半から、何かを言いたげな表情を崩さない。

藤田自身も、気まずさを取り繕うのも疲れてしまい、ほろ酔い気分の絵里子とタクシーに乗り込んだ。


悪びれない絵里子の言い分とは



ーもしかしたら、自分はとんでもない女と結婚してしまったのかもしれない。

熱病に突き動かされるように絵里子の美貌に惚れ込みスピード結婚にこぎつけたはいいが、今夜改めて家族に会わせてみて、絵里子が少し”普通の女”とは違うことを大きく実感してしまう。

美しさを基準に女性を選んできた自分の選択は、こと結婚に関して言えば間違っていたのかもしれない…そんな想いまでが頭をよぎった。

タクシーのドアが閉まったと同時に、絵里子の耳で揺れるフェラガモのピアスが目に入る。

せっかくピアスまで買ってやって挑んだ食事会なのに、ああも自由な発言をした絵里子に対して怒りがこみ上げてきた。

「絵里子。子供のこと、僕もまだ時期じゃないかなと思うけど…」

そこまで言いかけると、絵里子に制された。

「なに?どうして急に絵里子なんて呼び捨てにするの?ご両親に会ったからって、急に今までの呼び方変えるなんて変。それに、嫁業務はもう終わったんだから、そんな話やめてよ。」

「嫁業務って、そんな仕事みたいに言わなくても…」

反論しかけるが、こちらを射抜くように見つめる、この目。この目を見ると、それ以上言い返せなくなってしまう。だが…

「せめて、言わなくていいようなことまでペラペラとお喋りしなくても良かったんじゃないか?」

藤田なりに反撃すると、絵里子は大きくため息をつき、窓の外を眺めている。少し酒臭い息が漂うが、なぜだか全く嫌ではない。

「でもね、藤田さん。私、本当のことを言っただけよ。それにね、最低限のご挨拶と、礼儀作法はきちんとしたつもりよ。お義母さまの質問に対しても、真摯に自分の本音をお話ししただけじゃない。それの、何が悪かったの?」

絵里子はツンとすまして自分には何も非がない、というような態度を崩さない。相変わらず窓の外を見ている絵里子の横顔は、悔しくなるほど美しかった。

絵里子を眺めていると、何が正解で、何が不正解なのかがわからなくなってしまう。

そのうちに、タクシーが自宅の前で停まった。

会計を済ませ降りようとするが、絵里子は車内に留まったまま動こうとしない。




「今夜はこれからお友達と少し飲んでくるから。藤田さん、先に寝てて。」

事もなげに言う絵里子に、さすがの藤田も少しだけ声を荒げる。

「前々から思っていたけど、君は結婚してもそうやって構わずに飲み歩くが、ちょっと頻度が多いんじゃないか?結婚したんだから、少しは考えてくれないと…」

勢いよく言い始めたものの、絵里子にじっと見つめられてしまい、つい尻すぼみ状態になる。

絵里子は冷たい目をしたまま無言だ。

「何か言ったらどうだい?」

沈黙に耐えかねた藤田が言うと、絵里子は待ってましたとばかりに口を開く。

「じゃあ言わせていただくけど、結婚したからって、生活習慣を変えなきゃいけないの?子どもがいるならわかるけど、まだ子供もいないのに、どうして家に縛り付けられるの?私は結婚前と何も変わってないのに、藤田さんが勝手に変わって、私まで変えようとするなんて、おかしいわよ。」

藤田の好きな絵里子の顔が、小さく歪む。

眉根は寄せられ、口角は下がっている。だがそれさえも、藤田は美しいと思ってしまう。

「いや、僕はただ、君と一緒にゆったりした時間を過ごしたいだけだよ。夫婦らしい、安らげる時間を。」

「夫婦らしいってなに?私は今でも十分夫婦らしいと思ってるわよ?今日だって、藤田さんのご家族と一緒に食事したんだし。」

「藤田さんのご家族」と言う言葉に、ピクリと反応する。絵里子がわざと他人行儀な言い方をしているのか、それとも考えなしに言っているのか判別がつかない。

藤田は、有無を言わせない迫力の絵里子の様子に、呆然と立ち尽くすしかなかった。

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絵里子のペースに引きずられる藤田に起こる、さらなる悲劇とは