「こっからヨーロッパね、へぇーっ」
 福井県、敦賀市。旧敦賀港駅。
 雪だか雨だかわからない、とにかく冷たい水滴が顔面を刺す。
 旅客船のけむりも旅人の姿もない、怖いほど静かな港に立ち、100年前のにぎわいを、全力で妄想する。

「列車を降りて、ここから船か」


 コンテナが整然と積みあがる、いまの敦賀港駅はロマンのひとかけらもないが、かつては、この港から航路と鉄道を伝って、はるかかなた西にあるヨーロッパへとつながっていた。
 明治期、東京からパリを目指す旅人は、こんなルートをとる。
 新橋から欧亜国際連絡列車に乗り、金ケ崎(敦賀港)駅でウラジオストク行きの船に乗り換え、あのシベリア鉄道に揺られる。2週間の旅だ。
 あの与謝野晶子も、鉄幹を追っかけ、同じルートでパリへ向かったらしい。
「晶子さんはこの港町で、船の出航を待つひととき、どう過ごした?」
 震えながら独り言を発する中年ラン鉄に、地元の人がこう教えてくれた。
「気比神宮の裏手にむかし遊郭があったっていうが、いまはなんもないよ」
 そんなことを聞いてしまったら、いまおいしくいただいている若狭湾の海の幸も、ダダダっと片付けて、再び戻ってその色気を感じたくなってきた。

欧亜列車から100年、新幹線の気配


 北陸線の敦賀駅の金沢寄りには、本線から分岐し、港へ向けてわずかながらレールが伸びている。この錆び付いた線路が、敦賀港線だ。
 この緩やかにカーブする単線線路の上を、欧亜国際連絡列車が走っていた。
「晶子さんは一等車?二等車?」
 柳ケ瀬越えや杉津越えに備えて配備された蒸気機関車たちの姿を思い浮かべ、敦賀を出て、金ケ崎(敦賀港)の駅へと向かう列車の左車窓を妄想する。
 旅人や商人、遊女たちでにぎわう六軒町や、気比神宮が見えたか…。
 国際列車の終着駅は、昭和に入り貨物駅となり、貨物列車の往来もいつしか消え、トラックが出入りするコンテナステーションと姿を変えた。
 でもなぜか、敦賀港駅の小さな駅舎や立派なヤード、線路も残っている。
「あ、あれはね、例のほら、モーダルシフトっていうの?また使うかも知れねえから残してんのよ」
 この敦賀港線は、まだ生きてたのか。
 危ない、幻聴だ。敦賀駅にいまも残る給水塔。その脇でけむりをあげるD51が、シューッと息吹いた気がする。
 この敦賀港駅に、いまにもやってきそうな、幻覚。いやーアブナイ。

あれれ? もっと危険な物件、発見。


 敦賀港駅の機まわし線のすぐそばに、赤レンガでできたランプ小屋が…。
 ひとりノスタルジック病に効くショック療法のように、パーンという電子音がどこからか聞こえてきた。
 敦賀は、欧亜国際連絡列車から100年のときを経て、こんどは新幹線がやってくる。晶子さんが乗った夜行列車の時代からドーンと進化し、東京と敦賀が日本海経由で2時間台で結ばれる…。
 駅前の赤提灯で、特急「しらさぎ」を待つあいだ、へしこで一杯。
「富士山から、立山連峰へ、かあっ」
 敦賀へはこれまで、東海道新幹線の車窓に映る富士山や息吹山を相手に缶ビールをあけたが、これからは北陸新幹線で、日本海を愛でながら、か…。
 新幹線の衝撃でセピアに染まる北陸線。疋田トンネルを抜け、米原。鉄路の要衝はいま、汽笛もけむりもなく…。

この連載は、社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会発行の月刊誌「リハビリテーション」に年10回連載されている「ラン鉄★ガジンのチカラ旅」からの転載です。今回のコラムは、同誌に2015年2・3月号に掲載された第30回の内容です。

鉄道チャンネルニュースでは【ラン鉄】と題し、毎週 月曜日と木曜日の朝に連載します。

本コラム連載の文字・写真・イラストの無断転載・コピーを禁じます。