ペルー代表の“仇敵”が英雄に… 36年ぶりW杯出場に導いた指揮官の数奇な運命

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9大会ぶりの歓喜をもたらしたアルゼンチン人のガレカ監督

 ペルーはニュージーランドとのロシア・ワールドカップ(W杯)予選大陸間プレーオフを2戦合計2-0で制し、1982年スペイン大会以来36年ぶりとなる本大会出場を決めた。

 1986年メキシコ大会の予選でペルーを敗退に追い込んだ張本人のリカルド・ガレカ監督が、“ロヒ・ブランカ”(赤と白)を再び陽の当たる場所に引き戻すことになった。

 敵地での第1戦を0-0で終えていたペルー。本拠地に戻っての第2戦は前半27分に左サイドのMFクリスティアン・クエバのラストパスを受けたMFジェフェルソン・ファルファンが、右足の強烈なシュートをゴール上段に突き刺して先制した。かつてシャルケでDF内田篤人と名コンビを築いたファンルファンはベンチに駆け寄り、薬物検査をパスできずに出場停止処分を受けた主将FWパオロ・ゲレーロが着ていた9番のユニフォームを掲げるゴールセレブレーションを披露。感極まり、思わず涙も浮かべた。

 後半20分にはCKからDFクリスティアン・ラモスが追加点を奪った。2-0で勝利したペルーは2戦合計スコアも2-0で悲願の本大会出場権を獲得。9大会ぶりの出場は初参戦のアイスランドとパナマを除き、最も大きなブランクを経ての出場となる。

暗黒時代を呼び込む一撃を決めた男が…

 そして、ペルーを率いるガレカ監督は、自らが背負っていた大きな十字架から解放されることになった。このアルゼンチン人指揮官は、1985年に行われたW杯南米予選にアルゼンチン代表の一員として出場していた。ペルーが勝てばアルゼンチンを逆転できる状況で迎えた最終節での直接対決、ペルーを敗退に追い込む値千金の同点ゴールをマークしていたのが、このガレカ監督だった。

 ぎりぎりのところで予選突破の夢を絶たれたペルーはそれ以降、8大会連続予選敗退という暗黒時代を突き進んでいたが、ついにその受難の時代も終焉を迎えた。

 大手放送局「CNN」のスペイン語版は、「ペルーの最後のW杯は1982年。1985年にアルゼンチンのリカルド・ガレカが86年メキシコ大会出場を妨げる“死刑執行人”となったが、同一人物のガレカが監督としてペルーをW杯に連れ戻した」と、このエピソードを報じている。

 ロシアW杯出場のラスト32カ国目の決定の裏には、あまりに劇的なドラマがあった。

【了】

フットボールゾーンウェブ編集部●文 text by Football ZONE web

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images