遠藤賢司はずっと“純音楽家”だったーー日本のロックの可能性広げた革新者としての歩み

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 明るい未来像を提示した1970年の大阪万博の時に小学生だった男が、ロック好きになった少年時代を経て、中年になってから世界規模で進行する大陰謀に立ち向かう。映画化もされた浦沢直樹のコミック『20世紀少年』はそんな設定で展開され、タイトルがT.Rex「20th Century Boy」に由来するなど、昭和の音楽ネタがいろいろ散りばめられていた。そして、子どもの頃に親しんだ「正義の味方」の役回りを自ら引き受けることにした主人公の名前は、ケンヂ(遠藤健児)だった。

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 今年10月25日に胃がんのため70歳で亡くなった音楽家・遠藤賢司にもとづくネーミングである。映画版には本人も脇役で出演した。1970年代の出来事が未来の災厄と関係する『20世紀少年』に対し、考えてみれば遠藤賢司は1970年代を象徴する音楽家だった。また「不滅の男」を自称した彼は、つい最近まで精力的にライブ活動を継続していたのである。物語の中年主人公が名前を借りるのにふさわしい人物だった。

 「エンケン」の愛称で親しまれた遠藤賢司は1969年にシングル『ほんとだよ / 猫が眠ってる』でデビューした。当時はフォーク歌手ととらえられることが多かったが、それ以前からアコースティックギターを激しくかき鳴らすだけでなくフィードバックノイズを出すなど、ロック的なアプローチもみられた。1stアルバム『niyago』(1970年)には、日本語ロックのパイオニアといわれるはっぴいえんどでアルバムデビューする直前の細野晴臣、鈴木茂、松本隆が参加していた。つまり、遠藤も日本語ロックの原型を作った一人であり、その頃はフォークのイベントにもロックのイベントにも出演したのだった。

 引き続き細野たちが参加した次作『満足できるかな』(1971年)の「カレーライス」が評判となり、翌年2月にバージョン違いでシングル化され、ヒットした。遠藤のフォーク歌手としての代表曲である。

 1972年7月には井上陽水が『断絶』から「傘がない」をシングルカットしている。同曲は、新聞やテレビが深刻なニュースを伝えているけれど、雨降りのなか恋人と会うのに傘がないことのほうが問題だと歌う内容だった。一方、「カレーライス」では、同棲しているらしい「君」がカレーライスを作っていて猫もそばにいる部屋で「僕」はギターを弾いている。テレビから有名作家・三島由紀夫の割腹自殺(1970年)のニュースが流れ、それは痛いだろうと一瞬思うが、「君」と「僕」と猫の日常はそのまま続くといった感じの歌だ。「傘がない」がメディアの向こう側とこちら側を対照的にとらえるコンセプト先行型の曲であるのに対し、「カレーライス」はありふれた生活の心のひだをていねいにとらえようとする。この曲にみられる通り、シンガーソングライターとしての遠藤賢司は、繊細な感受性を示した。

 同時に彼は、サウンド志向のロックンローラーでもあった。『KENJI』(1974年)にはサディスティック・ミカ・バンドにいた高中正義、ティン・パン・アレー時代の細野晴臣や林立夫、『HARD FOLK KENJI』(1975年)には再び高中、松任谷正隆、矢野顕子、村上秀一などが参加した。デビュー作もそうだったが、遠藤のアルバムには、同時期に日本のロックの先端部分を担っていたプレーヤーが参集していた。

 なかでも先進性という意味でインパクトの強かったのが、1979年1月発表の『東京ワッショイ』だ。同作では日本の代表的なプログレバンドだった四人囃子のメンバーが演奏したが、その一人である佐久間正英は同年にデビューするプラスチックスに参加していた。1978年に細野晴臣が結成したイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)と同じく、プラスチックスは、日本から米英への進出を果たしたテクノポップバンドである。佐久間は、その前哨戦のような働きを『東京ワッショイ』でみせた。

 同作には、Sex Pistolsなどロンドンパンクの影響、チャック・ベリーの時代から続くロックンロールの伝統、日本の祭囃子、フォークなど様々なスタイルが攪拌され詰めこまれていた。特に、シンセサイザーを使用したテクノポップの要素は、この時代にはまだ新奇だった。収録曲のなかで最もテクノポップ色が強いのは、変調された声でロボット風に歌った「哀愁の東京タワー」だ。

 ボコーダーで「TOKIO」と告げたYMO「テクノポリス」(1979年10月)、パラシュートを背負った沢田研二が電飾のスーツで歌った「TOKIO」(1980年1月)は、消費社会化や情報社会化が進む東京をテクノ的なアレンジで表現して話題になったが、着想は『東京ワッショイ』のほうが早かったのである。また、後に「すみれSeptember Love」のヒットを飛ばすなどテクノポップの一翼をになった一風堂は、初期のシングル「ブレイクアウト・ジェネレーション (狂育世代)」(1980年2月)で『東京ワッショイ』のタイトル曲の一節を引用していた。一風堂の土屋昌巳には、『HARD FOLK KENJI』でギターを弾いていた縁があった。

 『東京ワッショイ』の発展形であり四人囃子や土屋が参加したアルバム『宇宙防衛軍』(1980年)では、もともと演歌的な詞とメロディだった「哀愁の東京タワー」を平山みきとのデュエットでムード歌謡風の別バージョンで披露した。また、タイトル曲「宇宙防衛軍」は、ゴジラ・シリーズの音楽で知られる伊福部昭へのリスペクトであり、映画『シン・ゴジラ』のクライマックスでも流れた「宇宙大戦争」に通じる勇壮な曲調である。さらに、遠藤が以前にも録音したベートーベン『第九』の日本語詞カバーをリメイクしており、アルバムにはクラシックの成分も含まれている。雑多な音楽的要素を盛りこんだ『東京ワッショイ』と『宇宙防衛軍』は、日本のニューウェーブの逸品として記憶される作品だ。

 『東京ワッショイ』で自分は「不滅の男」だと歌った遠藤は、1991年に60cm四方の巨大ジャケットで25分強の長尺曲「史上最長寿のロックンローラー」を発売するなど、旺盛な活動を続けた。後年は、子供ばんどの湯川トーベン、頭脳警察の石塚俊明とのトリオである遠藤賢司バンドを中心に複数のバンドで精力的にライブを行っていた。

 彼の歩みをふり返ると、多様なアレンジにチャレンジして日本のロックの可能性を広げた革新者だったといえる。同時にデビュー作『niyago』収録の「ほんとだよ」を『東京ワッショイ』で再録音するなど、同じ曲を何度もとりあげ、変化させつつ歌う人でもあった。それは、多くのライブ作品を聴けばわかる。また、「カレーライス」のその後として、『恋の歌』(2014年)に「44年目のカレーライス」を収録するということもしている。

 遠藤は優秀なプレーヤーを起用した傑作を残す一方、弾き語りの比重が大きかった。ギター、ハーモニカを演奏しながら一人で歌った時の彼は、初期の段階からフォークでもありロックでもある振幅の大きさを持っていた。その感覚がバンド形態の多彩なアレンジにも反映されたのだ。彼は「不滅の男」を名乗るとともに「純音楽家」と自称したが、その「純音楽」の根本はギター弾き語りにあった。

 他のプレーヤーの音をとりはらい、彼一人の演奏になっても、十分以上に聴かせる。「カレーライス」のようなフォーク調の繊細な曲ばかりではない。スタジオ録音ではにぎやかな音がひしめいていた「東京ワッショイ」だってそうだ。例えば、『遠藤賢司デビュー45周年記念リサイタル in 草月ホール』(2014年録音、翌年発表)でのバージョンなど、コードストロークの力強さ、テンポの速さ、ボーカルの勢い、どれをとっても凄まじい。かつて『HARD FOLK KENJI』と題したアルバムを発表した彼らしく、アコースティックギター1本で激しくロックしているのだ。

 遠藤賢司は、晩年まで「純音楽家」だった。(円堂都司昭)