「大企業に入れば、一生安泰」

昔からそう教えられて育ってきた。

有名大学を卒業し、誰もが知っている大企業に入社。

安定した生活を送り、結婚し子供を育て、定年後は年金と退職金で優雅に暮らす。それが一番の幸せだ、と。

丸の内にある大手総合商社に勤める美貴(26)も、そう信じてきたうちの一人。

モヤモヤしながら仕事をしている現状を変えたいと奮起して転職エージェントとの面談に臨んだ美貴だったが、一般職の経験への評価に愕然とする。

大企業ブランドが通用しない転職市場の厳しい現実を前に悩む美貴。そんな時にシンガポール駐在から帰国した同期の潤と再会し…?




“The商社マン”オーラを身につけた男


「潤、1年目の時とは全然違う…!」

シンガポール駐在帰りの同期である潤が『セラフィナ ニューヨーク』に現れた時、美貴はその堂々としたオーラにハッとした。

お店に現れた潤の装いは、濃い目の青ストライプシャツに紺のパンツ、手入れされた黒の革靴。潤の堂々とした姿から、自信が伝わる。

仲の良かった同期といえども、話すのは約3年ぶりだ。

また、昔「付き合うのも時間の問題」と噂された相手と会うことに、美貴に変な緊張感が走っていたが、潤の堂々とした立ち振る舞いに目を奪われ、その緊張もどこかへ飛んでいった。

この間、ばったり会社のエレベーターで会った時はなんとなく気まずく、そそくさとエレベーターを降りてしまい、ちゃんと見ていなかったが、潤は既に入社4年目とは思えない“The商社マン”のオーラを纏っていた。

「潤、すっかり“商社マン”って感じだね。同期とは思えないよ。」

美貴の純粋な驚きが言葉に出た。

「そう?まぁ、そりゃシンガポールでビシバシ鍛えられたからね〜!」

潤は入社時、コーポレート部門の審査部に配属された。日本では事業投資案件のリスク審査や財務分析を担当し、本人の熱望もあり、2年目の終わりにシンガポールに研修生として派遣された。

「シンガポールで働けて、本当に良かったよ。俺はラッキーだ。」


会社に決められたキャリアロードを歩く大企業の戦士たち


一生エビしか輸入できない?大企業に潜む配属リスクの罠


食事をしながらたわいもない会話が続いた後、潤は少しお酒が入って酔いが回ったのか美貴に訴えかけるような口調で、熱く語り出した。

「俺、最初審査部に配属された時、せっかく商社に入ったのに何でコーポレートなんだよ、って思ってた。何で俺が、って。」

生粋の慶應ボーイで話も上手かった潤の配属が審査部だと発表された時、周りはどよめいた。本人もてっきりバリバリの営業部で海外向けビジネスをすると思っていたようで、納得がいってない様子だった。

そんな潤が今ではすっかり自信を取り戻している姿を見て、美貴は安心した。

「でも逆にそれで頑張れたし、審査部は背番号制に関係なく自分でやりたいビジネスの希望も出せたから逆に良かったのかも。」

潤はシンガポールでは最近会社が買収した食糧・食品を扱う事業会社に1年間出向し、帰国後はそのまま食糧部に異動となった。確かに営業部門を特定せずに最初の3年間を過ごした潤は、実はラッキーだったのかもしれない。




商社には“背番号制”と呼ばれるキャリアロードがあり、営業部に配属されたら基本的に定年までずっと特定のビジネスのキャリアを積んでいく。

コーポレート・営業間の異動や同じ部門内などの近い異動はあるものの、基本的にエビを扱う部署に配属された人は、そのまま一生エビの輸入に仕事人生を捧げることになる。

美貴と同じ部署の同期の智樹も以前、3年目の時に異動希望を出して課長に却下されたことを嘆いていた。

同期の中でも頭一つ抜けていた智樹は、自動車のトレード業務だけをやる自分の成長の停滞感を感じ、「新しいビジネス開拓もやってみたい」と海外赴任か自動車のリース事業を行なっている部署への異動希望を出していた。

潤のように海外赴任している同期もちらほら現れ、焦りも感じていたのだろう。しかし、課長は真剣に取り合ってくれなかったと言う。

「たかが3年やっただけで、トレードをわかったつもりか?俺は入社して最初の10年はがむしゃらに働いてビジネスを学んだ。停滞感を感じている、なんて傲慢な考えなんてなかったぞ。当時俺は8年目でようやく海外駐在できたんだ。」

経験にものを言わせて、最初から部下の話を聞く姿勢を持たない上司。経験年数と共に得られるノウハウがあることは理解できるが、それは必ずしも年数だけで得られるものではない。

智樹のその話を聞いた時、美貴は「やる気のある人を抑えつけるなんてもったいない」と思った。

身近にそういう事例があるからこそ、前で話す潤の言葉の一つ一つがスッと頭に入ったのだ。


今になってわかる、日本の就活問題とは?


学生に刷り込まれた「良い“会社”に入社しなければ」という価値観


「就職活動の時は全然気づかなかったけど、会社に自分のキャリアを決められて、自分で選べないって、とんでもなく恐ろしいよな。」

潤は、シンガポールで同年代のビジネスマンと話をする中で日本の大学教育・就職活動の問題を痛感したという。

就職先を選ぶ際、海外の学生が自分の大学での専攻を活かして「職種」で選ぶのに対し、日本の学生は「会社」で選ぶ。会社に入って、自分が具体的にどのような仕事をするのかわからない状態で就職先を選んでいる。

日本の文系の大学生が言う“専攻”は、海外の学生とは比べものにならないことも実感した、と潤は言う。

「俺ももう少し大学でちゃんと法学部らしく真剣に勉強すれば良かったな。当時は授業なんて大して真面目に聞かなかったし、卒業単位を取ることしか考えてなかったよ。」




潤の話を聞き、美貴はエミリの「会社と結婚するな」という言葉を思い出した。

―何であの時、私たちはとにかく良い“会社”に入ることしか考えられなかったんだろう。

両親やサークルの先輩達にも“この会社に入ったら良い”とは言われたけど、“こういう仕事はどう?”とは言われなかった。

美貴も、周りの友達も、就職活動はとにかく“良い会社”に入社することをゴールにしていたし、それをゴールとすることに何の疑いも持ってなかった。

商社に入った同期は皆、営業を希望していたし、商社に入社すれば「世界を飛び回る商社マンになれる」と信じていたに違いない。大企業における配属リスクになど誰も気づかず、そのリスクを真剣に捉えていなかったのだ。

潤のように実力もあり、自分でチャンスを掴むことができた同期もいるが、それはレアケースだ。智樹のように実力があるのにも関わらず、やる気を削がれている社員が多いのが現実だ。

確かに大企業に入れば、“安定した生活”が送れるのかもしれない。しかし、やりたい仕事につけず、一生「毎日がつまらない」「新しいことがしたい」と嘆き、“安定した生活”と引き換えに毎日耐え続けることは、幸せなのだろうか。

―ようやく本当に目が覚めた。私、このままじゃダメね。

転職エージェントとの面談で自分の“市場価値”の低さを思い知らされ、少し弱気になっていた美貴だったが、潤と話をして、学生の時のような純粋な気持ちを取り戻していた。

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美貴の前に立ちはだかる「両親の価値観」という厚い壁