兄弟三味線奏者の吉田兄弟が、映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(11月18日全国公開)で、エンディングソングとなる「While My Guitar Gently Weeps」を演奏している。【取材=桂 伸也/撮影=冨田味我】

 今年の『第30回東京国際映画祭(2017)』にも特別招待作品として出展された、映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』は、『コララインとボタンの魔女 3D』などを手掛けた大手アニメーションスタジオ・LAIKA制作によるストップモーションアニメ。昔の日本を舞台に、魔法の三味線と折り紙を操る片目の少年・クボが、両親の仇である宿敵・月の帝と対峙する中で、出自の秘密を探る壮大な冒険に挑む姿を描く。

 本国版のボイスキャストにはテレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」などに出演したアート・パーキンソンをはじめ、シャーリーズ・セロン、マシュー・マコノヒー、ジョージ・タケイら著名な俳優陣が参加する一方で、美しい映像描写で描かれる、海外の人から見た日本の魅力的な姿も特徴的な作品となっている。

 吉田兄弟が演奏する曲「While My Guitar Gently Weeps」は、故・ジョージ・ハリソンが手掛けた作品。故人が所属していたザ・ビートルズの曲としても有名なナンバーで、その印象的なメロディを、吉田兄弟は三味線で演奏することによって、タイトルを彷彿させる光景とともに映画の情景を表現している。

 古来の日本を描くという大きなポイントを持つこの作品と、日本の象徴的な楽器・三味線の代表的な奏者である吉田兄弟のコラボレーションは、ある種大きな意味を持つものでもある。

 今回は吉田兄弟に、この映画への参加に対するアプローチを振り返ってもらうとともに、映画の印象や、映画を通じて感じた三味線音楽の可能性などを語ってもらった。

「三味線である意味」を意識しました

吉田良一郎、吉田健一

――今回、この映画のエンディング曲としてお二人がプレーしている「While My Guitar Gently Weeps」ですが、この楽曲自体は以前からご存じの楽曲だったのでしょうか?

健一 曲自体は、実は昔に、僕のソロライブで演奏したことがあったんです。もう3〜4年前になりますが、その経験からも、三味線でやっても大丈夫な曲だという思惑が、自分の中にあったんです。ただ当時は、メロディをそのまま弾くというだけで、半分はちょっとお遊びみたいな感じでやっていたんですけど…タイトルも「While My “Shamisen” Gently Weeps」と紹介して(笑)。

 今回こういうお話をいただいた時に、英語版の方は歌が入っているけど、自分たちのプレーではどれだけ三味線感を出せるかということをテーマとしました。歌じゃないものにした場合に、ただメロディを三味線でやってもそれほど意味はなくて「ギターでいいじゃん?」という話になってしまうので、やっぱり三味線らしい力強さとかアドリブ、後半にかけてどう盛り上げるか、というところでフレーズの作り方とか、そこはかなり意識して取り組みました。

――確かに、海外の方から見れば、三味線はギターという感じなのかな、と。

良一郎 そうですね。まあ「ジャパニーズ・ギター」って。

健一 いつも僕らがアメリカとかに入国する時は、「ジャパニーズ・ギター」と説明します。または「ジャパニーズ・バンジョー」ですかね、近いところでは。

――なるほど。この楽曲自体は、オファーをいただいた時には、既に指定されていた格好ですか?

健一 いや、「一緒に何かをやりたい」という話があった時に、「ではどういう風にプロモーションの課題としていこうか」とお互いに意見を出し合った時に、逆に僕らは「いや、だったらあの曲であれば」と言ったんです。ライブでやった経験もあるから、絶対に三味線で良いものができるという自信もあったので、こちらから「どうでしょう?」と提案をさせていただきました。

――この曲は最初にマイナーキーで、途中でメジャーキーのメロディに変わりますが、敢えてメジャーのところを弾かれていないように聴こえたのは、“三味線”ということを生かしてのことかと思いました。

健一 メジャーキーの部分でも、実は弾いているところもあるんです、弾き方を変えて。ただ弾かないのであれば意味がないので、優しく弾いたりとか、三味線の幅の中でどう違いを見せていくかということは、結構考えましたね。

吉田良一郎

――三味線を前面に出すという部分には、いろんな苦労がありそうですよね。この映画のテーマということで考えられたことはありますでしょうか? 日本という舞台でもありますが、演奏面ではどう反映されたのでしょうか?

健一 僕が最初にこの映画を見た時に印象に残ったのは、場所ではなく、出てくる民謡だったりというところなんです。実は序盤に出てくるお祭りのシーンなんかで使われている曲が、九州の曲だったりするんですよね。だから最初はそっちの方で攻めていくのかなと。でもやっぱり途中、折り紙をどんどん折っていくシーンなんかは、かなり津軽三味線のイメージを表現しているような…。

――雪が舞うようなイメージですよね。

健一 そうです。たぶん僕らも、両方ともおそらく要求されているものというか。先程の「津軽三味線の激しいところと、メジャーキーになった時に優しく弾く」というものもそうなんですけど、両方求められているのだと。なのでそれは確かに意識しましたね。民謡の良いところと、津軽三味線っぽいところと、合わせて洋っぽいところというか。

良一郎 もともと歌が入っていたものだったから、そっちじゃない方に行きたいな、と思ったんです。僕たちがプレーする津軽三味線は、最後は細かくなって駆け上がっていくという感じがありますので、それはちゃんと盛り込んでいきたいなというところは、強く意識しました。

――それはやっぱりご自身のプライドみたいなところですかね? 意味を強く見せるというか。

良一郎 まさしく! 先程言った「三味線である意味」というか、その辺はすごく意識しました。

――プレーに関しては、アレンジャーの井上(艦)さんとのやり取りが主ですか?

健一 基本的に楽曲に関してはそうですね。まさに僕が以前にこの曲をプレーした時は、その彼とやっていたということもあって、最初に話した時にも「あの曲だったら、絶対に問題ない」という言葉をもらっていました。

――では自信をもって日本の文化を、という…。

健一 そう、だから最初は敢えて、メロディもすごくシンプルに、単音で見せていって、後半はもう畳みかけるように演奏していくというスタイルを、今回はとっています。

映画にはリスペクトが感じられた。それがなければ、ここまではできなかったでしょう

吉田健一

――次に、この映画を見られた時に、どんな印象を受けられたかをおうかがいしたいと思います。海外の方が見た日本の姿という、日本人としてはすごく興味のある作品なのですが、映像だけ見ても美しい上に、日本と感じるところ、対してそう感じられないところと、様々な光景がありますが、まず画の美しさという部分で、何か感じられたことはありますか?

健一 そうですね…やっぱりいろんな海外で演奏してきて、間違った日本のとらえられ方を感じることは、よくあるんです、かなりズレているな、と。そういうものは、もともとが日本のものかどうかもわからなくなっているものも、たくさんあるようなんですが、そういったものと比較するとこの作品で表現されているものは、かなりストレートな方だと僕は思います。

 ただ、確かに“アジア”というざっくりしたところだなという点もある一方で、やっぱり僕は最初のお祭りのシーンが、すごく印象に残りました。例えば太鼓を叩いているとか、盆踊りをやっているというシーンに関しては「これは文化を指したいんだ」という思惑をすごく感じたんです。例えば個人を敬うこととか。なので、その意思というか、そこに対するリスペクトというもので、確かに綺麗な映像で描かれたものですけど「そこよりも言いたいことはこっちなんだ」ということが、すごく明確だったなというのは、強く感じましたね。

――冒頭に出てくる、小舟が荒れた海を進む画は、葛飾北斎の名所浮世絵の連作『富嶽三十六景』の一つ、「神奈川沖浪裏」をイメージされているということですが…。

健一 まさしく、それは僕も思いましたね。

――他にも灯篭が川を下るシーンとか、よくここまで日本のことをご存じで、という感じですよね。

健一 ですよね。本当によく勉強されているなという感じがすごくありました。たぶん、そこにリスペクトがなければ、ここまではできなかっただろうと思います。三味線自体もアニメ化するとなった際に、一つ間違えると、例えば三味線のこの上にある音締め(ねじめ:三味線の糸巻き部)って3つあるんですけど、これが逆だったりとかというのは普通に起きちゃうことなんです。これは絶対に下が二本で、上が一本なんです。そういうところとか、駒とかもね。そういうのがものすごく忠実に表現されているのには感心しました。

良一郎 またこの作品は、「弦」にこだわっているところが、僕はすごいなと思いました。まずタイトルが「TWO STRINGS」となっているのを見て「間違っているんじゃないか? 三味線は3本だろ?」と最初は思ったんです(笑)。でも実は、話の中でそれが「2本の弦」につながるんですけど。一方で逆に日本人はどこまで日本のものに対して、違和感を覚えるだろう? って。

 日本人でも、三味線の弦が3本だということを知らない人はいっぱいいるんじゃないか? というところもあるし。それと、これはまあいろんな考え方があるけど、実は津軽三味線では、太い弦は「父のように」とか、真ん中の弦は「母のように」とか、そういう弦を示す表現の仕方があるんです。だから「あれ、この話とリンクするところが実はあるんじゃないか」とか思いながら「よくわかっているな」「うまく作っているな」とも感じたりして、結構感心しました。

吉田良一郎

――なるほど。反面、例えばこのクボのお母さんと、クボのやり取りなど、親子の関係をすごく親しく見せる雰囲気がありますが、昔ながらの日本の時代劇などで、この作品で表現されるような親子の関係は無いのでは? と私は感じました。その一方で、逆にこういう関係を日本の昔話で描かれるのも、実は面白いものだという感じもありますよね。

健一 そうですね。現代の話ではあるかもしれないけど、昔の話では絶対に出てこないですね。でも確かに時代劇にあってもいいと思いました。

――全体的にそういう意味では、絶妙なバランスですよね。また、ラストのクボと、敵対する月の帝との運命も、最終的には勧善懲悪的な傾向がある日本の昔話とは趣を異にした、意外な結末に導く描写の仕方をされており、余韻として残っている感じもありましたし、いろいろ考えさせられるところもありました。制作側が敢えてそうしているという向きもありますし。

健一 確かに。いろんな解釈がありますよね。あの箇所は。実は今日もラストのシーンを見てきたんですけど、確かにいろんなことを考えさせられます。いい思い出が、人の勇気というようなところにつながっていく感じとか、その前の台詞とかにもあったワードですけど、その彼に生きる活力を与える、というような事だと思うんですよね。

 だから生きているものもそうだし、故人のこともそうだけど、みんなで大事にしていこうという、まさにその古き良き的な考え方だと思います。確かに日本的なところに合うかどうか、というところは難しいですけど、映画的にはいいのではないかと思います。

良一郎 まあ、バッサリいかない、というのも(笑)、優しなのかもというのもあるかもしれないですよね。是非、子供さんにも見てほしい映画だと思うんです、ストーリー的にも。

今流行っていることが良いものかどうかは、今じゃなくて100年後くらいにわかる

吉田健一

――三味線でポップスなどのジャンルをおこなわれるのは、音楽的には例えばアレンジャーさん方と、どうやって音楽的な会話をされるのかが、以前から興味があったのでおうかがいしたいのですが、基本的に向こうは西洋音階で、それに対して三味線ではそれをどういう格好で合わせていくのでしょう? それは普段からドレミファソラシドみたいなスケールの練習などを…。

健一 いや、そういうものは僕らには、ほぼ頭にないんです。和音階は5音階しかなくて、しかも三味線はマイナー音階なので、どちらかというとメジャー音階は苦手なジャンルになります。三味線でメジャー音階にすると、どちらかというと沖縄っぽくなるんですよね。それをそうならないようフレーズを作ったりするわけです。特にアレンジは僕がやっていますが、基本的に三味線はフレットレスなので、出ない音はないんですけど、楽譜上でやり取りをするのではなく聴いた音をそのまま、耳で音として受けます。まあ相対音感ですよね。相対音感で三味線のフレーズを作っていくという。

――なるほど。では、例えば譜面の様なドキュメント的なものが残るということは、ないのでしょうか?

健一 ないですね、一切ない。それはオリジナル曲でもないです。すべて頭の中で記憶しているので。もちろん書こうと思えば書けます。一応、三味線の譜面として、三線譜といって、ギターのタブ譜みたいなもので0から20くらいまでの数字が羅列しているものはあります。但し、それもただの目安にしかならないんです。

 もともと三味線の基本が、見て体で体験していくというものなので、音を体に入れていくという感じ。だから合う音を探すんです。逆にいうと、合わなくても面白い音って結構あったりするし、それが三味線っぽかったら、そっちの方を敢えて選んで、わざと外していくということも結構あります。だから本当に感覚勝負的な感じですね。

――ある意味、かなり深いことをやられていることになりますね。普通のセッションだと、譜面を渡されて「はい、では」といきなり始まったりすることもありますけど…。

健一 だからセッションといっても、僕らは初見はやらなくて、最低2週間はいただいて結構構築してやらないといけないんです。あと二人でやっているので、すぐにその場で、一人でやっても合わせられないし。やっぱり兄弟でやる意味とか、あとは一番大事なのは三味線である意義を出すのがすごく大事、そこをどれだけ出せるというのが僕らの勝負なんです。

良一郎 僕たちは もう「ギターでいいじゃん」って言われたら、終わりなので(笑)。三味線らしいもの、三味線だからできるフレーズをどう入れ込むか? というところですよね。

――ただ音程が合えば、というだけでは済まない、深いものですね。一方で、海外でいろいろと活動されて、日本の三味線が今回の様にクローズアップされるのも大きな事だと思いますが、活動17年のなかで国内外における三味線への見られ方は変わりましたか?

健一 それは圧倒的に変わりましたね。中学校の選択授業に、和楽器が取り入れられるという教育指導要領が決まって、その前に学校で演奏する若い奏者が必要だということで、僕らのデビューが決まったんです。だから広めるという一つの役割がそこにはあって、それをやることで僕らだけじゃない、奏者が増えてブームが起きました。

 今は全国大会の主流は、中学生、高校生に年齢がグッと下がりました。僕らが小さい頃は、20〜30代が主流でしたが、それが今は10歳くらいメインが落ちているので、やっぱりここから新しいものが生まれる可能性は、たくさんあります。

 でも、ある意味それが、伝統というものの流派などの、若干障害となる部分もあって、例えばあまりにもポップなことをやり過ぎると“それは津軽ではない”という考えの方も、当然いる。まあそれは当然あってもいいけど、それでもそこから今はさらに広がって、今は高校、大学で津軽三味線のサークルがたくさんあり、演奏人口も100人強となっているので、あきらかに時代の流れが変わってきていると感じます。

――歌謡曲が海外音楽、例えばジャズなどと融合して新たな発展を遂げていったように、三味線も今後、世界の音楽と繋がっていくことで新しいジャンルの音楽が生まれていくかもしれませんね。

健一 僕もそう思います。ただ津軽三味線自体は、150年程の歴史なので、おそらく今流行ったものは、本当に流行っていけば100年後に新しい伝統文化になっている可能性があると思うんです。だからたぶん僕らも含めて、今流行っていることが本当に良いものかどうかは、今じゃなくて100年後くらいにわかると思う、どれくらい影響があったかというのは。その意味ではこの映画にも、そういう面を感じます。

吉田良一郎、吉田健一 吉田良一郎 吉田健一
吉田良一郎 吉田健一 吉田兄弟