結婚したら、寿退社♡

一昔前まで、それは女性の人生における最初の小さなゴールだった。

家庭に入り、料理の腕を磨き、夫の帰りを待つ。

だが、2017年の東京で「専業主婦」は、本当に憧れるべき存在だろうか?

専業主婦だった志穂は、自立のために復職した。義母ともめるなどうまくいかず、思わず家を出てしまうが、結果夫婦仲は安定した。

今回は、そんな志穂を身近で見ていた夫・康介の心情に迫る。




久々に見た妻の笑顔


「私、働こうと思うの!」

妻の志穂が、こんなにも生き生きとした顔を自分に見せるのは、久しぶりだった。

妊娠・出産でなんとなくギクシャクして以来、志穂が心から笑っているのをあまり見たことがない。

娘のひなは可愛いし、風呂に入れたり遊んでやったりする子供の世話は嫌いではない。自分は、よくやっている方だとも思う。

しかし、志穂はどんどん「母親」になっていき、なぜだかいつもピリピリしている。もちろん、自分の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれるわけでもない。

喧嘩も多くなり、自分の顔を見ると不満や文句を言い出す妻。昼夜問わず働き、妻子を養っている自分のどこが悪いのか、康介には全くわからなかった。

「結婚した夫婦など大概そんなもの」という先輩のアドバイスにも関わらず、康介は家に帰るよりは残業をしていた方がマシだ、と思うまでになっていたのだ。

だから、久しぶりに見た志穂の笑顔は眩しく、もしかしたら妊娠前の志穂のように戻ってくれるかもしれない、と淡い期待を抱く。

そんな期待もあり、康介は志穂が働くことを全面的に応援しようという気分になったのであった。


甘くない現実に康介がとった行動とは?



気分の高低差がある嫁と、付き合いやすい同僚


だが、激務の広告代理店でストレスと膨大な仕事を抱えながら、仕事を持つ妻を『応援』するのはそんなに簡単じゃない。

働き出したために疲弊し、ますます余裕をなくした志穂を見るにつれ、康介は帰宅する気をなくしていった。

家に帰れば、機嫌の悪い妻がいる。家に帰りたくないという理由は、それで十分ではないだろうか。

ー今日も帰り遅いの?夕飯はいるの、いらないの?

連日のように「割とどうでも良いこと」をさも一大事のように聞いてくる志穂とは、もう会話も噛み合わなかった。

それならば、と康介は積極的にクライアントの接待をこなし、仲間との飲み会では幹事役を自ら進んでこなした。




そんな時だった。

「どうしたの。元気ないじゃん。」

同期の”杉ちゃん”こと杉本が、デスクで一息ついていた康介に声をかけてきた。

同じ年で同じようにタフに働く杉ちゃんは、内部的な冗談にも笑ってくれるし、何よりサバサバしていて男のように付き合いやすい。それでいてなかなかの美人だから、声をかけられるのは正直嬉しかった。

「いや、ちょっとね…。うちの奥さんがヒステリー気味で。帰宅恐怖症ってところかな。」

急に、部署内でも華やかな杉ちゃんに話しかけられ、康介は少し露悪的な態度を取ってしまう。

「なんだそれ。あ、ねぇ。これから今井チームの若手と飲みに行くんだけど、康介も来る?」

杉ちゃんは、いつもこんな感じだ。

康介の意見を肯定するでも否定するでもなく、笑い飛ばしてくれる。

自分に必要なのは、今、こんな風に一緒にくつろげる仲間なのだ。

スマホを見て、時間を確認する。一瞬待ち受け画面にしているひなの笑顔が、康介に罪悪感を運んでくる。ここ数日、寝顔しか見ていない。

だがその瞬間、自分に対して冷たい目を見せたかと思えば、激昂して突っかかってくる志穂の顔が浮かんだ。

「うん、行く。」

志穂が家でしんどい思いをしているのも、子育てで手一杯なのもわかっている。

だが、自分も仕事のストレスと家庭への不満で、もう手一杯なのだ。

康介は、スタスタ歩き出す彼女のうなじを目で追いながら、後についていった。


「杉ちゃん」と飲み会に出かけた康介がとった次の行動とは?


思いがけないアドバイス


ー今夜はクライアントとの接待で遅くなるから。

そう志穂にLINEで伝える。

今井チームのメンツは、『和食えん』で待っているらしい。クライアントに外国人が混ざっている場合、接待で使うこともある店だ。




店に向かう途中、康介の憂鬱な状況を笑い飛ばして聞いてくれる杉ちゃんに、康介は心底救われた。

そのままのノリでチームと合流し飲みながら、康介はますます面白おかしく自分の家庭の愚痴をこぼす。

だが、途中で杉ちゃんが付け加えた。

「康介も大変だけどさ、まぁ奥さんも大変なんだよ。私は33歳でまだ独身だし、仕事のキツさしかわかんないけど。お姉ちゃんとか、専業主婦で子供2人育ててるけど、気が狂いそうだってよく言ってたよ、子供が小さい時は。」

ふと、焼酎を持つ手が止まった。窓からは見事な夜景が見えるが、真っ赤な自分の顔も写っている。

「志穂が大変な想いをしている時に、自分はこうして飲んで憂さを晴らせるけど、志穂はできないんだよな…。」

杉ちゃんのふとした発言で我に返った康介は、その日は皆よりも早めに帰宅した。



飲み会の翌日の夜、杉ちゃんからのLINEメッセージを見た志穂の怒りは相当なもので、能面のような顔できつく責められた康介はひどく落ち込んでいた。

あれから、必要最低限の会話しかしていない。

どうしようか考えあぐねいているところに、杉ちゃんが通りかかった。

「どうしたの康介?また悩んでんの?」

一通りの説明をすると、杉ちゃんは申し訳なさそうに頭を抱える。

「うわ〜、ごめん…。私のせいだよね、それ。ヤバいな…。なんとか挽回しよう。」

そう言って、どうしたら志穂と仲直りできるかを真剣に考えてくれた。

少し高級なレストランへ、子供なしのデートに誘うこと。おまけに、志穂の為にと自分が担当している化粧品メーカーのサンプルもいくつか持ってきてくれることになった。

「マジで助かったよ。ありがとな。」

「こっちこそ余計なLINE送ってごめん。ま、いつでも相談して。」

それからも、杉ちゃんはことあるごとに康介の相談にのってくれている。

子供のご飯を出来合いの惣菜で済ませている姿を嘆いていると、「働いてるならそんなの当たり前でしょ」とたしなめられたこともあった。

杉ちゃんは美人で話しやすいが、決して隙はない。

同じ会社の男は、所帯を持っても平気で社内恋愛に勤しんでいて、そんな関係はよく「相談事」から始まるということも耳にしていた。

でも、杉ちゃんとは一切そうした雰囲気になることもなく、相談しているうちに志穂との関係も安定していった。

これからも何が起こるかは分からないが、家庭が落ち着いたら杉ちゃんに独身の友人を紹介しないと、と考える康介であった。

▶NEXT:11月16日 木曜更新予定
最終回:5歳になったひな。その時、志穂と康介はー?