はた目には順風満帆に見える野球人生にも、挫折があった

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 中学1年の秋に入団した調布シニアで打者に専念した清宮幸太郎は、規格外のパワーですぐさま「3番・一塁」の定位置を獲得した。

 順調に歩みを進めるはずだったシニアで、落とし穴が待っていた。

 中学2年の春、不振に苦しんだ。リトルではバットを振れば安打を量産できたが、とらえたはずが簡単に詰まらされ、タイミングを外されてバットが空を切った。

 原因は、ピッチャープレートからホームまでの距離が伸びたことによるタイミングの違いにあった。リトルでは14・02メートルだったが、シニアでは一般と同じ18・44メートルと4メートル以上の差がある。

 調布シニアの安羅岡一樹監督(55)は「距離が伸びる分、タイミングが取りやすくなると思えるかもしれませんが、リトルでは『1、2』で振っていたところを『1、2、3』と微妙に間を作らないといけない。相手の球速も上がる中でタイミングが狂ってしまうことはよくあるんです」と当時を振り返る。

 それでも、持ち前の対応力で徐々にコツをつかみ不振から脱したが、本当の試練は中学2年の2月にやってきた。

 練習のシート打撃で一塁を駆け抜けた際、腰に手を当ててうずくまり、動けなくなった。都内の整形外科医による診断結果は「腰椎の疲労骨折」。全治には半年が必要とされた。

 「幸太郎にとってシニアの時代は地獄だったと思いますよ。バットも振れないし、ボールも投げられない。せっかく野球がどんどんうまくなる時期なのに、ろくに動けなかったのですから」と安羅岡監督。

 「リハビリに専念しても、練習には必ず顔を出す」と安羅岡監督と約束した幸太郎は、グラウンドを駆け回るチームメートを横目に、球場の隅で体幹トレーニングを黙々と続けた。

 他にできることはボール拾いやノックの補助。文句ひとつ言わずにこなす幸太郎はチームメートから厚い信頼を得て、副主将を任された。

 「仲間が私に叱られたりすると、すぐに近寄ってフォローしていました。あの子は全くおごることもなくて本当に優しい」と話す安羅岡監督。

 シニアではプレーで結果を残すことができなかった幸太郎だが、精神面で大きく成熟していった。(片岡将)