「Thinkstock」より

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●それはほんとうに「正義感」なのか?
 
 他人の粗探しをする人は、どこにもいるものだ。本人は正義感を振りかざしているつもりなのだろうが、傍から見れば、どうでもいいことに「いちゃもん」をつけているようにしか思えない。昔からこの類の人物はいたが、ネット時代になってから、このような「正義」の仮面を被った攻撃行動が非常に目立つ。

 歌舞伎役者・市川海老蔵の妻の元アナウンサー・小林麻央さんが闘病虚しく亡くなったのは、多くの人びとに大きな悲しみを与えた。誰もが海老蔵に同情した。
 
 ところが、麻央さんが亡くなって5日後に、海老蔵が幼い子どもたちを連れて東京ディズニーランドにいるのを目撃され、ネット上で批判されるという事態が生じた。まだ妻の死から1週間も経ってないのに切り替えが早すぎる、喪に服すべきなのに立ち直りが早すぎるというのだ。だが、そんなことは他人が首を突っ込む問題ではないはずだ。

 家庭の事情など他人にわかるものではない。幼い子どもたちを元気づけたいということかもしれない。海老蔵にしても、ディズニーランドに子どもたちを連れて行ったからといって、妻の死によるショックから立ち直ったと他人が決めつけるのはどうなのか。本人は、落ち度のある人物を批判することで正義感を発揮しているつもりなのだろうが、果たしてそれは落ち度と言えるだろうか。

 ネット上の批判が異様に盛り上がるのが、著名人の不倫ネタだ。
 
 2016年のはじめ、音楽バンドのボーカルで既婚者の川谷絵音との不倫が報じられ、約3カ月の活動自粛を経て同年5月に復帰を果たしたタレントのベッキーも、激しいバッシングにあった。

 不倫が責められるのは当然のことではある。だが、しょせん自分にはまったく縁のない芸能界の話なのに、なぜそこまでムキになるのだろうか。不倫相手の奥さんへの謝罪がなかったといった批判が渦巻いたが、奥さんがどんな人かもわからないし、そもそも夫婦関係がどうなっていたのかもわからない。
 
 事情もわからないのに、奥さんまで引き合いに出してベッキーを叩く人。それは、果たして正義感で動いているのだろうか。

 2020年に開催予定の東京五輪で使用されるエンブレムのパクリ疑惑が大騒動となったのも記憶に新しい。エンブレムに当初採用されたデザイナー佐野研二郎氏のデザインに対して、「ベルギーのリエージュ劇場のロゴに似ている。盗作だ」とし、そのロゴの制作者から日本オリンピック委員会に使用差し止めを求める文書が送られてきた。これにより盗作疑惑が浮上し、盗作を否定する佐野氏も、ついに作品を取り下げざるを得ない事態となった。

 気になったのは、そうした騒動に便乗し、佐野氏の過去のありとあらゆる作品を検索し、それらと類似した作品を必死になって探しまくる人たちの存在だ。ちょっとでも似たものを見つけると、あたかも鬼の首を取ったかのように「このデザインはこれと似てる、パクリだ!」といった主旨の書き込みをする。毎日数千のツイートがあり、最も多い日は1万件を超えた。

 なんの縁もない人物、しかも政策問題などと違って自分たちに影響することもない事案に対して、多くの人がなぜそこまでムキになるのか。なぜそんなに興奮するのか。仕事をしているときよりもはるかに情熱を注ぎ、充実を感じていたりする。

 こうした現象が起きるたびに思うのは、興奮しながら批判する人たちを動かしているのはけっして「正義感」ではないということだ。

 このような人たちの深層心理を分析し、「正義」の仮面を被った「危ない人」から身を守るためのヒントを示したのが、筆者の最新刊『正しさをゴリ押しする人』(角川新書)である。            

●「正義」の仮面を被った「危ない人」にみられる9つの特徴
 
 では、そのような人たちを動かしているのが正義感でないとすると、いったいなんなのか。そこに漂うのは、「正義」の仮面を被った「攻撃性」。心理学の世界でよく知られている欲求不満-攻撃仮説が見事に見抜いているように、その攻撃性の背後にあるのは欲求不満だ。

 輝きたいのに輝いてない自分。活躍したいのに活躍できない自分。注目されたいのに注目されない自分。賞賛されたいのに賞賛してもらえない自分。思うようにならない現実のなかで鬱積した欲求不満が攻撃性を生むのである。

 このタイプを「正義の人」と勘違いして、うっかりかかわりを持つと、とんでもない目に遭いかねない。こちらがいつ攻撃のターゲットにされるかわからないからだ。そうした被害から身を守るには、このタイプの特徴を知っておくことが必要である。

 そこで、「正義」の仮面を被った「危ない人」にみられる9つの特徴をあげるので、参考にしていただきたい。

(1)自分と考えが違う人を批判する
 
 ひとつの見方に凝り固まり、自分以外の視点を想像できない。自分はこんなふうに考えるけど、立場が違えばものごとの見え方も違うし、人によっては違うふうに考えるかもしれない、といった発想がない。自分の見方が絶対に正しいと思い込むため、自分と違う考え方をする人がいると、「それは間違ってる」と攻撃したくなる。

(2)相手の反応を気にしない
 
 相手の反応を見ながら、興味なさそうだったら話題を変え、共感している様子だったら詳しく話すというように、コミュニケーションには相互性が必要なはずだが、このタイプは相手の反応に関係なく一方的に言いたいことをまくし立てる。相手の様子などまったく眼中にないのだ。

(3)自分は特別といった雰囲気がある
 
 こっちには頼み事をしてくるくせに、こっちが頼むと「忙しい」とか「ちょっと無理」などとあっさり断る。困ったことがあるとすぐに相談してくるのに、こちらが困っていても平気で知らん顔をする。

 だからといって、頼み事や相談事に対して、「今ちょっと忙しいから」と言ったりすると、ムッとした感じになり、嫌味を言ったりする。このように自分は特別といった意識があるため、ギブ・アンド・テイクが成り立たない。

(4)親しくなると極端に遠慮がなくなる

 ちょっと親しく言葉を交わすようになると、極端に遠慮がなくなり、ずうずうしい感じになる。いったん誘いに乗ると、しょっちゅう誘ってくる。うっかり愚痴の聞き役になると、しょっちゅう愚痴をこぼしに来る。相手の都合などいっさい考えない。

 これはたまらないと距離を置こうとすると、それまでの和気あいあいとした雰囲気が一変して攻撃的になる。

(5)他人をコントロールしようとする
 
 自分の価値観や考えが絶対に正しいと思い込み、人それぞれに考え方や生き方があるということを認めることができない。そのため、かかわる相手の考えや生き方が自分と違うと、それを無理やり変えさせようとする。

(6)自分を否定されたと思うと逆上する

 バカにされやしないか、軽く見られはしないかといった「見下され不安」が強く、自分の意見や提案に周囲が賛同してくれなかったり、疑問を投げかけられたりすると、あたかも自分を否定されたかのように攻撃的な態度に出る。大声で反論したり、嫌味を言ったり、いじけたり、そこまでムキになるかと周囲が呆れるほど感情的な反応を示す。

(7)人に対する評価が極端に変わる
 
 ちょっとしたことで人に対する評価が一変する。それまで信奉していた相手のことを「見損なった」などと批判し始める。それまで親しくしていた相手のことを「裏切られた」などといってこき下ろすようになる。思い込みが激しく、相手を勝手に理想化する習性があるため、何か気にくわないことがあると、裏切られたような気持ちになるのである。

(8)他人の成功に落ち込み、他人の幸せに苛立つ
 
 比較意識が人並み以上に強い。そのため、同僚が仕事でうまくいくと、言葉では祝福しながらも、「それに比べて自分は……」と内心落ち込み、ときに陰で悪口を言ったりする。友だちに恋人ができたり結婚が決まったりして幸せそうにしていると、みじめな気持ちになり、苛立って嫌味を言ったりする。

(9)悪者を叩くことに異常に執念を燃やす
 
 本当に相手が悪い場合でも、周囲の人間が「そこまでしなくても」と思うほど徹底的に攻撃する。落ち度のある人物や組織を批判するのはわかるが、その叩き方が容赦ない。悪者を叩くという行為に恐ろしいほどの執念を燃やす。

 どうだろうか。これらが当てはまる人物が周囲にいないだろうか。すべて当てはまるといったケースは少ないかもしれない。だが、いくつかでも当てはまる人物が身近にいたら要注意である。恐ろしい攻撃性を秘めている可能性がある。

 噴出しそうな攻撃性のはけ口として、落ち度のあるターゲットを探している。ちょっとしたことで攻撃のターゲットにされかねないので、適度に距離を置くようにしたい。

 もし、自分自身も当てはまるかもしれないと感じる場合は、人間関係を悪化させないためにも、まずは日頃の生活を充実させることを考えたい。自分自身の欲求不満や攻撃性に気づくことができるのだから、改善する力は十分にあるはずだ。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)