「大企業に入れば、一生安泰」

昔からそう教えられて育ってきた。

有名大学を卒業し、誰もが知っている大企業に入社。

安定した生活を送り、結婚し子供を育て、定年後は年金と退職金で優雅に暮らす。それが一番の幸せだ、と。

丸の内にある大手総合商社に勤める美貴(26)も、そう信じてきたうちの一人。

シンガポール駐在から帰国した同期の潤は、“the商社マン”のオーラを身につけ、別人のようだった。

潤に刺激を受け、転職エージェントとの面談後少し弱気になっていた美貴は再びやる気を取り戻すが、新たな壁が立ちはだかる…?




「美貴は、いつものタマゴサンド?」

残業中の20時。まだオフィスに残っていた同期の智樹に誘われ、“残業飯”としてサンドイッチの買い出しに行く。

「智樹さ…会社辞めようって思ったことある?」

先週、潤の話を聞いて以来、美貴は同期でありながら毎日浮かない顔をしている智樹のことが気になっていた。

―智樹は、会社に抑えつけられて覇気がない自分に、気づいているのだろうか。

そんなことを思い、美貴は智樹に話を振った。

「俺さ…この間彼女に聞いたんだよ。」

智樹は3秒くらい考えるように黙り込んだ後、神妙な顔で話し出した。思ったよりも重い空気になり、美貴は動揺して手に持っていたタマゴサンドを落としそうになる。

「聞いたって…何を?」

「もしも俺が商社マンじゃなかったら俺と付き合ってたか、って。」

智樹には付き合って半年になる日系航空会社のCAの彼女がいる。

誕生日にはカルティエのネックレスを当たり前のようにリクエストしたり、智樹の麻布十番の家に居座ったりしている様子を聞き、美貴は「何でこんな子と」と思うこともあったが、智樹のように優しい男性にはきっとわがままなくらいの女性がちょうど良いのだろうと自分を納得させていた。

「それで、彼女はなんて…?」

「勿論、商社マンじゃなくても付き合ってるよ、って。」

智樹は一瞬ためらいを見せながらも、続けた。

「それで…じゃあ、俺商社辞めてもいい?って聞いた。」

美貴は嫌な予感がした。智樹の彼女の答えは恐ろしいくらい予測できる。

「そしたら、彼女黙っちゃって。つまり、NOってことな。俺核心ついちゃったの、笑えるよな。」


ネームブランドが強すぎるが故に中身を見てもらえなかった男


「大企業ブランド」ありきの彼女の愛?彼氏に「理想」を押しつける女


美貴には、智樹の悲しい心情も、智樹の彼女の考え方も両方理解ができた。

智樹の彼女の反応と、彼氏の優太に「俺、会社辞めようかな」と言われ「もったいないよ」と咄嗟に返した以前の自分の姿が重なる。

智樹の彼女だって、きっと「商社マンであれば誰でもいい」わけではない。しかし「商社マンである」という前提のもと、智樹を選んでいることは間違いないだろう。

―商社マンと結婚し、大好きな海外で“駐在妻”になり、子供を産んで、安定して不自由のない生活を送る。

智樹の彼女はきっとそんな未来を思い描いていたに違いない。彼氏が商社を辞める、となった場合、皮肉にも“智樹自身”をどれくらい好きかが測られる。また、本当に一生支えられるかという覚悟も問われるだろう。




「智樹が商社マンじゃなくたって、智樹のことを好きって言ってくれる人はいっぱいいるよ!大丈夫!」

美貴は、今の自分が智樹に返せる精一杯の励ましをし、同時に優太の姿を思い浮かべた。

―嫌だけど、とりあえず今の会社にいるよ。

「自分で人生を変えていく意志」を感じない優太の言葉は、安定した生活を送るために嫌々大企業にしがみつき、働き続ける姿を想像させた。

以前はあれほど彼氏にも「大企業ブランド」と「安定」を求めていた美貴だったが、今では優太との未来にワクワクしない。優太はいつも優しく申し分のない彼氏だが、彼との未来を描けないことに美貴は気づいていた。

―自分ではない誰かに「理想」を押しつけるのは、もう終わり。まずは自分がしっかりしないと。

美貴はそんな自分の気持ちの変化を感じながら、優太との関係にちゃんと区切りをつけよう、と思った。


「結婚して安定した生活を送ってほしい」という両親の願い


常に支えてくれた両親の自分への期待


「美貴、おかえり!」

11月の3連休を使って美貴が青葉台にある実家に戻ると、美貴の両親は嬉しそうにドアを開けた。

社会人になると同時に、三田で一人暮らしをしている美貴の実家帰りはGW以来の半年ぶりだ。実家に帰ると、やはり落ち着く。

リビングでくつろぎながら紅茶を飲んでいると、美貴の母が、フルーツケーキを持ってきた。

「この間久しぶりに美貴の高校のママ達と集まったの。咲ちゃん、結婚してもうすぐ子供が生まれるんだってね。咲ちゃんのお母さん、すごい喜んでいたわ。」

-出た、お母さんの遠回しな「結婚はまだ?」ハラスメント…

咲は美貴の高校の同級生だ。クラスは一緒だったが、同じグループで仲良くしていたわけではなく、結婚・妊娠のこともFacebookの投稿で知ったくらいだ。




仲の良くない同級生まで、容赦なく引き合いに出してくる母は本当に恐ろしい。

20代半ばに差しかかり、同級生でもちらほら結婚する子が出てくるようになってから、美貴はなんとなく実家に帰りづらくなり、実家に帰る頻度も以前より少なくなっていた。

「お母さん。私、結婚はもう少し考えたい。それよりも今は仕事のことをちゃんと考えたいの。」

「美貴、仕事のことを考えるってどういうこと?今は立派に商社に勤めてるし、何の不自由もないでしょ?」

美貴の母は、娘の思いがけない一言に驚いたのか、強い口調で返す。

「たしかに生活的には不自由ないけど、自分がやりたい仕事にチャレンジしたいって気持ちも生まれてきたの。転職も少し考えてる。」

自分の素直な気持ちを母に打ち明けたが、母はキッと牙を剥いてきた。

「美貴、あなた何を言ってるの?あんなに頑張って大学受験して、苦労して就職活動して、商社に入ったのよ?安定した生活を捨てるなんてバカなこと考えないでちょうだい。」

美貴の母は、娘の考え方の変化に驚いたのか、興奮し、徐々に声のボリュームが大きくなる。その反論の仕方は、美貴に反論する余地を与えなかった。

「結婚もしないで、これから一人でどうするの?美貴がこんなことを言うなんて、誰かに何か言われたの?」

少し興奮が落ち着いてきたのか、美貴の母は悲しい表情を浮かべた。

「美貴には、大企業で働いて結婚して子供を育てて、安定した生活を送ってほしいの。それだけがお母さんの願いよ。お父さんも美貴が商社に入って喜んでたのに、悲しむわ。」

有名私立女子校から慶應大学に進学させてもらい、いつも支えてくれた両親への感謝の気持ちは大きい。だからこそ、母の悲しそうな顔に美貴の胸が痛む。

「お母さんやお父さんを悲しませたくないけど、これは私の人生だから…」

美貴は絞り出すような声で、母に訴えた。

優太と別れて自分だけで新しいスタートを切ろうとしていた美貴は、また乗り越えなければならない大きな壁を見つけたのであった。

▶NEXT:11月24日 金曜更新予定
「タイミングは今なのか?」悩める美貴の決心までの道のり。