経営者が、その場その場で不安定な感情的言動をするのは…(写真:pixs4u / PIXTA)

経営者には心得ておくべきことが、いくつかあると思います。なにより大切な心得は、まず、社員の誰にも負けない「熱意」というものを持つということでしょう。経営者には、会社の発展のために「命を懸けるほどの思い」というものがなければなりません。規模の大小を問わず組織の中で、会社の中に1人ぐらいは、人生から仕事を取り除いたら何も残らない、というほどの「滾(たぎ)るような熱意を持った人」がいなければ、その組織は成り立っていくはずがないのです。


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もちろん、この心構えは、一人ひとりの社員に求めるべきものではありません。社員は、それぞれの役割を果たすだけで十分で、必ずしも命を懸けるほどでなくても許されます。しかし、社長たるものは、イギリスのウィンストン・チャーチルの言葉のように、つねに「Alone very well!」(俺1人で十分だ。このイギリスを救ってみせる)という強烈な熱意、また、武士の心得を書いた『葉隠』にあるように「芸は身を亡ぼすなり」、すなわち、心に「遊び」「すき」があるときに失敗するとありますが、そのとおりでしょう。

社長たる「役割」を果たす、その間は、決して「心を許して、遊んではいけない、死をも覚悟するほどの熱意がなければいけない」ということです。これが心得の第一です。

言動には「一貫性」が必要

2つ目は、その言動に「一貫性」がなければならないということです。社員が同じことをしても、あるときは評価し、あるときは叱責する。ある社員は厳しく注意するけれど、別の社員には特段に注意もしない。これでは、社員に不信感が生まれ、会社全体がまとまりません。

そのためにも、経営者は方針(この会社はなんのためにあるのか、どのような心構えで仕事に取り組んでいくのかということ、そして最終目標、加えて具体的目標)を明確にする必要があります。その方針を、すべての経営を進めるときの「物差し」「座標軸」にして、自身の言動を貫いていくべきでしょう。方針に沿って、確固不動の対応をするとき、社員は納得し、全力を尽くし、会社を発展させていくということになります。とにかく、経営者が、その場その場の不安定な感情的言動をとることほど、会社の衰退を早めるものはないと思います。

3つ目は、社員を見下さない。上から目線での物言いをしない、「高下駄を履いてものを言わない」ということです。いつも申し上げていますが、社長と社員の関係は、上下関係、縦の関係ではなく、役割分担の関係、横の関係です。それぞれがそれぞれの役割をきっちりと果たしていく。そういう意識を持ってこそ、風通しのいい会社、成長する会社になっていくものです。

まして、おのれの無能さを棚に上げて、うちの社員はダメだと公言する経営者は論外です。私からすれば、そういう経営者のほうがダメだと思います。命令口調で社員に指示することも許されるべきではありません。厳しい言い方ですが、それでは経営者たる資格はありません。横の関係であれば、経営者は社員に相談調でお願いする。心の中で手を合わせながら、指示を出すはずです。

世の中には責任を取らない経営者が多すぎる

4つ目は、「責任を取る」ということです。世の中には責任を取らない経営者が多すぎます。不正会計の責任を取らない。不良品で事故が起こっても責任を取らない。巨額な赤字を垂れ流していても居座り、責任を取らない。それでは社員の間に緊張感が出るはずもなく、したがって、業績が上がるはずがありません。

某社の若い社員から聞いた「責任を取らない社長」の話を思い出しました。その若い社員が新規取引先を開拓したところ、幸いにしてうまくまとまる寸前になった。そこで、社長も商談に行くことになり取引先に出掛けた。ところが、社長が取引先の部長の個人的な話をしたことから、その部長を傷つけてしまい、契約がうまくいかなかったそうです。にもかかわらず、社長はその責任を若い社員に押し付けて、「うまくいかなかったのはお前のせいだ。お前がもっと話を詰めておくべきだった」と責めたのだそうです。彼は大いに憤慨して、自分の責任を社員に転嫁する社長の無責任さには腹が立つと言っていました。

余談になりましたが、会社においては、経営者は「責任はわれ一人(いちにん)にあり」という自覚と胆力がなければならないでしょう。

5つ目は、「勝てば官軍という考えを持たない」ことです。なにをしても法に触れなければいいという経営の仕方は、結局は社員から軽蔑され、お客様が離れ、社会の信用を失うということは覚えておくべきでしょう。法を基準にして、経営、商売をすることほど危ういものはありません。いつでも、どのような場合でも「人間」を出発点にして経営を考えていかなければ、ある日突然、氷山に衝突して会社は沈没してしまうでしょう。

勝てば、なにをしてもいいという発想ではなく、もちろん、勝つこと、利益を上げることも大事ですが、その利益の「上げ方」に心をいたす。「勝つ美学」と同時に、「勝ち方の美学」も持つ。そのことによって、社員もまた、人間としてふさわしい、人として正しい取り組みで成果を上げるようになる。そして、お客様も世間様も大いに評価し、そして、会社は発展するということになります。まかり間違っても「勝てば官軍」という発想を持たないことです。

6つ目は、「自分の言ったことは必ず実行する」ということ。とにかく、経営者は約束を守るということと同時に、自分が社員に向かって言ったこと、世間様に話したことは、必ず、実行実現しなければならないということです。遅刻はするな、交際費は使うな、俺の注意することを聞けなどと言いながら、自分は朝の出社時間に遅れる、交際費は使いまくる、部下の諫言(かんげん)、助言は聞かない。

実に「滑稽」と言わざるをえません。それでは、経営者の権威は失われ、社員は誰一人ついてこないということになります。松下幸之助さんは、迎えの車が遅れてきたために遅刻したことがありますが、自分で自分を罰し、減給数カ月を課しました。社員に遅刻するなという以上は、やはり、こうした心掛けがなければならないでしょう。

「感動を与える」ことが大事

7つ目は、「感動を与える」ことが大事だということです。人は誰でも「頭」に訴えられるより、すなわち理屈で、筋論で話されるより、「心」に訴えられる、感動するときのほうが、大きな働き、「利ではない利」で動くものです。いくら理論的でも、いくら理解できても、なにか心に響かない、何か胸震えるようなものが感じられない話、言葉ということであれば、決して、積極的に仕事に取り組むことも、自主的に創意工夫もしません。人間というものは、そういうものです。

この話は、中国・秦の時代の話。田光という人が、始皇帝の暗殺をしたいという燕の太子に、荊軻(けいか)という人を紹介します。しかし、太子が疑念を持ったということで、荊軻に申し訳ないと自刃する。その行為に感動した荊軻は単身、秦に赴き、始皇帝暗殺を企てる。結局は、失敗し殺されますが、それは最初から覚悟のうえ。この荊軻については賛否がありますが、故・安岡正篤先生は高く評価し、人間かくあるべしと漢詩をつくっているほど。それはともかく、人は感動すれば、自分の命を懸けるほどの行動をするということです。理屈で人が動くのは有限、感動で人が動くのは無限といっていいでしょう。

経営者は、つねに心で、感動で社員を動かす、語りかけることの重要性を心得ておく必要があると思います。

最後に8つ目は、「自分より優秀な社員に嫉妬しない」ということが大事です。ところが、嫉妬する経営者が案外多い。経営者はなにが大事かといえば、自分以上の人材を集めること、自分のレベル以上の社員を育成することです。そうでないと、会社は自分の程度にしか発展しません。当たり前のことです。

「経営者の優秀さのメルクマール」は、経営者より優秀な社員が何人いるか、擁しているかで決まるものです。ところが、自分より優秀な社員が出てくると、嫉妬する。嫉妬するだけでなく、遠ざける。閑職に追いやる。あるいは退職させるように仕向ける。そういう光景を見ているほかの社員は、ああ、経営者を超えたら危ないなと思う。思うから、自己啓発も努力もほどほどにしかしない。手を抜くことになる。多くの社長と交流してきましたが、こういう社員に嫉妬する社長が多いのは意外に思ったものです。ですから、それでスピンアウトした人が、起業して成功を収めたという例は枚挙にいとまがありません。

だいたい、優れた社員の手柄は、経営者の手柄になるものです。熊本城を造ったのは、実際には、石工(いしく)であり、大工であり、その指揮者であって、加藤清正ではありませんが、熊本城を造ったのは?と問えば、誰しもが加藤清正と言うでしょう。ホンダを創ったのは、本田宗一郎さんだと言いますが、実際には、藤沢武夫という副社長の力によるところが大きい。松下幸之助さんの成功も、高橋荒太郎さんという名補佐役がいなかったらありえなかった。しかし、藤沢武夫、高橋荒太郎といっても、大抵の人は誰?と思うでしょう。そういうものです。ですから、経営者は、なにも嫉妬することはないのです。自分より優れた部下を持っていることをどんどん自慢すべきと思います。

経営者は、以上の8つの項目を、とりわけ心得ておくことが大事だということです。