菊地成孔×モルモット吉田、“映画批評の今”を語る 「芸で楽しませてくれる映画評は少ない」

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 菊地成孔の新刊『菊地成孔の欧米休憩タイム』(購入はこちらから)が、現在発売中だ。同書は、英語圏(欧米国)以外、特にアジア圏の映画を対象としたリアルサウンド映画部の連載レビュー「菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜」の中から記事を厳選し、新たに加筆・修正の上で収録した一冊で、同連載の番外編として掲載され、Yahoo!ニュースなどのネットメディアやSNSで大きな議論を巻き起こした『ラ・ラ・ランド』評などを収録している。

参考:菊地成孔が語る、映画批評の倫理「1番やっちゃいけないのは、フェティッシュを持ち込むこと」

 一方、リアルサウンドで執筆中の映画評論家・モルモット吉田は初となる単著『映画評論・入門! 観る、読む、書く』(購入はこちらから)を洋泉社より刊行したばかり。同書では、評論を巡る論争・事件の歴史から、“名作“”の公開当時の批評分析まで、徹底した調査と巧みな整理によって、映画の魅力、映画評論の面白さが紐解かれている。

 今回、リアルサウンドでは奇しくも同時期に単著を上梓した二人による対談を行った。SNSが発展し、誰もが映画の感想を発信できるようになった今、プロの“映画評論家”は何をどう書くべきなのか? 鋭い批評眼を持つ二人が語り合った。

■菊地「読み手に面白さを感じさせないと意味がない」

吉田:菊地さんのレビューは視点が非常に面白くて、普通の評論家ならこうは書かないだろうという切り口が魅力です。特に今は資料を踏まえた評論が主流になってきている中、人によってはプレス資料とほとんど変わらない評論を見かけることもあります。菊地さんはあえて資料や原作を読まずに書いていますね。こうした書き方は、菊地さんにとっての映画批評のコンセプトになっているのですか?

菊地:そうですね。本業がミュージシャンなので、音楽の本、特に理論書を書くときは資料を使いますけれど、映画に関しては見たまま総合的な知識の記憶と直感で繋げて、読んで面白く書くという感じです。音楽の本を書くときはあっちの大学、こっちの音大の図書館まで行くので、ウエブ連載でそれと同じことをやってたら身が持たないですね。

吉田:そうした書き方をされる中で、『ハッピーアワー』の記事(注:「シネフィルである事」が、またOKになりつつある 菊地成孔が“ニュー・シネフィル”映画『ハッピーアワー』を分析)では、クロード・ガニオンの『Keiko』を引き合いに出して繋げていったところが面白いなと思いました。『Keiko』は直感的に出てきたのですか?

菊地:そうですね、僕はシネフィルと言うほどくまなく見ているわけではありませんから、日本のインディーの船影をくまなくチェックした上で、、、、なんてことはできません。なので音楽のミックスセンスというか、『ハッピーアワー』では、『Keiko』と並べる。という直感が、うまく繋がったっていう感じです。

吉田:最近の紙媒体、特に映画雑誌だと「『ハッピーアワー』は監督のこれまでの作品を踏まえて書いて欲しい」という話になりがちです。僕はちょうど『テラスハウス クロージング・ドア』と同じ年の映画だったので、”リアリティーショー”で繋げて書けないかと話したんですが、「『ハッピーアワー』と『テラスハウス クロージング・ドア』を両方見る人はまず居ない」といわれて終わってしまいました。

菊地:なるほど。でも、それはすごくいいミックスですね。

吉田:そういう意味でも、今の映画評論に対する菊地さんからの意思表示が『菊地成孔の欧米休憩タイム』かと読んでいて思いました。

菊地:そうですね。まあ、勿論、繋ぎだけが手法じゃないですけどね。ただ、単なる思いつきだとしても、それが実際に面白く、つまり読み手に面白さを感じさせないと意味がないです。僕はいま54歳ですが「どこかにちゃんとやってくれる人はいるから、こっちは砂場で好き勝手に遊ぶんだ」といった子どものメンタリティであるとも、一種の隙間産業的とも言えます。1冊目(注:『ユングのサウンドトラック』)に書いたようなゴダール論は、ゴダール学閥のような専門の人達がフランスの哲学や美術を引用して書くので、自分は自分なりに音楽と資本主義と恋愛でゴダール論を統一視しよう、と。基本的に、映画評を書く人は音楽を伴奏だと思っているので、もうちょっと密に音楽との関係を書こうとしたのが1冊目でした。

吉田:映画と音楽について書かれた評論を読むなら、評論家よりも、佐藤勝さんや武満徹さんのような実際に映画音楽を手がける方が書かれた映画本(『300/400 その画・音・人』(キネマ旬報社)、『夢の引用 映画随想』(岩波書店))のほうが、読むべき点があるのではないかと思うことがありますが。

菊地:そうですね、あります。特に武満さんはそうですね。鋭いですよね。

吉田:『ユングのサウンドトラック』は、蓮實(重彦)さんとの対談が非常に面白かったです。蓮實さんに「『大日本人』を観ましたか?」と聞いた方は他にいないのではないかと。

菊地:音楽家として、ショービズをやっている人間としてのサービス精神というか、勿論ガチで対談するんですが、相手が誰であろうと、ところどころパンチラインを残さなければ、というのはありますね(笑)。

吉田:どうも他のインタビューなどは、蓮實さんの好みに沿うものが多いですね。

菊地:そうですね。どうしてもご機嫌とり、茶坊主になりますね。僕は先日亡くなった重臣くん(蓮實重彦氏の子息、今年6月に病で死去)と高校生の頃からの友達で、蓮實先生は重臣くんのパパだから、”あの大蓮實”という、余分な畏怖や崇拝があんまりないんですよ。とはいえ、「先生、『大日本人』見ました?」というのは、ネタなんかじゃなくて、マジで知りたかっただけですよ。っていうのは、北野映画の賞賛者ですし。

吉田:蓮實さんが松本人志監督作を見ていてもおかしくないですからね。

菊地:まあ、結果はかわされちゃうんですが(笑)。ただ、はっきりと、自分は音楽に100%興味がないんだと明言されること。あそこも蓮實流ですが。何の批評をするにしても、ある程度、音楽も好きだし、わかるよ、って顔してたほうがいいじゃないですか。でもそういうハードコアな態度によって、論客としての音楽家との完全な断絶が生まれるので、かえって話しやすいです。

吉田:そこで蓮實さんの方から「逆に聞きたいのですが」という形で話が進むのが面白かったですね。蓮實さんの書くものは、昔からお読みになっていましたか。

菊地:読んでいましたよ。伝説の『POPEYE』の連載や、『表層批評宣言』(筑摩書房)も。この前、廣瀬純氏と対談したんですけど、氏はとにかく「いろんなことに間に合わなかった」っていうオブセッション(強迫観念)じみたものがあって、そこから様々な論を派生させて行くんだけど、中でも「現代思想に間に合わなかった」「蓮實に間に合わなかった」って言っていて、一方の僕は間に合った世代です。わからないながらも、間に合いましたので、もちろん読んでいました。

吉田:影響を受けるものはありましたか?

菊地:そうですね、一種のダンディズムなので、かっこいいなと。あの時代に合っていたんでしょうね、オルグする力も。ただし、自分が映画を見て「この映画は面白いな」「つまんねぇな」と思うこととは無関係というか、あれは一つの批評芸、美学芸なので。そういう意味では影響は受けているかもしれません。よしんばその作品を観てなかったとしても、話は面白いな、という着地点を大切にするという意味では、同時代の近田春夫さんの音楽批評にも似たところがあり、これはモロに影響を受けていますね。

吉田:確かに、蓮實さんのトークイベントに行くと、2時間まったく退屈させずに爆笑させながら会場全体を惹き込ませるのに驚きます。

菊地:ただ、カリスマですから、蓮實以前/以降っていうのが政治的な対立項として、戦闘を生むのは不可避的ですから、蓮實先生の旗色が悪くなったり、良かったりという戦況の推移を見るのも楽しかったですね。DVDが出たときに、誰もが映画を1回観た記憶では喋れなくなって、検証された時には「蓮實の記憶が曖昧だ」とか言われて(笑)。それに蓮實先生が反撃するときには「動体視力だ」とか、ああいえばこういうって感じが楽しかったです。とまれ、自分が書くようになると、SNS時代という、想像もしてなかった世界がやってきて、書くととてつもないところからいきなり弾が飛んでくるっていうことを知りました。『セッション』を酷評した時、町山(智浩)さんからいきなりバーンって撃たれたので(笑)、こういうこともあるんだなと。

■菊地「民意は第一接触では概ね間違っているもの」

吉田:『キネマ旬報』にしても70年代は読者の9割が10代と20代だったようですが、今は読者も高齢化しています。ウェブだと若い人でも評論を読んで、自分でも映画を論じようとするという意味では、面白い状況だと思います。

菊地:素人に語らせる道具ですからね、SNSは。それ以上でも以下でもない。僕はSNSをやらないから、まるでエコロジストみたいに公式ウェブサイトのファンメールボックスしか意見を頂けるところがない。僕に届かせようとするとそこにメールを送るしかないんです。でも今は、直接メールなんか来ないですよね(笑)。

吉田:SNSの手軽さに慣れてしまうと、メールを書いて送るのは敷居が高くなるんですかね。

菊地:直接、本人に送るなんて誰もしない。コメント欄に書き込めばいいので。

吉田:ああいう論争を紙媒体でやるのは、今はもう無理だろうなと。

菊地:紙だと、ゆっくり進みますからね。僕らの世代だと、有名な吉本×埴谷論争とか、他にもいろいろありますけど、論争を紙でやっていた。今は何故か映画に関しては紙媒体は読まないですね。『キネマ旬報』で連載していた時期も、掲載誌として頂くんですが、読んでませんでした。映画雑誌で読んでいたのは『映画秘宝』が小さかった頃までですね。かといってSNSやコメント欄も読まないから、結局なんにも読まないんですけど(笑)。

吉田:どうしてですか?

菊地:本当はSNSも読みたいんですよ。傾聴に値するものだけ集めて送ってくれれば。でも、そんなこと言ってる奴はSNS芯が食えてないんでしょうね。頑張って見ていけば、見慣れてきて感覚も変わってくるのかもしれないですが、自分に矢面が向かってくるとイライラするばかりだし、人のものを見ていてもバイブスが良くなくて、結局全くやらないっていう態度を取ってしまっているので、基本的には全方位的にアンチSNSですね。人体実験しています。SNSもやらない奴の本はつまらないか?という(笑)。

 とはいえ、理念やイズムと日常的な行為に齟齬が出るとはよくある話でして。雑誌を読まなくなっていることは確かだし、僕は新宿に住んでいるからあらゆるシネコンに歩いて行けるのだけど、映画を見るときに、やはり星の数とかつい見ちゃったりもしているんで(笑)、結局、ちょいちょい使ってるんですよね。「忸怩たる」とまでは言わないですけど、理念と構造にコンフリクトは出ているかと。

 別にヨイショするわけではありませんが、モルモット吉田さんの『映画評論・入門!』を読んだときは、久しぶりに映画の本をちゃんと読んだなと思いました。映画評論っていうのはこういう風にすればまだ活字として生きる道があって、読むべきものと、書くべき人がいる、ということが肉薄してきたというか。久しぶりに一気読みしました。

吉田:ありがとうございます。山田宏一さんの映画評論に影響されて犯罪を起こした女性の話を入れたりしたせいで、シネフィルの方から内容が不真面目だと言われたりしましたが。

菊地:そうなんですか。すごくまじめな本だと思いますけどね。極端に言うと、戯画的なまでに誠実というか。そういうポジションできっちりやる、”映画評論・論”ですよね。

吉田:最初は映画評論のハウツー本的なものを求められていたんですが、最終的にかなり趣味的な日本の映画評論をめぐるエピソードをかき集めた内容になってしまいましたが。

菊地:そこが格段に面白いです、こんなことがあったのかっていう。本を読んで新しい事実を知って新鮮に驚くっていう体験を久しぶりにしました(笑)。

吉田:先ほどのSNSの話に戻りますが、蓮實さんや町山さんのように非常に影響力のある人がいると、SNSやウェブの映画評論も、酷似したものが増えますね。自由に書ける場なのにコピー文体ばかりになってしまう。そのあたりはどうお考えですか。

菊地:例えば音楽は、コピーしたくなるバンドはいいバンドなんですよね。音楽の内容は別として。フォロワーやなりきりみたいなのが量産されるバンドは良いバンドです。でも、今はサンプリングできちゃう。音楽のコピーが、単にスキルとして簡単になったんですよ。だから、崇拝して同一化して、、、という情熱が若干落ちちゃって、ネタ、とか、リスペクト、とか(笑)その程度にとどまるわけですが、文章はそこがまだまだ熱くて、町山さんそっくりに書く人もいるし、蓮實先生そっくりに書く人もまだいるし、あのう、僕の、一番好きな映画の本は『お楽しみはこれからだ』なんですけど。

吉田:和田誠さんの。

菊地:そうです。軽く好きなように書いてるんだけど、趣味がいいっていう。ああいった感じになれないかなって思うんですけど、自分が書くとそうはいかないですね(笑)。いずれにせよ、カリスマがいて、文体が似るというのはどの業界にもあることですよね。

 『映画評論・入門!』の読みどころの一つですが、僕も違う本でやってるんですけど、「いま”名盤”って呼ばれている盤は、リリースされた頃に評論家から何と言われていたのか?」って調べると面白いんですよね。後から修正されていって、磨かれて、今の評価に落ち着くんだけど。インターネット以降、みんな「賛否はあるが、すでに正解は出てるんだ」って思ってるんじゃないかと思うんですけど。そんなヌエみたいな話はないわけで、やっぱり民意は偏りますよね、そして民意は第一接触では概ね間違っているもので、民意が完全に賢者の位置にいる状態っていうのは危険な状態ですよ。そのことがゆっくり時間をかけて転覆したりしていくっていうのが面白いわけ。そのことも書いているから、『映画評論・入門!』は素晴らしいなぁと思いました。

吉田:『欧米休憩タイム』の中で、例えば『アズミ・ハルコは行方不明』は僕も観ていたのですが、これについて書けと言われても、何も言いたくないほど酷いなと思ったんです。菊地さんは作品の根源的な欠点も的確に指摘しつつ、山内マリコさんへのディスりも入れながら話を広げていくのは、これはもう真似のできない芸だなと思って読んでいました。

菊地:そうですね。作品は編集部から決められているから、書かなきゃいけなくて。山内マリコさんとは対談した経験があるから、こういう自分の足を使って手に入れた素材は大切にしようと(笑)思った上で、ブローアップした感じです。要するに、山内マリコさんご自身が発している、魅力的な「どっちなんだ」感が、映画全域に悪く蔓延しちゃった。という視点の設定ですね。話芸としてやるしかないという。

吉田:逆に今、映画系の個人サイト、ブログなどを見ていても、話題作とか誰もが見るような映画、論じやすいものばかりを取り上げている印象があるんです。『アズミハルコは行方不明』みたいな作品はあまり取り上げない。取り上げても、解説とあらすじと、ちょっとしたレビューで見る前から分かりそうな欠点が書いてあってシステマティックすぎるなと。菊地さんが山内さんと対談した経験を引き寄せて書いたような芸で楽しませてくれる映画評は少ないですね。

菊地:僕は別にアンチシネコンじゃないんですけど、シネコンだと強度だけが問題になっちゃって、売れた作品から順に語られていくということに対する無慈悲さが容赦なくなっています。吉田さん相手に釈迦に説法ですが、昔はへそ曲がりの人とか、そこを何とかしようっていう人もいて、小林信彦らが敢えて日活の無国籍アクションを批評しようとか、ロマンポルノをしっかりやろうという動きもあったりしたんだけど、アニメ批評なんて最初期は色物でしたが、今や国是に近い強さをもってきて、要するに今”弱者は弱者”になってしまって。

 この連載で助かったのは、どんなに弱い作品でもやらされるということでした。一方で、『UOMO』でも「売れてる映画は面白いか?」というタイトルで連載しているんですが、賞を獲った作品とか、売れていそうなものばっかり観るんです。それでも玉石混交になるんで、この本では「誰も見ないだろうな」っていう感じのものも書いていくということですよね。

■吉田「イメージとして語られる“秘宝”と実際の今の誌面との違いは大きい」

吉田:『欧米休憩タイム』に収録された中で、反応が一番大きかった作品は何ですか。

菊地:そうですね、連載フォームのタイトルの下のところにある、「いいね数」と「ツイート数」を見る限り、圧倒的に『ラ・ラ・ランド』ですね。いつもの100倍付け。韓国映画はアウェイ感はすごくて、韓国映画を見る人は韓国映画を見る人、K-POPを聞く人はK-POPを聞く人、というひとつのトートロジー的になっちゃってるから、たこつぼ感が結晶化しちゃってますね。僕は韓国映画もテレビドラマも音楽も好きで、リトルコリアにずっと住んでたいましたし。だから、この連載の開始時に掲げたテーマとして、本当はアルファべットさえ使えなければエジプトでもよかったし、中東系の映画でもよかったんですけど、結局は日韓になっちゃいましたね、配給の関係です。半分は韓国映画レビューなので、もう少しタイトルに「韓流なんとか」とか入れておけば、それだけで買う人もいるかな、とは思ったんですけど(笑)、やっぱり韓国映画で本当に素晴らしいと思う作品について書いても『ラ・ラ・ランド』の比じゃないですね。別に僕のことなんか知らなくても、刺激を求めて常に検索を怠らない人たちや火事場見物に行く人たちによって、『ラ・ラ・ランド』だけ大火事になり、あとはもう無風ですよ(笑)。

吉田:今は映画雑誌でもWEBでも、公開前は批判的なことは基本的に書かないという暗黙の了解がありますね。『キネマ旬報』の星取りは基本的に公開後に掲載するので自由に批判できるということのようです。そういう意味でも、菊地さんが書かれるものは際立つと思うんです。

菊地:公開中か公開前かも知らずに書いていますからね。物によっては公開終わってたりして(笑)。

吉田:最近はネタバレについても公開前はここまでとか、こういう書き方はしないでくれとか誓約書を書かされたりして、どんどん書きづらくなってきた印象がありますが。

菊地:ネタバレは修正がきたりしますね。まあ、公開前の映画をどうやって批評で、商品として大切に扱うのかというエチケットに関しては、やや雑になっちゃったと思いますよ。そこは町山さんにも指摘されたところで、大変勉強になりました。親切ですよね(笑)。

吉田:映画雑誌でも作品によれば、賛否両論掲載にしたりして公開前に批判的な内容を載せることはあるので、画一的な話でもないとは思うんですけどね。

菊地:そうですね。昭和の番長のルール設定ですよ(笑)。というか、個人のウェブなので、なんだっていいじゃんって思ったんですけどね。映画の連載をやってますよとうたってるウェブでもなんでもない、いろんなことが書かれる個人のブログの、ある1日にこの映画ダメだって書いただけでお縄になるんで(笑)。大変なパトロールぶりですよね(笑)。アメリカの警官ですよ。水野晴郎イズム最後の継承者というか(笑)。

吉田:『欧米休憩タイム』の中に「秘宝系」という言葉が出てきますが、『映画秘宝』も創刊から20年以上が経ち、町山さんの編集長時代にテーマごとにムック形式で出していた時代とは体制も変わりました。

菊地:違いますよね。読まなくてもわかります。

吉田:今の『映画秘宝』について思われることはありますか。

菊地:『映画秘宝』が変わっているのは風の噂で聞いていました。ただ、ここは言っておくべきと思うんですが、僕にとっては柳下毅一郎と町山智浩のファビュラス・バーカー・ボーイズが主筆だった頃が”秘宝”であって、体制が変わってからのものは1号も読んだことないんですよ。だから、秘宝がどのぐらい変わったのかっていうことは、細かく捉えていないです。

 秘宝は最初、厳格な理念や、マーケットを作っていく力があったと思うし、僕も自分がその理念に乗れるかどうかは別として、のめり込んだんですよね。だから、「菊地は秘宝を初期のころで読むの止めてるまま、秘宝、秘宝って言ってるよな」とは、もう言われていると思う。オタクさんはいっぱいいるから、この程度の指摘はなされているはずです。だから、僕は秘宝を、町山さんと柳下さんが作り上げて一時代を築いたところまでしか読んでいないし、秘宝の歴史的な位置をそこで固定していますが、現在の秘宝はどうなんでしょう、転向とか変化を繰り返しながら、例えば『ワンダーウーマン』の特集があったとして、一番でかい記事は町山さんが書く、というようなような感じですか?

吉田:今の『映画秘宝』の編集長は僕の1つ下で38歳なんですけど、町山さんから誌面の内容について直で意見されることも怒られたことも一切ないそうです。ただ、僕もそうですが、高校生の頃に初期の『映画秘宝』を読んで影響された世代なので、編集長が交代したからと言って、全く違うテイストの雑誌にしようという気はないでしょうね。

菊地:要するに、弟子ではない、弟子筋なんだと。そうでしょうね。タレコミがあって知るんですが(笑)、『読書メーター』に柳下さんが本人だってわかる形で投稿されるとき、僕が秘宝という言葉を書くことに対しては良い意味でも悪い意味でもなく敏感になっていて、しかもそれは、自分が作り上げた”秘宝”を指していることも、現在は違うっていうこともお分かりの上で指摘されていると思うので、自分は丸裸だな、と思いますね。今の秘宝は全く読んでないですし、僕は『キネ旬』(『キネマ旬報』)小僧で、中学生のころは、意味もなく大学ノートにベストテンを書き写してました。本誌があるんだから写す必要ないんだけど、写経みたいに(笑)。でも、ここ20年ぐらいですかね、全く読まなくなっちゃって。秘宝がどう変わったかっていうのも、事細かに知れば知ったで面白いんでしょうけど。

吉田:イメージとして語られる“秘宝”と実際の今の誌面との違いは大きいと思います。ただ、ワンテーマで年に数冊出ていた時代と、月刊で新作を毎月紹介する映画雑誌になった段階で、ズレは生じたと思います。定期刊行の映画雑誌としての役割を担う部分が大きくなっているでしょうね。

菊地:『カイエ・デュ・シネマ』がまだあるんだからね。

吉田:本国ではまだありますね、日本はもう出なくなりましたが。

菊地:編集長はまだ(ジャン=ミシェル・)フロドンがやってんのあそこ? そういう意味では、とっくに違う媒体になっていて、名前だけ残ってるっていうのは老舗ですよね。

吉田:他の方と話していても秘宝でイメージされるのは、やはり初期のもののようです。

菊地:現に初期しか読んでいないですからね。老舗がどんどん、店の名前だけ残したまま中身が変わっちゃうという現象自体は面白いことなので、もうちょっと雑誌を読む体力があったら、今の秘宝も読んで、初期のころから変わったなという把握を持ちたい気もするんですけど、不勉強ながら、吉田さんのこともこの本で初めて存じ上げたんですよ。僕が思っているいわゆる”秘宝系ライター”、というのは例えば高橋ヨシキさんや長谷川町蔵さんらの、初期秘宝のオールドスクーラーの人とは全然違う。秘宝のニュースクーラーというか、そもそも秘宝にも書くし、キネ旬にも書くっていうのは、完全にニュースクールですもんね。

吉田:僕らと同世代の編集者やライターと話すと、映画雑誌をフラットに複数読んでいたと言いますね。1誌だけでは情報が足りない。日本映画が好きなら『映画秘宝』だけでは物足りないし、『キネマ旬報』もメジャー系しか取り上げない。『映画芸術』『ビデオでーた』も合わせて、なんとか欲しい情報と評が読めるみたいな。今の秘宝の編集長も、キネ旬の読者欄によく投稿していた人ですから。昔のほうが、その雑誌でしか読めない個性が書き手にありましたね。

菊地:最初の秘宝は、完全にセクトの立ち上げですよね。あれはすごかったなと思いました、勢いがあって。

■菊地「まだ音楽が映画に対して持っている力は強い」

吉田:今後、菊地さんが映画評論の中でやりたいことってありますか?

菊地:僕の一冊目(『ユングのサウンドトラック』)の話になりますが、映画批評の中の音楽批評というものは、単体のサントラマニアがいるだけの状況で、ある意味で別枠にして大切にしているとも言えるし、ある意味、不可触にしているとも言える。映画批評の中にある音楽批評は、もっと融合してもいい。映画は、音楽と映像を合わせたミクスドメディアなので。世界で初めてミュージックビデオができたときは、ミュージックビデオに対する批評があったけど、まだまだ映画批評は音楽に対して、「ちょっとそれはおいといて」という状況です。まあ、難しいんですね。かのエイゼンシュタインですら、トーキー初期に、映画の画面と音楽を統一的にまとめるモンタージュ理論みたいなのを書いて大失敗してるんです。「映画における第5次元」という論文で、エイゼンシュタイン全集に当たれば、日本語で読めますが。支離滅裂です。もう、そこから始まってるんですけどね。

 特にゴダールに関しては、言論統制でもあるかのような強度で、誰も音楽についてちゃんと話さないんですよね。そもそも蓮實さんが一切話さないことがオリジンになっているのかもしれないですが、佐々木あっちゃん(佐々木敦)みたいに音楽評論もやっている人ですらきちんと話さないんで。ゴダールだと、音楽の話以前に、みんな誰もわからないぐらい難しく書くから、難しく書く競争になって、より難しく書けたやつのほうがえらい、みたいな。

 俳優と映画監督、プロデューサーと映画監督の関係はみんな敏感に書くけど、音楽家と映画監督については、ないですよね。ミシェル・ルグランなんて、一種の乱交みたいにいろんな人とやるんですね。でもジャック・ドゥミとミシェル・ルグランがあって、ゴダールとミシェル・ルグランがあって、って書く人はほとんどいないから、僕はそこをやりたくて書き始めて、『セッション』っていうタチの悪い爆弾を掘り起こしただけで、ジャズ考証が雑なものにケチをつけるためにパトロールしている人、みたいに落とし込まれたのはウケるというか(笑)。

 だから、インフルエンサーによって1回つけられちゃった「ジャズにうるさい」という汚名を晴らすべく(笑)、連載では音楽と映画についてはあまり書けませんでしたけど、本の後半の、連載じゃないパートには書いています。ヒッチコックの『ロープ』は、みんなが頭の中でサスペンスの音楽が鳴っているものとしてしまっているんだけど、実際見ると驚くのは、音楽が鳴ってないの(笑)。ああいう記憶の違いやねつ造という力も含めて、まだ音楽が持っている力は映画に対して強いし、映画批評というものに、ネクストとは言わなくともアザーレベルがあるとしたら、音楽についてちゃんと書くことです。今は「音楽がすごく良くてさ」とかそのぐらいなんですよ。

吉田:武満さんは『アマデウス』のときに「あの音楽はどうなんだ」って周りに聞かれて、批判をするとみんな満足していたという話がありましたが(笑)。

菊地:ロックはすごいんですけどね、本当に。個人的に観て、媒体がないから書けませんけど、久しぶりに同じ映画を5回見たのが『ベイビー・ドライバー』です。そんなこと、中学生以来したことなかったのを、何十年ぐらいぶりにやりました。本当にすごく面白い、素晴らしい映画です。ロックやブラックミュージックの映画の考証水準一般と、ジャズの映画のそれとは比べ物にならない。そうした一般論も、『セッション』批判に込めているんですけど、みんな喧嘩見てチンコ勃っちゃってるから(笑)。ちゃんと読んでくれない(笑)。日活ロマンポルノですよ(笑)。

 選曲家として優れている監督も、実際の映画音楽家も、ジョン・ウィリアムスら神々たちの時代からクラスが上がっていて、若手ですごいものを書ける人が増えているんですよ。でも、サントラの生産枚数は曲線的に下がって、具体的にブツが全然ないの(笑)。音楽産業の無料化によるピンチが、影響を与えちゃっている。例えば『さや侍』の清水靖晃さんのトラックは本当にすごい。時代劇のオーケストラOSTとして、黒澤(黒澤明)以来の大河ドラマにもなかった素晴らしいものなんだけど、サントラ盤がないというね。探したら竹原ピストルが歌っている歌しか出ていなくて、「頼むよ!」っていうことを声を大にして言っても、どこにも届かないのが現状ですよね(笑)。

 だから、吉田さんの『映画評論・入門!』とかを読むと映画批評をしたり感想を書き散らしている人に対して、一番高い志で、一番高い仕事をしてみせれば、自然と愚衆が襟を正すであろうという(笑)。ものすごい志とクオリティーの高さを感じて、感動しました。(取材・構成=編集部)