写真:YUTAKA/アフロ

「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」

 ハードボイルドの巨匠、レイモンド・チャンドラーが探偵のフィリップ・マーロウに言わせた言葉だ。寿美工業株式会社・常務取締役営業部長の鷲見健吾さん(44)は、大学の卒業論文のテーマにこのチャンドラーを選んだ。そこにたどり着くまでには、語り尽くせない物語がある。

 子供のころからハードボイルドで男らしい生き方に憧れた。『探偵物語』で松田優作が演じた主人公の影響もあった。中学時代は反抗と喧嘩の日々。警察の世話にもなった。授業もほとんど出なかった。

 独立心が強く、年を偽ってハンバーガー店でバイトをした。親の願いで定時制高校に入ったが、喧嘩をして2カ月で自主退学。それからは、都内高円寺の下宿に一人住まいをして働いた。

「防水業の作業員になって、ずっと現場仕事をしていた。このままいくと現場の職人人生。それはそれで尊いけど、自分の人生を変えたいという思いがあった。

 UKロックが好きで、イギリスへ行ってみたかった。そんな話をしたら、従兄弟から留学をすすめられた。中卒だから無理だと言うと、『語学学校なら学歴に関係なく、誰でも入れる』」

 20歳から2年間、ロンドンで暮らした。1年めは貯金で、2年めは親の仕送りに頼った。ロック関係の仕事があればくらいの軽い気持ちだった。

 そんな鷲見さんにロンドンは僥倖と災難を与えた。僥倖は同い年の彼女との出逢い。災難は日本人大学生と議論をした際に、学歴によって軽んじられたこと。許せなかった。そのとき、大学へ行かないと今後もこういう目に遭うのだろうと感じた。

 ケンブリッジ英語検定試験に合格して1996年の初春に帰国。馬鹿にされた悔しさから大学検定試験の勉強を始めた。

「23歳だったけど掛け算レベルで止まっていて、割り算の計算方法を知らなかった。小学校5年生の教科書から始めた。簡単だったが、中学からは難しくなった。

 猛勉強の結果その年の大検に合格し、翌年から本格的に受験勉強に取り組んだ。

 科目数の少ない私立に的を絞ったが、1年めは全然駄目で、2年めは通信教育で勉強し、慶應義塾大学文学部に受かった。英米文学科の巽孝之教授のゼミで、アメリカ文学を学びたいという思いがあった」

 巽ゼミの卒論を書き上げるために1年留年した。アメリカではサブカルチャーとして生まれたハードボイルドが、 なぜ1970年代末から1980年代初頭にかけて日本で流行ったのか? まとめるのに時間がかかった。

 一方で大学生活がおもしろくなくて、カレーを道端で売った。自分が作ったカレーが500円で売れることに快感を覚えた。卒業後は移動販売でカレーを売った。しかし規制によって廃業。その後はさまざまな仕事をした。ゼミの先輩の経営するIT企業には3年半勤めた。

「ものが書きたくなった。ラーメン店で働いて、よけいなことは考えずにものを書きたい。その話を聞いた親父が『いい加減にしろ! うちで働いてみろ。辞めたかったら辞めればいい』。

 遠回りして親父が社長の寿美工業に入った。ロボットやモーターを作っている安川電機の代理店などをしている。36歳のときで、仕事としてはそこが転機だった。

 ただ本当の転機は、今後に来ると強く思っている。仕事を辞めるようなものではなく……」

 アウトサイダーとまともな生き方の往き来。それが鷲見さんの人生だった。

 さて、ロンドンの僥倖のそれから。 18年間そばで待っていてくれた彼女を、ヨルダンのぺトラ遺跡近くの砂漠へ連れていった。つき合い始めたころに中東を旅したとき、あまりの星の美しさに、いつか君をここに連れてきたいと手紙に書いて送った場所だ。

 満天の星が見つめる下でプロポーズをした。舞台が整いすぎていて、彼女はそれをギャグと受け取った。

 翌朝、「昨日のことなんだけどね、本当に真剣に考えてくれないと……」。慌てて本当だと言った。彼女は泣き出した。2人は38歳で結婚し、今は4歳の娘を溺愛している。
(週刊FLASH 2017年11月21日号)