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もくじ

ー ラディカルRXCの洗礼を受ける
ー フォードGTにうっとりするワケ
ー 長く過酷な「耐久戦」 勝者は?
ー 番外編 サーキットを飛びだしたロードカー6選

ラディカルRXCの洗礼を受ける

ラディカルRXCの幅の広いサイドシルを跨いで、コルビュー製バケットシートに腰を落とし、大腿部をアルカンタラ張りのステアリングの下にねじ込んでから、6点式シートベルトを締めるのは、カーボンファイバー製のキャビンを持つフォードに乗り込むよりも何倍も複雑で困難な作業だ。

さらにスタート・アップのための手順も思いだす必要がある。うっかりして頭をぶつけないようにしながらガル・ウイング式のドアを閉め(わたしは初めて乗り込んだ時に頭をぶつけた)、そしてようやく動きだすのだ。

レーシング・クラッチでの発進に成功するまでに4回もストールさせ、更にA43に出るまでに2回追加した。

80km/hまで加速した時に運転席側のガル・ウイングドアが開き始めたので、初めてドアをきちんと閉めることができていなかったことに気が付いた。再び慌ててドアを閉め、それから頭への一撃。

驚いた。騒々しい以外の何物でもない。RXCに乗っていると、耐久レースのオンボード・カメラ映像を思いだすが、違いはギア鳴りがここでは(わたしの推測値だが)80dBを越えているということだ。

ただしこの重く、扱いの難しいクラッチも、一旦歩く以上のスピードに達すれば問題なく、シートとドライビング・ポジションも数時間の運転であれば快適でスペースも十分だ。

ラディカルのドライビングの過酷さと、そのダイレクトさはすぐにドライバーを消耗させる。実際、ステアリングは非常に重く、このクルマのサスペンション・セッティングはトラムのような乗り心地であり、バンプステアも他の2台に比べればはるかに大きい。

乗り心地は路面状況が良好なうちはまずまずだが、典型的なB級道路ではごつごつして容赦なく硬いため、RXCのボディは跳ねたり進路を乱したりする。

アクセルペダルを思い切り踏み込む勇気があれば、このクルマの加速力は明らかになるが、タイヤが冷えている時や、渋滞の中では極めて慎重な運転が求められる。

ふさわしい道で、ふさわしい日に、周りに何も無ければ、ドライビングを楽しむことができるだろう。ほとんどの時間、このクルマは最も楽しめるサーキットとの往復で時間を過ごすことになるだろうが、ラディカルRXCで移動する場合、路面の悪いルートは慎重に避ける必要がある。

避けるべき場所は、これだけではない。

フォードGTにうっとりするワケ

更にはタイトなジャンクションや狭い駐車場も避けるべきだろうし(このクルマの回転半径は7.5mほどに達する)、減速帯にも注意しなければならない(最低地上高は常に頭に入れておかなければならない要素だ)。

そして、もちろん悪天候は、神に祈ってでも避けなければならない。ダンロップ・ディレッツァのカット・スリックとABS無しの条件は、RXCのブレーキがウェットでは簡単にロックしてしまうことを考えれば、雨の日の先行車との車間距離に慎重に注意を払う十分な理由になる。

増えつつある交通量を避けるため、M1は迂回して給油することにした。コーヒー、水、甘いもの等々何か欲しいものはあるかと聞かれたのだが、「正直言って」思わず出た答えは「ここから出たい」というものだった。

俺はなんて軟弱な男なんだ。しかし、実際のところ、フォードとポルシェがこんな風に甘やかしてしまったのだ。

水曜日, 9.56am
ドニントン・パーク・サーキット

早朝の光の中、フォードGTのきらめくヒップに艶めかしく水滴が滴っていた。

B&Bを出発する前、その光景を眺めながらこのクルマを想像したり、このクルマに完全に魅了されることが無いようにと願いつつも、夢のような10分間を過ごした。

正にその存在そのままに、簡単にひとの心の中に入り込んで来てしまうのだ。

約1時間後、ドニントン・パークのレッドゲート・コーナーにある観戦エリアで撮影を行うために、砂利道のスロープを通過する必要があったため、ラディカルのフロント・スプリッターの取付位置を上げた。

黄色のフォードが最も高い位置に収まったが、練習走行らしきものを行っているミニ・チャレンジレースのドライバーからははっきりと見える位置だ。

われわれが駐車してからほどなくして、コーナー出口の人気の無い場所からミニのドライバーがひとりやってきた。

この男はスティーブ・ケイン。ベントレーMスポーツ・ブランパンGTレーシング・チームのワークス・ドライバーだった。

スティーブ・ケインはそのままボスの次期愛車を見た。

スティーブのボスはマルコム・ウィルソン。ベントレー・チームの運営を行う共に、WRCにフォード・フィエスタを出場させており、今年この新しいGTを手に入れることができた幸運なひとりである。

ウィルソンの参戦により、WRCでフィエスタが首位を走っていることに感謝したフォードが彼にGTを送ったのだろう。

長く過酷な「耐久戦」 勝者は?

ここからシェフィールドの西のはずれにあるリンギングロウ・ロードを通って、ピーク・ディストリクトまではほんの64kmほどしかないが、そこでわれわれは今回のレースカーによるツアーを締めくくるつもりだった。

そこまでの道のりを共にする1台を選ぶ必要があったが、もし、どれだけ運転を楽しめるかを基準にしたなら、ポルシェを選んだだろう。

しかし、既にポルシェは何度も運転していたし、過去2年間だけでも幾度となくそのチャンスがあった。そして、フォードGTがわたしの名前を再び呼んでいた。

その使いやすさにはきっと驚くに違いない。ラディカルのように我慢を強いられることはなく、そのすべてに一日中敬服することになるだろう。

固定されたシートとスライド調整可能なペダル、ステアリングは体のかなり近くまで引き寄せることができ、クールで心地よい仕上げの金属ノブとスイッチでドライブ・モードとギアの選択が可能である。

このクルマは専用レーシングカーが公道にも完全に適応できるということを改めて思いださせてくれる。

フォードGTの専心ぶりは本当に魅力的で、これまでの経験に並ぶものなどないが、あまりにも容易にその素晴らしさを味わわせてくれるのである。

ピーク・ディストリクトのムーアサイド・ロードは、他の2台に比べフォードGTにとってはより狭く感じる道だった。想定以上にキャッツアイを踏む羽目になったお陰で、左ハンドルを恨めしくさえ思った。

それでも、全てのコーナーリングが素晴らしく、全ての短く見晴らしのいい直線では、ターボ過給されたV6エンジンのどう猛さと、その味わいを楽しむことができた。

この旅最後の写真撮影をする頃には、道路は自転車と歩行者で埋まっていた。多くの歩行者は、聞こえてくる奇妙な音を、珍しいヨーロッパヨシキリの発情期の声だと思ったかも知れない。

実際には、圧縮空気で作動するラディカルRXCのギアボックスを、バックギアに入れようとして失敗した時の音だったのだが……。

それでもここまで来た。何も壊れず、皆まともなままだ。多くの事実を明らかにすることができた。

最も過激なトラックカーも正しい道のりでれば、公道でも使用できることを証明したのだ。

残すはこの旅の勝者であるフォードに乗って家に帰るだけだ。帰る道すがら町の郊外を通ると、下ろした窓から、シェフィールドっ子が笑顔でロトはどの番号にかけたのかと聞いてきた。彼女は良いところに気付いた。

GTはまさしくロトに当選したような気持ちを味わわせてくれる。彼女が思うような当選ではないとしても。

番外編 サーキットを飛びだしたロードカー6選

プリムス・ロードランナー・スーパーバード(1970)

1960年代、ナスカー・ストックカー・レースの車両は未だストックカーと見做されていた。そして、超高速サーキットの登場は、各社に奇妙な形をしたフロント・ノーズとウィングの装着を促すこととなり、更にはその公道仕様も生産しなければならなくなった。プリムスは1970年に1920スーパーバードを作りだした。

フォード・シエラRSコスワース(1986)

ツーリングカー・レースで再びフォードをトップに押し上げるべく、シエラRSコスワースは世界中を席巻した。

フォードはその後輪駆動レイアウトからシエラを選び、16バルブ・ターボのコスワース・エンジンにこだわった。ボディカラーとオプションを限定することで価格を下げ、5000台の公道仕様の販売を懸念するディーラーに応えた。

ダウアー962(1993)

1980年代中盤、ポルシェ956と962はル・マンを席巻した。GTカーのための新たなルールが導入された1994年、ポルシェとヨッヘン・ダウアーはその抜け穴を見つけた。

ダウアーは962レースカーを公道走行可能なGTに仕立て上げ、その後、このGTのレーシング・バージョンを作ったのだ。このクルマは勝利したが、翌1995年には早くも禁止された。ダウアーはこのロードカー・バージョンを作り続けた。

アルファ・ロメオ155シルバーストン・エディション(1994)

見かけはノーマルの155と全く変わらないが、トランクには後付け可能なウィングとスプリッターが収まっていた(何故か取扱説明書は含まれていなかった)。

このルールの抜け穴をつかって、アルファは1994年のBTCCにこの空力デバイスを装着した車両で参戦し、物議をかもすタイトルを獲得した。

ポルシェ911シュトラッセン・バージョン(1996)

この驚くべき限定モデルが「ストリート・バージョン」と名付けられた理由は明らかだ。

592psの3.2ℓエンジンは1998年のル・マンで優勝することになったレース・バージョンにも使用されたからである。25台のみ生産され、このモデルの登場が1990年代中盤のGTのルール破りの始まりを告げることになった。

トヨタTS020 GT-ONE(1998)

このクルマが最も驚くべき存在だと言えるだろう。触媒コンバーター付き600ps V8エンジン搭載の公道仕様が2台のみ生産された。

GTのルールではスーツケースを積むことができる大きさのトランクが求められたが、驚いたことにトヨタは燃料タンクをトランクとして認めさせたのだ……。