11月に入って「ついに東芝が『サザエさん』スポンサー降板調整」とのニュースが報じられました。

 日曜夕方、フジテレビ系列で放送される「国民的アニメーション番組」サザエさんのスポンサーを東芝が降りる・・・。

 同社を巡る様々な報道の中でも、ひとしお感慨が深いこの話題を巡って、日本人と家族をめぐる問題を考えてみたいと思います。

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「サザエさん」はどのように放映され始めたか?

 資料によるとテレビアニメーション「サザエさん」の放送は1969年10月5日に開始されています。

 いまから48年前、つまり現役の東芝の経営陣の誰も、まだ同社に入社する前から「サザエさん」は東芝の擁する国民的アニメとして、いわば「国民的家電メーカー東芝」の表看板として、毎週「サザエさん」の口を借りて

サザエさん「明日を作る技術の東芝がお送りしま〜す」
タラちゃん「シマース」
なぜか太鼓の一打が「ドン!」

 などとやっていた。それが、別のスポンサーによる「サザエさん」になるのか、それともサザエさんそのものがなくなってしまうのか、どのような経緯になるのかは分かりませんが、ともかく決定的に変質してしまう。

 まずもって感慨無量と言うしかありません。私はかつて「サザエさん」より5年ほど古い長寿番組「題名のない音楽会」の音楽上の責任を数年間務めましたが、その頃サザエさんはオンエア二十数年、十分ベテラン番組でした。

 しかしそれからさらに同じくらいの年月が経ち、いま東芝の命運とともに違う姿になろうとしている。

 しかし大学に勤務する一個人としては、1969年とは「安田講堂攻防戦」で放水車が出、東京大学の入学試験が中止(1月18-19日)された年という印象がとても強い年号です。

 この翌年の1970年入試で合格した1951年生まれの学年が2016年に65歳を迎え、教授職だった方々はこの春に定年を迎えられました。

 福島第一原子力発電所事故以降、大変な仕事を続けておられる反物質の早野龍五先生、私の指導教官である大塚洋一先生も、この「紛争後」の学年で69年当時は高校3年生として受験勉強にいそしんでおられたはずです。

 世間が荒れに荒れていた時代に始まった「サザエさん」は、当時の高校生が大学に入り、大学院に進学し、業績を上げ始め、助手・助教授そして教授と約半世紀にわたる研究生活を全うするだけの時間、干支にして4回り、カツオ君は小学生のままでタラちゃんは赤ちゃんのまま、という不思議な時計の針の止まり方をしていたことになります。

 1969年は4月に「永山則夫連続射殺事件」、6月は南ベトナム共和国臨時政府の樹立宣言、7月にはアポロ11号が有人月面着陸成功、8月は渥美清主演の松竹映画「男はつらいよ」第1作が公開。「サザエさん」初回放送の前日土曜日からTBS系列「8時だヨ!全員集合」が放送開始。

 前年の1968年から世界は大揺れに揺れ、サザエさん放送開始の1年前には「新宿騒乱事件」、翌70年は3月から9月まで「EXPO’70」大阪万博で夢の未来像が描かれながら11月には三島由紀夫が市谷で割腹自殺。

 国際社会は泥沼化するベトナム戦争や中東情勢、国内は学園紛争全共闘など、ごちゃごちゃの時代背景の中で、ホームコメディ・アニメーションが企画され、オンエアがスタートしている。

 戦後高度成長「金の卵」や「核家族」がまさに最初の危機に直面していた頃、最初から「ノスタルジー満載」の幸せなホームコメディとして

「おさかな咥えたドラ猫」
「みんなが笑ってる〜 お日様も笑ってる〜」

 という仮想世界を描き出した1969年10月の経営判断。

 このことの意味を考えてみる必要があるように思うのです。

「サザエさん」は100年前の家族

 つまり、若者が荒れていたのです。1969年に20代だった人はいまや古希を迎えているわけですが、当時は青春のパワーをもてあましつつ、ヘルメットと立て看、ゲバ棒の毎日を送っていた。

 そんな中で「明日を作」ろうとしていた、一方では大阪万博も控えていた日本の電機メーカーが白羽の矢を立てた「サザエさん」とは何だったのか?

 これを考えるうえでは、いまや「テレビアニメ」が原点のごとく思われている「サザエさん」そのもの出自を考える必要があるでしょう。

 そもそも「サザエさん」は長谷川町子による新聞連載の4こまマンガでした。

 この原稿を準備するにあたって「サザエさん」がどういうマンガか知っているか、身近な学生に尋ねてみましたが、誰も「朝日新聞連載の4コマ漫画」と知る者がなく、まあ仕方がないか、と苦笑しました。

 「サザエさん」は1946年4月22日から、福岡のローカル紙「夕刊フクニチ」で連載が始まった新聞の4コママンガで、1951年4月から朝日新聞朝刊に舞台を移し、1974年2月21日で休載=実質的に歴史を閉じ、それからすでに43年が経過している。

 私が小学校に入った頃、八百屋で買い物をすると、包んでくれる新聞紙(で包装していた、なんて話も、学生に言ってもほとんど通じません<苦笑>)には「サザエさん」の4コマがあり、焼き芋など買って中のマンガを読んだ記憶がありますし、散髪店に行くと「よりぬきサザエさん」などが、高確率で置いてあった。

 連載終了は私が小学校4年のときで、よく覚えています。その後、高校生の頃、日曜版にカラーの大きな画面で「サザエさんうちあけ話」が掲載されて、読むのが楽しみでしたし、それをもとにNHKの連続ドラマも作られました。

 長谷川町子さんが亡くなられたのは私が社会生活を初めて数年の頃で、続いて「姉妹社」版がなくなり、サザエさんがすべて「絶版」と聞いたときには、何か本当に子供時代が終わるのだな、というような、とても寂しい気がしました。

 それからすでに24年、干支が2回り経過している。

 幾重にも過去の作品であることに注意したいと思うのです。

 1990年代に入り、私が大学院生〜音楽家の生活を始めた頃、「磯野家の謎」という都市伝説本がヒットしましたが、表面的なギャグに流れいまひとつ笑えなかったのを思い出します。

 「サザエさん」は何より昭和21年に連載が開始された新聞4コマ漫画であること、当初サザエさんは独身だったそうですが、マスオさんと結婚してタラちゃんが誕生、マスオさんは磯野家に同居するという「マスオさん状態」は、何よりも戦後の焼け跡、闇市時代の世相を背景としているように思われます。

 「タラちゃん」は2017年時点でも赤ちゃんとしてテレビに登場しますが、第2次世界大戦後のベビーブーマーであることは注目しておいてよいでしょう。

 タラちゃんは終戦後に生まれ、焼け跡、闇市時代に乳幼児だった。彼は1969年には22-3歳、つまり全共闘でヘルメットをかぶり、ゲバ棒を振り回していた世代ということになります。

 サザエさんの両親、波平・フネの夫婦は、長姉サザエのほか小学生と思しいワカメのような娘もいますから、せいぜい40代。その長女であるサザエさんは、当時のことですからハイティーンから高々20歳過ぎ。

 明治生まれの波平夫婦に、大正末期─昭和世代のサザエーマスオの若夫婦、昭和1桁か2桁のカツオ君やワカメちゃん、ベビーブーマー全共闘世代のタラちゃん・・・。

 連載が軌道に乗った1951年頃の状況を考えるに、サザエさんの「大家族」は昭和のノスタルジーではありません。戦争直後にノスタルジーをもって振り返られた、明治―大正の大家族像と言えます。

 1920年に佐賀県の小城(実は私のルーツと長谷川さんの郷里が同じであることを、今回初めて知りました)で生まれ、古きよき大正デモクラシーの自由な空気の中で伸び伸びと育ったカツオ君ワカメちゃん的な長谷川町子さんの考える「ノスタルジックな大家族」つまり、明治・大正の日本の家であることが浮かび上がってきます。

 1969年、アニメ放送開始時のコア世代、40歳は1929年=昭和4年生まれでサザエさん程度、50歳は1919=大正8年生まれ、経営トップが60歳前後とすると1909=明治42年生まれで「波平さん世代」。

 つまり、アニメーション放送開始時点で、すでに20年以上の歴史を持つ大人気新聞連載4コマ漫画だったサザエさんは1つには、戦後の郷愁と言いましょうか、戦後で全部燃えてしまって大変だったけれど、子供は小さく、愛らしく、今のようにゲバ棒を振り回したりもせず可愛かった。子育てのノスタルジーがありました。

 さらに、焼け跡闇市の時代に「あの頃は平和だった」と思い出された昭和21年時点での「幸せだったあの頃」・・・明治から大正昭和初期大家族の余韻を伝えていると考えてよいように思います。

 1969年にも、1946年にも、すでに「懐かしかったサザエさん」は、今日2017年から見て、ほぼ100年前、すでに完全に消えて久しい、郷愁の日本の大家族像を伝えているのかもしれません。

老老介護とサザエさん

 さて、そんな「サザエさん」を2017年以降も新たなスポンサーがお金を出して、新作を作ってオンエアし続ける意味や必要性があるのか。

 原作者の長谷川町子さん(1920-1992)が亡くなってすでに四半世紀、テレビアニメ「サザエさん」のいまや大半は、作者の没後に作られたもの、という現実が浮かび上がります。

 そこで、2017年以降の日本にこの「大家族」が持つ意味があるとすれば何なのか?

 1つ、強く思うのは「老老介護」の現実です。私の身の回りに限った話かもしれませんが、1947年前後生まれの「団塊世代」はまだまだ元気です。この人たちは「タラちゃん」世代ということになります。

 その親御さん、85とか90といった年齢の大正―昭和初期生まれを、戦後生まれの団塊世代が老老介護している。

 これは、つまり「サザエさん」世代の90代を、タラちゃん世代の「70代」が介護するという図式になっている。

 どちらの世代も「サザエさん」には懐かしい思い出があるでしょう。

 東芝が降りて、新しいスポンサーがもしつくならば、今後増えていくだろう「子供としての団塊世代が要介護の親と同居する老老介護像」などを前提に、スポンサードを考えることができるかもしれません。

 私自身は1969年のアニメ「サザエさん」放送開始を記憶していません。4-5歳の幼児だったからですが、私の両親はともに大正生まれで、サザエさん、マスオさんの世代にあたります。

 幸か不幸か、私はすでにすべての介護を終えて15年近くが経過していますが、老老介護は21世紀の大きな問題として残り続けるでしょう。

 特に第2次世界大戦後の世代=団塊世代が80-90代を迎える2030年代以降、その下の世代=ほかならぬアニメ「サザエさん」と同じ1969年頃生まれの世代が還暦を超え「その次の老老介護」の時代を迎える頃、サザエさんが日本社会に持つ別の意味があるように思います。

 戦後、米国などの介入で日本の「家制度」が解体されて、良かったこともたくさんあると思います。が、大事なものも間違いなく失われているでしょう。

 ある種のタイムカプセルとして、サザエさんが機能する面があるような、希望的な観測も、思わず抱いてしまうのです。

筆者:伊東 乾