現役引退して2カ月。表情が柔和になった伊達公子

 伊達公子は勝負師の厳しい顔つきからすっかり穏やかな表情になり、いちプロテニスプレーヤーから、テニスを愛するひとりの女性になった。

 伊達(WTAランキング1191位、大会時、以下同)は、2017年9月、ジャパンウィメンズオープン1回戦で、アレクサンドラ・クルニッチ(67位、セルビア)に0-6、0-6で敗れて、46歳で現役生活から2度目の引退をし、それから約2カ月が経過しようとしている。

「(左)ひざのケガがなければ、もう少し長くやりたいという気持ちがいっぱいで、テニスから離れることはすごく寂しいと思っていました」と伊達は語ったものの、時間の経過とともに気持ちは落ち着き、今はゆったりとした状況に身を任せている。

「切り替えは早いので、テニスをやったらやったで楽しいですけど、本当に区切りをつけているというか、当然ですけど、それほど引きずるわけでもないです。こればっかりは体がついていかないので、しょうがないという判断のもとでの決断だった。今は毎朝起きて、ひざの腫れの心配をしなくていいとか、そういうことの方が大きいかなと思います。なので、穏やかな日々を過ごしています」

 伊達は使用しているテニスラケットのメーカーであるヨネックスが主催した「ヨネックステニスフェスティバル」(11月5日、岐阜メモリアルセンター内 長良川テニスプラザ)に参加するため岐阜を再訪した。岐阜は、伊達にとってゆかりのある土地で、2008年に37歳で現役再チャレンジを決断した時、初戦となったのがITF岐阜大会であった。予選から勝ち上がった伊達は快進撃を続け、「(岐阜で)シングルス準優勝とダブルス優勝と、いいスタートがあったからこそ、(第2次キャリアの)9年半があったのではないかと思います」と振り返るほどだ。さらに2012年大会では、シングルスで優勝も成し遂げている。

「本当に思い出深い場所です」と伊達がしみじみ語る岐阜には、選手として残した結果以外にも、彼女の足跡がしっかり残されている。

 当時から伊達は現役再チャレンジの目的として、若手日本選手の刺激になりたいということだけではなく、国内テニスコートのサーフェス問題の改善も提言していた。それはチャレンジ1年目こそ、国内を主戦場にしていたが、2年目からはWTAツアーやグランドスラムにも挑戦し、世界の最前線で戦う彼女が敏感に感じ取っていた日本テニス界への危機感でもあった。

 日本で数多く開催されているツアー下部のITF大会では、オムニ(砂入り人工芝)コートの使用が認められているが、女子ワールドテニスWTAツアーでは、オムニは公式サーフェスとして認定されていない(男子ATPツアーでも同様)。

 日本のジュニアや若いプロ選手が、国内から海外遠征に挑戦する時に直面するのがコートサーフェスの違いによるテニスボールの飛び方で、オムニからハードやクレー(土)への変化に適応しきれずに勝てない日本選手も多い。2017年の現状も大きくは変わっておらず、日本国内での育成や強化の面で依然として問題になっている。


「砂入り人工芝で育ち、そこで勝つテニスを身につけると、世界に出た時にパワー&スピードテニスに慣れるのに何年もかかってしまう。国内のITF大会では勝てるけど、海外に出ると壁にぶち当たってしまう。(日本では)強化として”世界”を口にするわりには、ハード(の面)が追いついていない」
 
 こう力説する伊達の提言をいち早く実現させたのが岐阜で、いわば”伊達レガシー第1号”なのだ。

 2010年3月末に、岐阜メモリアルセンター内にある長良川テニスプラザでは、センターコートと屋外12面が、オムニからハード(プレキシクッション、オーストラリアンオープンと同じサーフェス)に変更された。さらに、2010年9月にはインドア4面(プレキシクッション)も完成させた。

「地元の人にしっかりやっていただけたのは大きい。これだけの面数とインドアが備わっていて、世界と比較しても劣らない環境は、(日本では)貴重です。岐阜に続いて……と思うところが出てきてほしいのが本音です。岐阜ができたという事実があるのですから、できないことではないはずだし、それを思う人がどれだけ増えてくれるか、ですね」

 第1次キャリアと第2次キャリアの引退を比べた時、決定的に違うのは引退後にテニスと向き合う伊達の姿勢やエネルギーだ。第1次キャリアを引退してから2年ほどは、ラケットも見たくない、テニス会場にも行きたくない、スポーツもやりたくない、旅にも出たくないという思いに駆られ、彼女は心を閉ざして、テニスを自分から遠ざけた。

 だが、第2次キャリアの引退後には、「テニスとはできるだけ関わっていたい。これからもその気持ちは変わらないと言い切れると思います」とファンの前で誓った。このテニスを愛する気持ちとあふれる情熱は今だけでなく、これからもずっと伊達公子の淵源(えんげん)となるものだ。


 ヨネックスのイベントでは、岐阜県のジュニア女子選手に練習をつける場面もあり、伊達がコート上でアドバイスをした。短い練習中でも、「コントロール!」「ポジションを前へ」と、伊達の指示は、たとえ一言であっても逐一的確であり、やはり彼女の慧眼(けいがん)は世界一流だ。そして、その言葉はワールドツアーでの実績と実体験に基づいたものであり、何にも増して説得力がある。

 2014年からワールドツアーで、グランドスラム優勝経験のある元選手をツアーコーチとして採用する、いわゆるレジェンドコーチの起用が多く見られるようになった。それは、選手たちがレジェンド選手のメジャー大会での優勝実体験に基づく説得力のあるアドバイスを求めたからだ。代表的な例として錦織圭が、マイケル・チャンをツアーコーチに招聘したのもそうした理由からだった。

「私はコーチに向いていないので、今のところそういう予定はないかな(笑)」と伊達自身が話すように、ツアーコーチとして選手に帯同するのは現実的ではないかもしれないが、第1次キャリアの7年8カ月(1989年3月〜1996年11月)と第2次キャリアの9年半で残した、世界的にも稀有な成功体験に基づく伊達のアドバイスを後進に伝えないのは、正直もったいない。「名選手必ずしも名コーチにあらず」という言葉もあるが、現役プロ選手にも、将来のプロ候補となるジュニア選手にも、伝えるべき伊達のエッセンスは必ずあるはずだ。

 プロテニス選手としては超高齢となる37歳から46歳まで続いた伊達の現役再チャレンジが人々の心に訴えかけながら、残した最も大きな功績は、やはり挑戦を続けることの大切さだろう。このことこそが、最高の”伊達レガシー”といえるのかもしれない。


「年齢に関係なく何かやりたいと思い、夢を持ち続け、夢を実現させるために踏み出す勇気を持つことで、より生き生きとした人生を送れることを示せた」と伊達自身も胸を張る。
 
 そして、伊達の意志を引き継ぐのは、決して選手だけでなく、ファンも含めたテニスを愛するすべての人間なのではないだろうか。

「みなさんが日々の自分に置き換えた時に、大きいことではなく小さなことでも、子育てに追われたり、仕事に追われたりする中で、何か見つけて踏み出す勇気を持っていてほしいなという気持ちでいっぱいです」
 
 今後は、第1次キャリア引退後からすでに彼女が取り組んでいたテーマであるテニス環境整備も含めて、「この先、自分自身でどういう形でやっていくかは、時間をかけて考えていくことになると思います」と、活動を模索していくことになりそうだ。
 
 伊達がすべての現役キャリアを終えた今こそ、われわれが彼女の意志を汲みとって、手を携えながら育成面、強化面、環境面でも、広く深く理解を求めながら”伊達レガシー第2号”作っていくべきなのではないだろうか。その先に、伊達公子の長年の夢である、日本でテニスがスポーツ文化として根づく未来が待ち受けていることを信じたい。

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