細野晴臣が語る、音楽の歴史への好奇心「知らないことばかりなんだから、飽きてる場合じゃない」

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 細野晴臣がニューアルバム『Vu Jà Dé』(ヴジャデ)を11月8日にリリースする。オリジナルアルバムとしては、『HoSoNoVa』(2011年)以来、約6年半ぶりとなる本作は、キャリア初の2枚組。「Eight Beat Combo」とタイトルされたDISC 1には「Tutti Frutti」「Ain’t Nobody Here But Us Chickens」「Angel On My Shoulder」などライブでも披露されているカバー曲、「Essay」と名付けられたDISC 2には新曲「洲崎パラダイス」、映画『モヒカン故郷に帰る』の主題歌「Mohican」の新バージョン、さらに初収録となるCM楽曲などのオリジナル音源をそれぞれ収録。またブックレットには全楽曲の背景や成り立ちなどを記した細野自身によるライナーノーツが掲載されている。

 アルバムのリリースに伴い、細野の単独インタビューが実現。ここ数年取り組んできた1940年代〜50年代の楽曲のカバー、そして、ソングライターとしての豊かな音楽世界が堪能できる本作についてじっくり語ってもらった。(森朋之)

・ 実際には知らないことをやってる

ーーニューアルバム『Vu Jà Dé』がリリースされます。2月にリアルサウンドで取材させていただいた際に「今年(2017年)は(アルバムを)出さないと」と仰っていましたが、あの時点で構想はあったんですか?

細野晴臣(以下、細野):いや、そのときはまだ作り始めてなかったから(笑)。録りためていたカバー曲が散らばっていただけで、それをどうやってまとめるかも考えていなくて。特にオリジナル曲のほうはゼロの状態だったんですよ。そちらに手を付けたのは6月からかな。

ーー今回のアルバムはカバー曲を収めた「Eight Beat Combo」(DISC1)、オリジナル曲を収録した「Essay」(DISC2)の2枚組。まずカバー曲のことからお聞きしたいのですが、以前からライブで演奏している楽曲が中心になってますね。

細野:そうです。まあ、録ってあったものを入れただけなんですけど(笑)。他にもブギーの曲なんかがいくつかあったんだけど、完成させやすいものをまとめて。演奏の出来というよりも、録音の状態ですよね。レコーディングの環境が曲によって違うので、どうしても良い出来と悪い出来があるので。

ーー1940年代、50年代の楽曲が中心ですが、その時代の音を再現したいということですか?

細野:なるべく近づけたいですけど、やっぱり無理なんですよ。すべてデジタル機材だしね。気持ちだけは40年代に向かっているんだけど、そこまで徹底はできないというか。でも、気持ちが向かっているだけで今の音楽とは違ってくるから。

ーー確かに現在のポップスの音とはまったく違いますよね。20世紀前半の音を生々しく体験できている感覚がありました。

細野:あ、それは良かった。ずっと作ってるとだんだんわからなくなるから(笑)。シンプルに録った曲もあれば、マイキングなどに凝った曲もあるんだけど、スタジオのなかで音を作り込み過ぎると、後でいじりにくくなることがわかりましたね。いちばん大事なのは入力、音の入り口なんですよ。まずマイクはレンジの広いタイプではなくて、リボン型を使っています。バンドの演奏については、スタジオの鳴りですよね。響き過ぎず、デッド過ぎず、ちょうどいいスタジオで録るようにして。スタジオもどんどんなくなってますけど、20代の頃から使ってる築地の音響ハウスがあるのはありがたいですね。あとは京都精華大学に亡くなった佐久間正英さんが関わったスタジオがあって、そこで録った音が良いんですよ。音が良いとミックスも簡単なんですよね。

ーーカバーする楽曲はどういう基準で選んでいるんですか?

細野:何度聴いても飽きない曲ですね。最初は聴いて「いいな」と思ってるだけなんだけど、そのうちに「これ、どうやって演奏してるんだろう?」と思うわけです。謎の音楽なんですよ、最初は。今回のアルバムに入っている曲でいちばん謎だったのは「Ain’t Nobody Here But Us Chickens」ですね。最初はまったく歌えなかったんだけど、何とかライブでやってるうちにだんだんと自分の感じで歌えるようになってきて。最近は“スタジオで作った曲をライブで演奏する”という順番が多いでしょ? 僕もずっとそうだったんだけど、最近はまずライブでいっぱいやって、その成果を記録するためにレコーディングしているんです。ライブでやることで演奏もこなれてくるし、洗練されてきますからね。頭の2曲(「Tutti Frutti」「Ain’t Nobody Here But Us Chickens」)はまさにそんな感じですね。

ーーバンドの演奏も素晴らしいですよね。

細野:うん、僕もそう思う。バンドの人たちもずいぶん上手くなってるからね。バンドサウンドじゃないとできない音楽があるから、彼らの存在は大きいですよ。お互いに影響し合ってるところもあるだろうし。

ーー先日、高田漣さんに新作『ナイトライダーズ・ブルース』について取材したのですが、「今回のアルバムは、細野さんのゼミの中間報告みたいなところもあります」と言っていて。

細野:なるほど。僕もアルバムを聴いたけど「(自分に)影響されてる」と思った(笑)。漣くんはここ数年、お父さん(高田渡)の存在を意識した活動が続いてたけど、やっと自分に戻ってアルバムを作ったんじゃないかな。良かったですよ。

ーーでは『Vu Jà Dé』の話に戻って。「Eight Beat Combo」に収められた楽曲はまさにこの数年のライブ活動の成果だと思いますが、細野さんが1940年代、50年代の音楽に惹かれ続けているのはどうしてなんですか?

細野:外国の音楽だけではなくて、昭和30年代の日本の歌謡曲もそうなんだけど、あの時代の音が好きなんです。音が良いって大事なんだなと最近ますます思っているけど、特に1950年代前後のレコードの音、あの響きは特別ですね。自分たちが音楽を始めたのは1970年代だから、1950年代あたりのやり方はすでになくなっていたんです。70年代はマルチテープで録って、音の分離を良くして、エコーを付けて空間を埋めたりしていた時代だから。だから、いま自分がやっているのは“実際には知らないことをやってる”ということなんですよ。憧れている時代の音を作ろうしているわけだから。

ーーなるほど。

細野:さっき言ったように近づけることはできても、再現するのはほとんど不可能なんですけどね。でも、やる気さえあればできるはずだと思ってるんです。それはやっぱり憧れですよね。あの時代の音を聴くと、なんだか嬉しいし、「これだ!」と思うわけですよ。それは子供のときにロックを聴いて「これだ!」と感じたのと同じ。つまり新しい体験なんです。

ーー細野さんご自身の音楽的な喜びから始まっている、と。

細野:そこが原点だし、出発ですね。他にはないです。後からいろいろとくっついてくるけどね、理屈が。

ーーこの時代の音楽を若いリスナーに伝えたいという気持ちもありますか?

細野:それはありますね。特に音楽をやっている人に知っておいてほしい。音楽を作る立場の人たちのことが気になるんですよ。僕も若い頃は何も知らないで作っていたけど、音楽は知れば知るほどおもしろくなってくるんです。発見の連続なんですよね、音楽をやっていると。音楽の歴史のなかに宝の山があるんだから、それを知らないのはもったいないでしょ。

ーー高田漣さん、星野源さんもそうですが、細野さんの作品の背景にある音楽を自分自身の楽曲に反映しているアーティストも増えてますよね。最近は20代のバンドから細野さんの影響について聞くことも多いです。

細野:嬉しいよね。そういう人たちとときどき話すこともあるけど、意欲を感じるので。若い人はそのときにしかできない音楽をやればいいとも思ってるんですよ。自分もそうやってきたし、怖いもの知らずのおもしろさもあるから。いろいろと知ってしまうと、怖くなって、(楽曲が)作れなくなっちゃうんです。

ーー今回のアルバムでも、オリジナル曲の制作も難しさを感じていましたか?

細野:そうですね。アルバムを2枚に分けたことでわかったことがあって。カバーをやってるとき、年齢は関係ないんですよ。楽曲に対する愛情さえあれば何歳でもやれるし、自分のことを考えなくてもいいんだよね。ところがオリジナル曲のほうは、どうしても自分が出てしまうんです。自分の年齢、生活を直視せざるを得ないというのかな。それがもうイヤでイヤで。「オリジナルはつらい」と思いながら作ってました(笑)。自分の姿を鏡で見るのも好きじゃないんだけど、オリジナルの曲は寝起きの顔を鏡で見ているような感じなんです。カバーはしっかり決め込んだ写真みたいな感じなんだけどね。

ーー素の自分を表現することに抵抗がある、と。そういう感覚は以前からあったんですか?

細野:いや、若い頃はなかったですね。問題はやっぱり年齢ですよ。先がそれほどない年齢に向き合わざるを得ないし、「いつまでやれるのか?」という時期なので。ただ、このアルバムを作ったことで「ここ数年、オリジナルを作ることを置き去りにしてきてたんだな」ということにも気付いて。ちょっと免疫が付いた感じもあるから、またやれるかもしれないなと思い始めてるんだけどね。

・好奇心はずっと続いていく

ーー「Essay」には、「悲しみのラッキースター」「Neko Boogie」のセルフカバー、映画『モヒカン故郷に帰る』のために制作された「Mohican」のほか、CMのために作った楽曲なども収録されています。

細野:とにかく曲数を増やさなくちゃと思って、かき集めたんですよ(笑)。未発表の曲もいっぱいあったから、いいチャンスだとも思ったしね。断捨離ではないけど「持っておいてもしょうがないから、いま出しておこう」っていう。どういうアルバムになるかわからなかったから「Essay」というタイトルを付けたんです。そうすれば「徒然なるままに並べました」って言えると思ったんだけど、曲が揃ってみると意外とまとまってましたね。

ーーなかでも新曲「洲崎パラダイス」は素晴らしいですね。この曲は1956年の日活映画『洲崎パラダイス赤信号』にインスパイアされて制作されたとか。

細野:映画のなかで聴こえてくる断片的な音楽がすごく不気味なルンバなんですけど、その印象を自分のなかで膨らませて作ったんです。映画自体も素晴らしいんですよ。全部ロケで撮影されていて、かつて東京にあった洲崎という赤線地帯が舞台なんです。映画ができた2〜3年後に赤線が廃止されて、街自体も消えて。記録としても価値があると思いますね。アーチ型のネオン看板だったり、勝鬨橋から洲崎に向かうバスだったり。「ここに洲崎というバス停があったのか」とか、いろんな発見があるんですよ。

ーー1940年代、1950年の音楽と同じく、いまは存在していない街なんですね。

細野:そうそう。やっぱり、そういうことに憧れますよね。ずっと東京にいるけど、景色がどんどん変わっていくんですよ。変わらないものは何もないし、以前の風景は幻想として自分の中に残っていて。でも下町にいけば昔と変わらない風景もある。僕の気持ちはそっちにつながっているんでしょうね。

ーーその話は『Vu Jà Dé』(ヴジャデ)というタイトルの意味にもつながっていると思います。

細野:“知ってるはずなのに、じつは知らない”ということですね。カバーをやっているときに感じていたことなんだけど、たとえば1940年代のブギウギは「知ってるようで知らない音楽」だったんです。聴けば馴染みがあるんだけど、いざやろうとするとなかなかできない。手が届かない音楽、再現しようがない音楽だったんだけど、さっきも言ったように、ライブを続けているうちに少しずつやれるようになったわけですけど。

ーー“知らないはずなのに知ってる”という意味の“デジャヴ”とは反対ですね。

細野:“知ってるのに知らない”のほうが深刻ですよ。音楽だけではなくて、人もそうでしょ。親しい人であっても、じつは知らないことがあったり。それがおもしろいし、楽しいんですよ。好奇心を刺激されるというかね。40代の頃に「もうすべて聴いてしまった」「飽き飽きした」と思っていた時期があったけど、それは間違いだったんです。知らないことばかりなんだから、飽きてる場合じゃないっていう。ブギウギやラテンもそうだし、ロックもそうだと思うんですよね。近頃では本当のロックは聴こえてこないし、消滅したと思いますね、日本でもアメリカも。

ーーロックはやり尽くされたと勘違いしているだけというか。

細野:そうそう。掴みどころがないから上手く取り出せないんだろうし、はっきりしたことは言えないんだけど、だからこそおもしろいんです。大衆音楽は全部そうですよね。クラシックは一人の天才が作った楽曲が多いけど、大衆音楽、ポップスはたくさんの人が寄ってたかって作ってるから、いろんなものが入っていて。分析は不可能なんだけど、聴いて「いい!」「おもしろい!」と感じるし、そのなかにすごいものがあるというのはわかる。それが何か? という興味があるんですよね、その好奇心はずっと続いていくと思います。

ーーアルバム『Vu Jà Dé』の後、細野さんが追求しようと思っているのはどんな音楽ですか?

細野:「洲崎パラダイス」もそうだけど、ラテンをやりたいですね。いまや気分はラテンです(笑)。

ーー夏のツアーでもラテンのレパートリーが増えてましたよね。

細野:そう、その頃からラテンの曲をカバーすることが増えたんです。だから今回のアルバムはブギウギ時代の記録と言えるかもしれない。いま思ったんだけど、戦後の日本の大衆音楽はブギウギから始まったんですよね。それが廃れるとラテン、マンボが流行った。それと同じことをやろうとしてるのかもしれないな。昭和30年代の歌謡曲もますます好きになってるんですよ。民謡からきたものではなくて、洋楽に影響されている歌謡曲がいっぱいあって。演歌と思われている曲でも、リズムはラテンのハバネラ、バイヨンだったりね。そういう曲もやりたいですね。

ーーアルバム『Vu Jà Dé』を引っ提げたツアーも楽しみです。

細野:“ヒエー!”だね(笑)。せっかくアルバムを出したからには、新曲をやらないといけないから。

ーーやっぱりカバーのほうが楽しいですか?

細野:それはそうですね。自分が作る曲は歌うのが難しいんですよ。「洲崎パラダイス」はすぐやれそうだけど、「Retort」なんかはメロディが複雑だから大変だろうね。ちょっとシリアスな曲だから、楽しくやれるかどうか……。

ーーライブは楽しくやりたいと。

細野:もちろん。まず自分自身が楽しいほうがいいから(笑)。あとね、あんまり緊張したくないんですよ。その場で思い付いたことをすぐにやれる感じが好きなんですよね。ホントはリハを舞台でやりたいんです。一度やったことがあるんだけど、ステージの上で譜面を渡して、その曲を演奏するっていう。みんな緊張するだろうし、一生懸命にやるでしょ(笑)。またどこかでやりたいですね、それも。

ーー中野サンプラザ公演では、ゲストとしてナイツが出演。ナイツの塙宣之さんも細野チルドレンですよね。

細野:以前から僕に影響されてるって言ってくれていて。テクノのリズムが“ヤホー漫才”を生んだっていう(笑)。そんな縁もあって、YMOの「インソムニア」を漫才の出囃子用にアレンジしたんですよ。そのお返しに細野ネタの漫才の台本を送ってくれて。自分ではやれないし(笑)、ナイツも他のところではやりづらいだろうから、ライブでやってもらおうと思って。楽しみですね。(取材・文=森朋之)