春香が、24歳のとき。

心から愛していた男が、ある日忽然と姿を消した。

その日から、春香の時計の針は止まったまま。食事会に行っても新しい恋人が出来ても、まとわりつくのはかつて愛した男の記憶。

過去の記憶という呪縛から逃れることのない女は、最後に幸せを掴み取る事ができるのか?

最愛の恋人・祐也が姿を消してから、祐也への未練を吹っ切れずにいた春香。

過去と決別するため、新しい恋愛をしようと必死でもがいていた矢先、グイグイ男・慶一郎にホームパーティーへと連れて行かれる。しかし、訪れたマンションの扉をあけた家主は、なんと祐也だった。




これは現実なのだろうか-。

春香はリビングの入り口で静かに立ち尽くしていた。

玄関先で出会った時の祐也の第一声が、さっきからずっと、耳から離れずにいる。

「おぉ、春香じゃん!久しぶり!慶一郎と友達なの?」

まるで、卒業以来街でばったり会った同窓生のような挨拶に、春香は驚いて目が点になった。

-久しぶりって、それだけ!?

部屋の中では、すでに何名かの男女が賑やかに盛り上がっており、祐也はその中心で楽しそうにしている。

3年ぶりの祐也の姿は、ちっとも変わっていない。くしゃっとした無邪気な笑顔もあの日のままだ。でも、ひとつだけ大きな変化がある。

それは、部屋だ。広くはないが洗練された麻布十番のマンションは、あの頃、中野の古いワンルームに住んでいたのと同一人物の部屋とはとても思えなかった。

春香は、輪の中心にいる祐也に向かってやっとの思いで声を絞り出した。

「祐也。3年ぶりだね」

すると、祐也だけでなく、全員が振り返って一斉に春香を見つめる。

「祐也とあの子、知り合い?紹介しろよ」

茶化す男たちをなだめるように、祐也は笑いながら言った。

「大学時代からの知り合いみたいな感じ。なあ、春香?」

しかし目だけは全く笑っておらず、春香に何かを強く訴えているようだ。その圧に押され、つい頷いてしまった。

「え?…うん…」

男たちは納得したのか、またすぐにたわいもない話を再開した。

さすがに、真実を言ってその場の雰囲気をぶち壊す勇気はなかった。

-私、なんでこんなところにいるんだろう。

部屋の隅で、グラス片手にぼんやりしていたら、気がつくと隣には慶一郎が立って、春香の瞳をじっと覗き込んでいる。

「元気ないけど、大丈夫?」


祐也のあっさりした態度に戸惑う春香に、さらなる災難がふりかかる


ほろ酔い男、現る


春香は我に返り、慶一郎に尋ねた。

「慶一郎君って、祐也…祐也君と、なんで知り合いなの?」

「俺たち、フットサル仲間なんだ。今日来ている男は皆そうだよ」

慶一郎の答えで腑に落ちたと同時に、フットサルには何の罪もないが、フットサルの絆の強さが恨めしくなった。

そのとき、春香はふと、祐也の隣に立つ美しい女に目を奪われた。ショートボブで目鼻立ちがくっきりしている、女優の真木よう子に似た美女だ。女は、親密な雰囲気で祐也と話をしている。

-もしかして、彼女だったりして。

そうだったら最悪だ。これ以上惨めな思いをする前に、こんな場所、今すぐにも立ち去るべきだ。

-よし、帰ろう!

春香が勢いよくカバンを掴んだ時、突然、フットサル仲間の一人だという男が目の前に現れた。

「はじめまして〜」

その男は、すでにほろ酔いなのか頬をうっすら赤く染めており、勝手にぺらぺらと話し始めてしまった。

「春香ちゃんってどんなお仕事してるの〜?」

「私ですか?私は弁護士事務所で働いていて」

春香が話し終わらないうちに、男は高く裏返った声で叫んだ。

「春香ちゃん、弁護士さんなの〜〜?すげ〜〜〜!!」

男の声が響き渡り、部屋中の皆が感心した顔つきでこちらを見ている。春香は慌てて言った。

「いや、まさか!弁護士事務所で、事務の仕事をしてるんです。弁護士じゃないです!」

すると男はヘラヘラ笑いながら、あからさまな落胆の言葉を口にした。

「なんだ、事務かあ〜。だったら初めからそう言ってよ〜〜」

-初めから言おうとしてたのに!なんなの、この人…。

春香が頭を抱えていると、慶一郎が唐突に口を挟んだ。

「春香ちゃん、さっきから荷物持ったままだね。その袋、何か持ってきたんじゃなかった?」

右手に下げていた袋を指さされ、思い出した。春香は手土産にと、麻布十番商店街で『フェルミエ』のチーズを買ってきていたのだ。

「じゃあ俺、一緒にテーブルに並べるの手伝うよ」

慶一郎にキッチンへと促され、春香は運よくほろ酔いの男から逃れたのだった。


謎のハイスペック美女


「私もお料理持ってきたので、一緒に並べていいですか?」

慶一郎と春香の所に、真木よう子似の美女がやってきて、袋の中から美しく焼かれた手作りのキッシュを取り出した。

「すごい!私も今日、手料理を持ってこようかと一瞬思ったの。でも、料理はあまり得意じゃなくて…。キッシュも前に一度焼いたことあるけど、失敗しちゃったの」

春香がそう言って舌を出すと、美女は不思議そうに首をかしげる。

「そうなの?キッシュって、どうやったら失敗するんだろう?」

しかし彼女に悪気はなかったようだ。すぐに春香のチーズを見て目を輝かせ、これ大好き!と感嘆の声をあげた。


謎の美女は、祐也の彼女なのか?


「さっきチラッと聞こえたんだけど、あなた、弁護士なの?実は私も弁護士なの!」

仲間を見つけたかのように興奮して尋ねる美女を前に、春香はなんだか申し訳なくなって、うつむいた。

「いや、それは誤解で…私は法律事務をしているの」

それでも彼女は、表情を変えることなくニコニコ頷いている。

「そうなのね、勘違いしてごめんなさい。でも、同じ業界だね!私、真紀って言うの。よろしくね」

-真木さん、じゃなくて、真紀ちゃんって、なんていい人なの!それに比べてさっきのほろ酔い男は!

春香は、リビングで騒いでいる男を鋭く睨みつける。すると男は春香の視線に気がついて、ふらふらと歩いてきた。

「春香ちゃ〜ん、さっきから全然飲んでなくない〜?ほら、飲みなよ〜」

-げっ。この人、目が座ってる!

ほろ酔い男は、いつのまにか最終形態・泥酔男へと変化を遂げていた。




「いや、私、赤ワインは飲むと頭痛くなっちゃうんで、大丈夫です」

「そんなつまらないこと言わずに、飲んで飲んで〜」

春香は必死で抵抗したが、泥酔男はグイグイとグラスを押し付けてくる。

「おい、その辺にしとけよ」

見かねた慶一郎が慌てて口を挟んだが、時すでに遅し。

ビシャッ…。

グラスから飛び出した赤ワインが宙を舞って、春香の真っ白なリブニットワンピに容赦なく降りかかる。そして白いニットは、みるみるうちに紫色に染まっていった。


平凡な女の劣等感


-こんな所にのこのこ来るんじゃなかった。ホームパーティーとかいうホッコリした単語の響きにすっかりつられて来たけれど、地獄だった…。

春香は涙を堪えながら、バスルームに閉じこもり、濡れたタオルで服をトントンと叩き続けていた。

「あの…」

気がつくと、背後には真紀が立っている。

「もしよかったら、私の服を貸そうか?このあとジムにいくつもりだったから、ウェアを持っているの」

そしておずおずと、丁寧に畳まれたジャージを差し出した。思わず春香の涙腺が緩む。

「真紀ちゃん、本当にありがとう…」

-これだけ性格も良くて、美人でスタイル抜群で、しかも弁護士、さらに料理も上手って…どれだけ完璧なの?

胸が張り裂けそうになって、春香は尋ねた。

「あの…真紀ちゃんって、祐也君と付き合ってるの?」

真紀はしばらくきょとんとしていたが、すぐに笑い出した。

「やだ、違うよー!」

春香はほっと胸をなでおろす。しかしすぐに真紀は続けた。

「付き合ってたのは、もう過去のことだよ。1年半前くらいに別れたの」

-ん!?彼女も、祐也の元カノってこと…?

春香は呆然と、鏡に映る2人の女の姿を見比べる。

170cm近い身長の美女・真紀と、その隣には、上下ジャージ姿・155cmの平凡な春香。

途端に、自分がみすぼらしくてたまらなくなる。

しかしふと、頭の中に疑問が湧き上がった。

-もしかして、祐也が居なくなったのって、この子が関係してる?

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完璧すぎる女・真紀に劣等感を抱く春香。祐也と真紀の間に何があったのか。