1980年代の中盤、日産自動車は車種ラインアップの拡大を精力的に図っていく。1986年にはパルサーの一車種だった「エクサ」を独立車種に切り替え、パーソナル・スペシャルティクーペとして市場に送り出した――。今回はアメリカ発想の“着せ替え車”、KEN13型系のエクサ(1986〜1990年)で一席。


 



【Vol.41 日産エクサ】



後にバブル景気と呼ばれる1980年代中盤から90年代初頭にかけての好況は、日本の自動車メーカーにとって大きな変革期となった。豊富な資金を背景に車種ラインアップや事業展開の拡大が実施され、海外を含む工場やディーラー網、そしてクルマの種類が急速に増えていく。ユーザー側のニーズもより幅広くなり、高性能だけではなく内外装の個性や高級感なども、いっそう重視されるようになった。この状況下で日産自動車は、中核車のひとつであるパルサー・シリーズ(パルサー/ラングレー/リベルタ・ビラ)のフルモデルチェンジを画策する。ユーザー志向が多様化し、明確なキャラクターが求められる時代にふさわしい小型車の姿とは――。最終的に日産の開発陣は、パルサー・シリーズの各車の性格をよりはっきりと区分けする方針を打ち出した。

■独立車種に発展したエクサはアメリカンデザインを纏って登場


外観はカリフォルニア州サンディエゴの日産デザインインターナショナル(NDI)が担当。写真はノッチバックスタイルの「クーペ」

パルサーは従来モデル(N12型系)の欧州市場での人気を鑑み、小型車の王道をいく優れたパッケージングと走りの高性能化を追求。ラングレーはスカイラインGTのイメージにより近づける方策をとる。リベルタ・ビラはカジュアルでスポーティな雰囲気を際立たせることとした。そして開発陣はもう1台、新しい兄弟車を企画する。従来モデルではパルサーのクーペモデルだった「パルサー・エクサ」を、独立車種の「エクサ(EXA)」として設定する案を決定したのだ。

エクサの開発テーマには、「もっと自由で開放的な、そして何より楽しいクルマ」と掲げる。具体的には、真のスペシャルティカーらしい完成されたスタイリング、モジュール(分割、組み合わせ)デザインによるオープンエアフィーリング、快適でスポーティ感あふれるインテリア、新エンジンによる気分の良い走り、といった項目の具現化を目指した。


ワゴン風ボディの「キャノピー」。モジュール(分割、組み合わせ)デザインによるオープンエアフィーリングが楽しめる

エクステリアに関しては、1979年4月にアメリカのカリフォルニア州サンディエゴに設立された日産デザインインターナショナル(NDI)が担当する。この決定には、「短い期間で効率的に車種を増やすためには、日本のデザイン部とNDIの両方を動かす必要がある」、さらに「北米市場での販売台数を増やすためにも、現地マーケットの嗜好を熟知するNDIで国際戦略車をデザインするほうが得策」という判断があった。パルサー・シリーズの新しいスペシャルティカーの外装を手がけるに当たり、日産はまず1983年開催の第25回東京モーターショーにトム・センプル(後にNDIの社長に就任)がデザインした未来型ファミリーカーの「NX21」を参考出品し、観客の評判を探る。結果は非常に良く、これを参考に量産版の新スペシャルティカーを作る決定が下された。その後NDIは、アメリカで人気のあるスポーティな2ドアボディを基本に、クーペやTバールーフ、ワゴン風などの様々な形状を考案する。そして最終的には、クーペ、Tバールーフ、キャノピー(リアにハッチルーフを付けたワゴン風ボディ。外すとピックアップ風になる)、キャンバスハッチなどのボディパターンが1台で楽しめる“着せ替え車”を完成させた。またNDIは、細部のデザインにもこだわる。ヘッドランプは先進的で空力特性に優れるリトラクタブル式を採用。リアのコンビネーションランプには、ダイアゴナルスリットと称する斜めの枠が配された。

一方、日本側とNDIが共同で手がけたインテリアはスポーティなイメージが重視され、3本スポークのステアリングやバケットタイプのシートなどが組み込まれる。操作系装備にはサテライトスイッチやレバー式ライトスイッチを採用。さらに可倒式の後席はパルサーよりも簡略化し、前席重視のレイアウトに仕立てた。ラゲッジルームに関しては、クルーザーのデッキをイメージさせるキャビン部との一体感をもたせたデザインで構成。また、フルオープン時を考慮してゲート開口部まわりの処理をすっきりとさせた。




インテリアはスポーティなデザイン。3本スポークステアリング、バケットタイプシートを装備する

メカニズムに関しては、パルサー・シリーズで最も強力なCA16DE型1598cc直列4気筒DOHC16Vエンジン(120ps)が採用され、また4輪ストラットの足回りには専用セッティングが施される。さらに、日本初採用となるリアスポイラー一体型ハイマウントストップランプやマグネットロック付き集中ドアロック(専用のマグネットキーを運転席側のドアアウトサイドハンドルのマーク上でスライドさせるだけで、すべてのドアの施錠ができる仕組み。キーレスエントリーの前身)といった新機構も盛り込んだ。

■日本市場におけるエクサの車種展開は――


ちょっと手間はかかるが、リアのルーフ部を取り外せばさまざまなスタイリグを楽しむことができた

3代目となるN13型系パルサーの登場から5カ月ほどが経過した1986年10月、渾身作のKEN13型エクサが日本デビューを果たす。謳い文句は「トレンドをリードする人々の生活シーンを鮮やかに演出するパーソナル・スペシャルティクーペ」。ボディバリエーションは2種類で、ノッチバックスタイルの「クーペ」とワゴン風ボディの「キャノピー」がラインアップされた。日本仕様のエクサが北米仕様(車名はパルサーNX)のように1台ですべてのスタイリングをまかなえなかったのは、日本の法規上、着せ替えボディが認められなかったからである。ただし、リアのルーフ部はクーペとキャノピーともに脱着が可能。またTバールーフは標準で装備され、キャンバスハッチはオプションで装着することができた。ちなみにリアルーフの取り外し手順はクーペとキャノピーともに基本的に同様で、ガスステーを外す→ルーフにあるリアハッチ用またはキャノピー用ヒンジカバー内側のナットを外す→ルーフ全体を持ち上げてボディから外すという、ちょっと手間のかかる仕組みだった。

KEN13型エクサのユニークなクルマ造りは、識者から高く評価される。しかし、日本での販売台数は予想外に伸びなかった。当時は“ハイテク”と称する先進機構がもてはやされていた時代。速さに特化したわけではなく、使い勝手が突出していいわけでもない。ボディ形状が変わるといっても日本仕様では制限があるし、外したルーフを置いておく場所も少ない――。つまり日本の多くのユーザーには、創意工夫を凝らしたエクサの個性が魅力的に映らなかったのだ。日産はテコ入れ作として、1988年5月に充実装備の「LAバージョン」を、翌89年4月には「LAバージョン・タイプSE」を相次いで発売する。しかし、販売成績はそれほど改善しなかった。結局、1990年8月に実施されたパルサーの全面改良に合わせて、エクサはカタログから消滅。実質的な後継車(B12型系サニーRZ-1と整理統合)として、エクサと同様にNDIが基本デザインを担当したニューモデルの「NXクーペ」が設定されることとなった。

寂しい終焉を迎えたエクサの車歴。しかし、個性的なクルマを好むファンは決してエクサを忘れなかった。ハイテク競争が一段落した1990年代後半になると、中古車市場でエクサ、とくにワゴン風ボディのキャノピーが再評価され、隠れた人気車となる。その傾向は、同市場でN13型系パルサーがほとんど姿を消した21世紀に入っても続いた。新しいジャンルのパーソナル・スペシャルティカーを生み出そうとした開発陣の研鑽努力は、コアなユーザーによって大切に育まれていったのである。