『南瓜とマヨネーズ』冨永昌敬監督×臼田あさ美対談 「ツチダが抱えている感情は普遍的」

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 漫画家・魚喃キリコの代表作『南瓜とマヨネーズ』を原作とした同名映画が、11月11日より公開される。同作の監督を務めたのは、『パビリオン山椒魚』『ローリング』の冨永昌敬。売れないミュージシャン・せいいち(太賀)と恋愛関係にあるツチダ(臼田あさみ)がある日、忘れられない昔の恋人・ハギオ(オダギリジョー)と再会し、ふたりの男性の間で揺れ動いていく模様を描いた恋愛映画だ。90年代後半のカルチャーの匂いが色濃く感じられる『南瓜とマヨネーズ』の今なお色褪せない魅力について、冨永監督と主演のツチダを演じた臼田あさみに語ってもらった。

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■冨永「『自分が何をしているのかわからない』という気持ちは普遍的」

ーー90年代末に発表された『南瓜とマヨネーズ』が、いま映画化されることにはどんな意義があると考えていますか?

冨永:音楽やファッションの世界では、作り手が意図して90年代のリバイバルを行っているところがあると思いますが、少なくとも本作については敢えて90年代を狙ったというわけではないです。ただ、原作発表から20年が経過しても色褪せない魅力がある作品であるのは事実で、それは主人公のツチダが決して突飛な人物ではなくて、誰もが抱く普遍的な感情を抱えているからだと考えています。相手役となるせいいちやハギオは、ある種の破綻を抱えた人物で、その破綻の仕方は人によって違うかもしれない。だけど、ツチダが抱える「自分が何をしているのかわからない」という気持ち、わからないことに気づいてしまう瞬間は、男女に関係なく、年齢に関係なく、理解できるものではないでしょうか。しかもそれは、人が窮地に立ったときに陥りがちな感情で、だからこそ激しく感情を揺さぶるものがある。

ーーそんなツチダ役に臼田さんをキャスティングしたのはなぜでしょう?

冨永:臼田さんを選んだのは、正直なところ直感としか言えないところがあります。最初は、スタイリストの加藤將さんが、ツチダ役には臼田さんが良いんじゃないかと言い始めて、僕はそれを聞いた瞬間になぜか、「そうだ、臼田さんしかいない!」って確信してしまったんですね。その後、原作を読むたびにツチダが臼田さんにしか見えなくなってしまって。ただ、理由がなかったのも結果的に良かったと思います。というのも、たとえばツチダはこういうファッションを好んで、こういう性格だから、こういう条件の女優さんが良いっていう発想だと、その条件に合わせて第二候補や第三候補が出てきてしまうし、撮っている最中に「もしも他の人だったら」とも考えてしまうかもしれない。だけど、幸いにもすんなり臼田さんに決まって、しかも撮り終わってもなぜ「臼田さんしかいない」のか、明確に言語化できるわけではない。それこそ、唯一無二のキャスティングだったということなんだと思います。

ーー臼田さんはツチダ役に選ばれたときにどう感じましたか?

臼田:いま思い返すと、なぜそんなに執着していたのだろうと不思議なくらい、ツチダ役には惹かれるものがありました。絶対に映画化してほしいし、冨永さんと一緒にこの作品を作り上げたいって意気込みがあったけれど、なぜこの役を自分が演じなければいけないと思い込んだのか、明確な理由はやっぱりわかりません。冨永さんと同じように、そこは直感ですね。

冨永:ただ、臼田さんが「ツチダ役はわたしだ」と思うのと、僕が「ツチダ役は臼田さんだ」と思うのは、実は全然違うことで。

臼田:そうですね。だって、この映画の話の前は冨永さんと会ったことはなかったわけですし。

冨永:臼田さんがどんな人となりなのかは知らずに、とにかく似ていると思ってオファーしました。

臼田:でも、わたしは自分がツチダと似ているとは全然思っていなくて。絵的には撮り始めてから、髪型の感じとか全体的なシルエットがツチダと重なっていきましたけれど、彼女の内面はいまもわからない部分が多い。ただ、せいちゃん(太賀)のことをどうにかしてあげたい、彼の歌を聴きたいっていう気持ちはすごく理解できるから、わたしはそこに気持ちをもっていきました。

冨永:その人物に“似ている”のと、その人物を“演じる”のは、同じではないということですね。僕が“似ている”と感じたのはきっかけに過ぎなくて、ツチダという人物を立体的に作り上げていくには、臼田さんからのアプローチも必要だった。

ーー印象に残っているシーンも、撮る側と演じる側では違いがあるのでしょうね。

冨永:僕はツチダとせいちゃんが別れ話をしているときに、そのタオルの色が何色だったら一番悲しいだろうと、ずっと考えて撮っていたんですけれど、たぶん臼田さんはそんなことはまったく気にしていないですよね?

臼田:タオルで顔を覆うシーンですね。監督は「泣いた顔を見せるんじゃなくて、もっとタオルでぐっと!」って演出されていました。台本に書かれていない演出で、監督からタオル渡されて、「はい、やってみます」ってお芝居をするわけですけれど、もちろんタオルの色が何色だからってことで自分の気持ちは動かないから、せいちゃんとの会話に集中しました。監督はそれを客観的に見ていたわけで、集中しているポイントはぜんぜん違いましたね(笑)。演じる側からすると、どう映っているかを意識する余裕はありませんでした。

■臼田「こういう状況って意外と世の中にたくさんあるのかもしれない」

ーーツチダは、自分でも何をしているのかがわからないような複雑な感情を抱いているわけですが、臼田さんは演じていて、演出に疑問を持ったり、芝居に迷いが出ることはありませんでしたか?

臼田:インしたばかりの頃は、私が「ツチダはこういう人物だ」と決めつけ過ぎている部分があって、私が考えるツチダしかいなかったと思うんです。でも、キャラクターを作り上げていく過程で、私が感じた疑問をすべて冨永さんにぶつけたら、ちゃんと聞いてくれて。だからその後は、冨永さんたちの作った世界の中で、私の思うツチダでいれば良いんだって思えました。監督やスタッフとの間に、ちゃんと信頼関係があったからこそ、迷わずに演じられたというか。たとえば、この映画には、原作にはないせいちゃんとハギオの“鉢合わせ”シーンがあるのですが、わたしの考えるツチダはそんな軽率な行動はしないと思っていたんです。でも、お酒を飲んで徹夜した後だし、ハギオは相手の気持ちを考えずにグイグイくるタイプだから、そういうこともあり得るでしょうって冨永さんに言われて。実際に現場に入ったら、台本にはなかった、ハギオがどういう風にやってくるかがリアルに描かれたシーンがあって、なるほど確かにこういう状況だったら面倒くさくなって家に入れちゃうかもなぁと。そのちょっと面倒臭くなっちゃった気持ちをそのまま表情に出せば良いんだって思えたんです。お芝居って基本的に全部が嘘なんですけれど、その中でも感情的に嘘のない演技ができたと思います。

冨永:臼田さんの「この状況だったらこうなるよね」っていう諦めの感情が、生々しい情景になっていました。

臼田:元彼と今の彼が自分の部屋で鉢合わせするって、普通に考えたらありえない状況なんだけど、こういう状況って意外と世の中にたくさんあるのかもしれないと感じさせるというか。自分が経験したことではないはずなのに、若い頃にこういう苦々しい瞬間ってあったなって感じさせるんですよ。この映画で起こっていることは、全部そうですね。そういう風に感じるのは、最初に冨永さんが仰っていた「自分が何をしているのかわからない」という、誰もが抱いたことがある感覚を思い起こさせるからなのかもしれません。(松田広宣)