「とにかくおカネを稼げる話がきたら何でもやってました」(写真:筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第16回。

テレビをつければアイドルたちが華やかな衣装を身にまとい歌を歌っている。イベント会場に出掛ければコンパニオンたちが、催し物にちなんだコスチュームを着て笑顔を振りまく。近年ではハロウィーンパーティなどコスプレ文化が盛んで、趣味でさまざまな衣装を着る人も増えた。


すまきゅーさんの作業場にて(写真:筆者撮影)

今回ご紹介するCHOCOLATE CHIWAWAのすまきゅーさん(46)は、そんな衣装やコスチュームを製作している。

最近引っ越したばかりだという作業場に伺った。作業台の上には4台ミシンが並んでいて、製作途中の衣装が置かれている。忙しい中、作業の手を止めてもらって、話を聞かせていただいた。

楽しみは読書とテレビだけ


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すまきゅーさんは北海道の十勝生まれ。人の数より牛の数のほうが多いような、小さな町で生まれ育ったという。

「一人っ子で、楽しみは読書とテレビだけでしたね。学校では帰宅部で、いつもいかに早く家に帰るかってことばかり考えてました。知り合いが通学路で帰宅中の私を見掛けても、声をかけるのをためらうほど必死な顔でいつも歩いていたらしいです(笑)」

1日中テレビをチェックして、気になる番組はVHSレコーダーで録画していた。膨大な数のビデオテープはいまだ捨てずに保存してある。

高校を卒業したら、北海道を離れ東京に行こうと決めていた。北海道内なら札幌が都会だが、実家から札幌は自動車で6時間もかかる距離にあり、何があるかほとんど知らない札幌よりも、テレビで慣れ親しんだ東京のほうが、心の距離は近かった。

「卒業したら東京に行くって決めていたので、高校時代はとにかくおカネを貯めようってアルバイトしまくりました。そもそも働くのが好きなんですよ」

高校時代は学校に行くというのがどうにも解せなかった。学校は特に行きたい場所じゃないのに、時間は拘束されるし、おカネまで払わされてしまう。それに比べてアルバイトはいい。とにかく行きさえすればおカネになる。

実家は中流家庭でおカネに困っているワケではなかったのだが、気づけばなぜかそんな考え方になっていた。

「当時、うちの近所のアルバイトは一律時給400円でした。確か法律上の最低賃金は時給450円だったんですが、なぜかそれよりも安い時給で統一されてました。それでも5時間働けば2000円になるんだ!!って喜々として、スーパー、文房具屋、ドライブイン、とどこでも働いてましたね」

クラスメートは試験中はアルバイトを休んで勉強していたが、すまきゅーさんは「いまさら、数日間勉強したって変わらないだろう」と開き直って、アルバイトを続行した。

服飾のスキルがあれば、とにかく生きていける

そして卒業後は高校生にしてはそこそこの貯金を持って、予定どおり東京の専門学校へ進学した。服飾の専門学校を選んだ。

絵も好きだったので、美術系の専門学校へ行こうか迷ったが、現実的に職業として成り立つ可能性が高いのは美術より服飾だと思った。

「服飾の専門学校に行くからといって、将来服飾デザイナーになりたいとか思っていたわけでは全然なかったですね。町のお直し屋さんでもいいし、服飾の工場に入ってもいい。服飾のスキルがあれば、とにかく生きていけるなって思いました。

私の母親は美容師だったので、美容学校に行ってもらいたかったみたいなんですけど、私は1対1でお客さんと向かい合うのが苦手なのでやめました。服を作るのは裏方の作業ですから接客しなくていいなって思ったんです」

服飾の専門学校は2年制の学校だったが、とても厳しかった。欠席7回で留年してしまう校則だったのでほぼ毎日学校に通わなければならなかったし、課題の量も多く、それをこなすだけでいっぱいいっぱいで大好きなアルバイトもできなかった。

周りの人たちは学校を辞めていき、すまきゅーさんも辞めたくなったが「入ったんだから最後までちゃんとやりなさい!!」と母親に説得されて、なんとか卒業した。

学校にはちゃんと通っていたものの、就学中にいっさい就職活動はしなかった。

卒業した後は、2カ月間ほどブラブラして、その後短期契約の仕事に就いた。

「最初に働いたのはクリーニングの検品のバイトでしたね。クリーニングに出された服のポケットの中など物品が入ってないか探す仕事です。

私、短期の仕事好きなんですよね。ずっと同じバイトをするのって嫌で。期間を決めていろいろなバイトをしたい派なんです」

アルバイト生活で暮らしていたところ、知り合いから編集プロダクションがアダルト本のデザイナー(レイアウター)を探しているという話を聞いた。

「デザイナーの知識はまったくなかったんですけど『やればできるんじゃない?』って言われて、じゃあやってみるかって入社してみました。まだパソコンでデザインする時代じゃなくて、レイアウト用紙を使っての手書きデザインを一から覚えました」

仕事はすぐに身に付き、以降8年間その会社で働くことになる。

すまきゅーさん以外は全員男の、なかなかむさ苦しい会社だった。

通勤が嫌いで…

「私、通勤が嫌いなんですよね。交通費かかるし、時間もかかるし。なのですぐ会社に住み始めました」

会社の床に気泡緩衝材(いわゆるプチプチ)や新聞紙を敷いてその上に寝た。

働いていると昼は会社からコンビニ弁当が支給され、夜は社長がご飯をご馳走してくれたのでほとんどおカネは使わずにすんだ。

ほとんど風呂には入らず、給湯器で頭を洗っていた。

小さい頃からサバイバルごっこが好きだったので、なんだか楽しかった。

「今思えばひどく非衛生的なんですけど、当時は何にも思わなかったですね。頭洗っていて、ふと後ろを向いたら副社長が立っていてビックリしたのを今でも覚えています(笑)」

しばらくして、ライターなどのたまり場になっていた会社近くに住む編集の家に転がり込んで寝泊まりをはじめた。もともと住んでいた家は、空けていてももったいないので知人に又貸ししてしまった。

最初は10万円だった給料だが、すぐに20万円以上もらえるようになる。それだけで食うには困らなかったが、締め切りさえ守れば、ほかは何をしていても怒られない職場だったので、セッセと副業に励むことになった。

「とにかくおカネを稼げる話がきたら何でもやってましたね。テレクラのサクラや、派遣型風俗店の電話番とか、裏っぽい仕事もしましたよ。私、世の中の裏を見るのがすごい好きなので、一般の人がやりたがらない仕事も進んでやりたいんですよね。何の縁もゆかりもないのに『働きます』って言った途端に企業秘密を見せてくれたうえに、おカネまでくれる。最高ですよね!!」

おカネ稼ぎはアルバイトだけに収らず、パチスロにハマっていた時期もあったという。

「周りの人たちがみんなパチスロにハマってて、私もつい1冊パチスロの雑誌を買っちゃったんです。それがなんか悔しくって。買ってしまったからには、勝たなければ!!って思って、それから毎日開店から閉店までパチンコ屋さんに通うようになりました。毎日データを取って、ご飯も食べずに打ち続けて、結果的に結構稼げましたよ」

すまきゅーさんは大体のことを楽しいと思える性格なので、どんな仕事をしていても毎日ワクワクして過ごせた。

貯金するのも楽しかった。数字が増えていくのがうれしかったし、将来的には家が欲しいと思っていた。仮に家を建てるのに1億円かかるとしたら、1日7万〜8万円稼げば3〜4年で買うことができる。「これは、いけるんじゃないか?」と思って頑張って貯めた。

「さすがに1億円貯めるのは無理でした(笑)。でも27歳のときには1700万円の貯金ができました。なかなかですよね? このままおカネをもっと増やすにはどうしたらいいだろうと考えた末、お店を出そうと決めたんです」

働いていた編集プロダクションの経営がうまくいかなくなってきていたのも、お店を始めようと思った理由だった。仕事は激減し、月に4日くらいしか仕事がなくなってしまった。なぜかちゃんと給料は支払われていたが、台所具合は相当厳しかったらしく、社長におカネを貸してほしいと言われたりした。

古着のリサイクルショップを出すことに決めた。場所は古着の街として知られる、高円寺、お店の名前は「CHOCOLATE CHIWAWA」に決めた。

「古着なら、周りの人からいらない服を回収してきたり、委託で預かったりすれば仕入れ値はかからないので、リスクは少ないだろうと、軽い気持ちで始めました」

貯金を増やそうと思って始めたお店だったが、残念ながら貯金は増えず、逆にジワジワと減り始めた。

「まず、正直あまり売れないんですよね。それと私はお人よしなので委託で売れた場合、ほとんど委託元に渡しちゃってたんですよ。1000円で売れたら、800円とか……。なので、ほとんど儲からなかったんです」

儲からないのも困ったが、商売をして初めて気づいた困った点もあった。

「初めてのお客さんがお店に入ってきたとき『あ、しまった!! これ接客業だ!!』って気づいたんですよね。自分がほとんどアパレルショップに行かないから、古着屋が接客業だって本当にそれまで思ってなかったんです。お客さんの中には話しかけてくる人もいるし、ましてや値切ってくる人もいるし、最初のうちはホントに怖かったですよ」

ちょっと変わった人が集まってくる店に

そんな先行き不安な船出だった。店を始めてすぐに、案の定、編集プロダクションは倒産してしまい、すまきゅーさんはCHOCOLATE CHIWAWAを中心に生計を立てることになる。

「他力本願なお店にしたかったんですよね。周りが勝手に作ってくれるお店です。幸いに店内には広めのスペースがあったので、そこでイベントをさせてくれという人が集まってきました」

そうしてCHOCOLATE CHIWAWAにはちょっと変わった人が集まってくるようになった。

店内でお芝居をする人、音楽ライブをする人、映画を撮る人、さまざまな人たちが集まってくる。

それに伴い扱う商品も、普通の古着から、だんだんとコスチューム系の服が多くなっていった。お店は高円寺のサブカル空間として盛り上がっていったのだが、すまきゅーさんは盛り上がりとは別に派遣登録会社にハマっていった。

「登録するだけでいろいろな仕事ができるってすごい楽しくて、何社か登録して面白い仕事はなるべく行くようにしてました」

たとえば、防衛省の会議のときに傘を預かる仕事、天皇誕生日に陛下がお話しする際のカラーコーンを出す仕事、会社に仕掛けられた害虫駆除シートを回収する仕事……などのアルバイトをした。

「いちばんうれしかったのが総火演(富士総合火力演習の略。静岡県で実施される陸上自衛隊の演習)でのバイトですね。見学に行きたかったんですけど、抽選で外れちゃって。そんなときに総火演で焼きそばを売るバイトを見つけて!! リハーサルを見られて、おカネももらえて本当にうれしかったです」

飲み会の席にかかってきた1本の電話から

そんな楽しげな日常を過ごす中、現在のすまきゅーさんの収入の中心になる衣装製作の依頼が来た。

きっかけは、たまたま飲み会に顔を出したときに、同席した女の子宛てにかかってきた1本の電話だった。女の子はしばらく話した後、

「すまきゅーさんって縫い物できたよね?」

と聞いてきた。

電話の相手は芸能関係のスタイリストで、急きょ縫い物ができる人を探しているという。

「有名なバンドの衣装製作の話だったんです。ひとそろえ、明後日までに作ってほしいという依頼でした。なかなかタイトなスケジュールでしたけど、私そういう修羅場な現場に燃えるタイプなんですよ。迷わず、『やります!!』って答えました」

はたして、そのバンドがパンフレットに使用する衣装を注文どおりに仕上げた。

その仕事でスタイリストさんと縁ができて、衣装、コスチューム製作の仕事が回ってくるようになった。


人づてに仕事の輪は広がっていって…(写真:すまきゅーさん提供)

歌手やアイドルグループのライブ衣装、お笑いタレントの舞台衣装、などをそつなくこなしていくと、だんだん人づてに仕事の輪が広がっていった。

衣装を担当したタレントから直接企業に話が行き、その企業からすまきゅーさんに依頼が来るケースもあった。

口コミで一般の人にも話が伝わって、コスプレ用の衣装の発注が来た。


提示額があからさまに安ければ断るしかないけれど…(写真:すまきゅーさん提供)

現在では、芸能界関係が2割、コスプレ公式(ゲームショーなどのブースのコンパニオンが着る企業公認のコスチュームなど)が4割、一般の人からの依頼が4割、の割合で仕事が来ている。

「衣装、コスチューム製作に関しては、1回も営業をしたことはないです。値段に関しても大体の見積もりは出しますけど、相手が額を提示してきたらそれで受けます。もちろん提示された額があからさまに安い場合は断るしかありませんが、そういうケースは今までに1度しかありませんでしたね」

たとえば、すまきゅーさんが「3万円の仕事だな」と思っている仕事に対し「2万円でお願いします」と指定された場合、2万円のレベルで製作するようにするという。

衣装の使い道によって


1回の撮影だけの着用なのか、継続して着用する衣装なのかで仕上げは変わってくる(写真:すまきゅーさん提供)

衣装、コスチュームの場合、見栄えがいちばん大事なので、見える部分はキチンと処理をしなければならない。逆に、見えない部分は簡単な処理にすることもできる。1回の撮影だけで用済みになる服の場合は、簡単な処理で十分だという依頼主もいる。

逆に何度も使用する舞台衣装などは、洗濯に耐えうる素材や縫製で作らなければならないため、どうしても値段は高くなるという。

「現在1日に平均して1〜2アイテムは余裕で作ってますね。完成した作品の写真を撮るヒマがないんですよ。『できたらすぐに発送しないと間に合わない!!」 という感じで。製作は基本的に全部1人でやっているので、忙しいときは縫っても縫っても終わらなくて。本当に眠れないですね」

宣伝をしない個人業者に対して、これだけの量の仕事が来るというのはかなりの成功だと思える。すまきゅーさんに仕事が来る理由は何なのだろうか?

「正直、私がやっている作業というのは、専門学校に通ったら身に付くスキルで十分賄えます。誰でもできる、と言ってもいいかもしれません。それでも私に依頼が来るのは、単純に私のフットワークが軽いからだと思います。時間が足りなかったり、忙しかったりしても、仕事を受けちゃいますからね(笑)」

どんな仕事でも楽しむタイプなので疲労している自覚はなかったのだが、いつの間にか体は悲鳴を上げていたらしい。ある日気づくと、おでこの上に小さいハゲができていた。

「最初は小さかったんですけど、ドンドン抜け始めて、最終的にミカン大のサイズまでハゲが大きくなりました。半年経っても治らないので、これはさすがにストレスや疲れがたまってるんだなと気づきました」

その頃、ちょうど高円寺の実店舗が老朽化によって取り壊すという話が出た。


在りし日の店舗(写真:すまきゅーさん提供)

大家からは、「もし移転するなら引っ越し代は出すし、再建築後に続けてもよい」と言われたのだが、この際もうやめてしまおうと思った。

「仕事を縫い物だけにしたらハゲは治るんじゃないかな、と思ってたんですけど、本当に治りました(笑)」

そうしてCHOCOLATE CHIWAWAは今年(2017年)の6月15日、オープンからちょうど18年で閉店した。

サブカル好きの人たちが集まるにぎやかなお店だっただけに、SNS上では惜しむ声も上がっていた。実店舗がなくなったとき、すまきゅーさんはどう感じたのだろうか?

「いやあ、そう思っていただけるのはありがたいんですけど……。正直、個人的には寂しいとかは全然ないんですよね。

長く続いた店が終わるとき『これまでどうもありがとう!!』とか感動的にSNSに載せる人いますけど、私は別にそういうのいいかな〜って、特に何もなくささっと店じまいしちゃいました」

すまきゅーさんは、店舗に関してはクールな考え方をしていた。

そもそも、高円寺に居を構えていたのも、「古着屋といえば高円寺」という理由からであり、お店を辞めたら高円寺に居続ける意味はなくなった。

「高円寺という街にも特に思い入れはないんですよ。私は本当はもっと落ち着いた一軒家が並ぶ住宅街のほうが好きなんです。新しい作業場は布の問屋街の近くにしました。依頼が来たら、すぐに材料を買いに行けるから合理的なんですよ」

現在CHOCOLATE CHIWAWAは、実店舗ではなく、コスチュームを受注生産する会社の屋号になっている。

「仕事と遊びの区別がないんです」

相変わらずの忙しさで、まだ引っ越しの荷物の整理すらできていないが、実店舗がなくなった分、少しだけ余裕ができた。

最近は時間を見つけては、交通量調査や、分譲マンションの駐輪場の案内などの、派遣型のアルバイトに足しげく通っているという。

「私は仕事と遊びの区別がないんですよね。毎日遊んで暮らしてるけど、毎日仕事してるっていう感じなんです。服を作っているのも、アルバイトしてるのもどちらも楽しいですね。

昔から時間の経つのがとても早く感じるたちで、これまでの46年あっと言う間だったなって印象です。だからこの後もあっという間に過ぎていくんだろうから、やりたいことは何でもやっておかないと!!って思って暮らしています」