カシオの「余り計算電卓」のヒットは、意外というより、あれだけ高機能になった電卓に、まだ余り機能が標準装備されていないことに驚いた。

■生活の中で「本当に使える機能」は意外とない

子供の頃、電卓で割り算しても余りが出ないことがとても不満だったのは、私だけではないと思う。小数点以下に3が並ぶような計算結果が欲しいわけではない。この、35粒入っているキャンディーを兄弟3人で分けた時に、いくつ余るかの方が知りたかったのだ、子供としては。だから「安い電卓は、これだから」と思っていた。まさか、余り計算機能が未だ内蔵されていないことに驚いたのだ。子供の頃に憧れた電卓には、何でも計算して欲しかった。

関数電卓のような数学的に難しい計算は、それはそれで専用機としてきちんと良いモノが作られているのに、生活の中で使える電卓は、意外に少ないというか、それは「ニッチ」と呼ばれる分野になってしまうのか。余りだけでなく、例えば、11月19日から来年の2月8日までは何日あるのか、とか、5分42秒の曲と3分28秒の曲と、7分15秒の曲を曲間2秒で流すと何分何秒になるか、とか、生活の中で、ちょっと計算したいものについては、全部出来るのが電卓ではないのかとか、つい思ってしまった。「そんな機能、欲しがる方がニッチだ」と言われれば、そうなのかな、とも思うのだが。

コクヨの「ハコアケ」のような、ハサミだけど段ボールの梱包を開けるのにも使える製品の場合、これは「ニッチ」ではなくて、「新しい需要」なのだと思った。通販が一般的になった時代だからこその「箱を開ける」需要に対して、封を切ったり、箱の中のパッケージを開けるのに使うハサミに、箱を開ける機能も持たせようというのは、かなり自然な流れだ。これが、もう少し前だと、ニッチと言われたかも知れないのだけど。

■フリクションボールも本来はニッチな製品?

ニッチというのなら、それこそ、パイロットの消せるボールペン「フリクションボール」も本来、ニッチと呼ばれても不思議のない製品だったはずだ。消せるボールペンが欲しいと要望を出したパイロットのフランス支社にしても、鉛筆がビジネスで使う筆記具として流通していないフランスだからこそ、気軽に消せる筆記具が欲しかったわけで、日本では、鉛筆もシャープペンシルも普通に使われていて、更に言えばボールペンは「消えない」ことが特長というか、だからこそビジネス文書に使われていたところに、わざわざ「消せる」商品を出すのだ。

発売当初は、売れ行きがさほど良くなかったのも当然。その後、手帳ブームもあって、鉛筆より濃い線で予定を書き換えられる便利さなどが浸透した結果の大ヒットなのだから、それはニッチな需要の中に、ヒットのチャンスが隠れていたという好例だろう。私は、何度も「ボールペンが消せて、何が便利なの?」と聞かれたものだ。もし、紙の手帳がスマホに押しやられていたら、フリクションボールのヒットも無かったかも知れないのだ。

■多様化する価値観とヒットの法則

多分、ヒットとニッチは隣り合わせなのだ。「余り計算電卓」にしても、技術的に難しかったわけではなく、需要が少ないから一般の電卓には搭載しなかった機能だ。それこそ、検索すれば、iPhoneアプリにも余りが計算できるアプリはある。ただ、実際にはかなりの需要があって、しかし製品がないから他の方法で補っていただけだ。「ハコアケ」だって、無かったから、カッターナイフを使って中のものをうっかり傷つけたり、爪でテープの端を起こして、接着テープをはがしたりしていただけで、「これ使うといいよ」と言ってくれれば使いたいのだ。フリクションボールのヒットは、その好例だろう。それは、ニッチな市場なのではなく、そこに便利が行き届いていなかった場所なのだ。または、メーカーがそこに多くのユーザーがいることに気がつかなかった場所。

もちろん、そういう場所だから、大ヒットは望めない。でも、これだけ価値観が多様化した現在、大ヒットは狙う方が難しい。その点、確実にある少ない需要に向けて、そこにいる人が正しく満足する製品を投入するのは、むしろ確実なビジネスチャンスだ。袋に入ったタルタルソースを簡単に開けて、途中まで使ったら、机の上に置いておけるような袋があれば、それはニッチかも知れないが絶対小さくヒットする。調剤薬局の現場で面倒な計算をしていた人が「余り計算電卓」で救われたように、小さな不便を「しょうがないか」と我慢して作業している分野なんて、きっと山ほどあるのだ。とりあえず、録音した音声が自動的にテキストになるアプリの実用的な奴、早く出ませんか?(ライターのお願い)