自分で保育園を作る。実現に向けて動き出した筆者・小阪は、スポンサーとして、ある不動産会社に協力を申し込んだ。もちろん、ひと筋縄ではいかないことは百も承知。そこで、首を縦にふらせるためにある提案とともに交渉に挑んだ。それは……。

文・小阪有花

【グラドルから保育園へ】vol. 80

不動産会社との交渉

保育園設立に力を貸してくれたのは、託児所付きで営んでいる不動産会社だった。保育のできるスタッフが揃っていることや、不動産会社ということで土地もあることから、ぜひこちらの協力を得て保育園を作りたいと思った私は、さっそく不動産会社の社長に猛アピールをかけた。この時期、待機児童問題が大きく取り上げられる少し前の時期だったため、そのアピールは強くできなかったが、ある仕掛けを事前に行うことを提案しながら、保育園を設立させようと話した。

建物は、保育園としてだけでなく、ゆくゆくは介護施設へ切り替えられるように設計しながら建てるということ。この頃、日本は高齢化社会に変化していく、ということがニュースになっていた。いまのままでは介護施設、介護スタッフが足りず苦労するという話はよく耳にしていたので、これは提案の材料として使えるものだと考えた。保育園を設立させたのち、万が一うまくいかなかった場合、介護施設に切り替えてしまえば大丈夫という提案。これは、意外にも功を奏し、どうせ余っている土地だからと、ほぼ決定のところまで運ぶことができた。

あとは、今すぐやる必要はないと流されないように、スピードを要したかったが、急がせるべき理由が見つけられなかった。利益云々より、社会貢献としての提案だったので後回しにされそうになった。実際、やみくもに日々が過ぎた。いったいいつになったらことが運ぶのかと不安に思っていたけれど、ついに不動産会社が重い腰を上げるときがきた。待機児童問題が大きく取り上げられ、世間が騒ぎはじめたのだ。ニュースでは必ずその問題で評論家が議論を交わし、ツイッターやブログでも話題にするものが増えてきた。ここを逃してはいけないと、すぐさま社長に猛アピールした私は、ようやく、保育園設立決行の承諾を得ることができた。

こさか ゆか/保育園プロデューサー リバイバルミーティング代表。チャイルドカウンセラー、家族療法カウンセラー、幼児食インストラクター、ベビーシッター資格習得。 2004年ミスマガジングランプリを獲得し芸能界デビュー。グラビアアイドルとして活躍後、2009年に引退。現在は子どもの心スペシャリストとして活動中。

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