日本共産党は、2017年1月に行われた第27回党大会で、総選挙の目標について、次のように決めていた。

──2013年参院選に始まり、2014年総選挙、2015年統一地方選、2016年参院選と続いている日本共産党の“第3の躍進”を大きく発展させることである。

──「比例を軸に」をつらぬき、「全国は一つ」の立場で奮闘し、比例代表で「850万票、15%以上」を目標にたたかう。全国11のすべての比例ブロックで議席増を実現し、比例代表で第3党をめざす。

──野党共闘の努力と一体に、小選挙区での必勝区を攻勢的に設定し、議席の大幅増に挑戦する。

 だが結果は惨憺たるものだった。比例代表で850万票という目標は、440万票に終わった。得票率15%以上という目標も、7.91%に終わった。比例で第3党どころか、自民党、立憲民主党、希望の党、公明党に次ぐ、第5党であった。すべてが目標のほぼ半分にしか到達しておらず、どう取り繕っても惨敗というしかない。

 投開票日翌日の10月23日に共産党中央委員会常任幹部会は、総選挙結果について、次のような総括を行っている。

 総選挙結果について、「私たちの力不足にある」ことを認めながら、2つのことを今後の課題として強調している。1つは、共産党の綱領、歴史、理念を丸ごと理解してもらい、共産党を丸ごと支持してもらえる方を広げていく活動を抜本的に強めること。もう1つは、党員拡大を根幹にした党勢拡大に取り組み、自力を強くすることである。

 目新しさはまったくない。表現に多少の違いはあるが、いずれもこの数十年、何十回となく繰り返されてきた総括に過ぎない。

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“第3の躍進”はもう終わったのか

 2013年の参院選で十数年ぶりに議席を増やしたことから、この間、共産党は“第3の躍進の波”などと喜び勇んできた。私が「波は必ず引くよ」と指摘したところ、慌てて「波」という表現を「時期」に変えたり、それも削除したりしているが、この評価自体が気楽と言うしかない。

 “第1の躍進”というのは、1960年代から70年代にかけての時期である。そのピークは72年12月総選挙で公明党や民社党を抜いて、社会党に次ぐ野党第2党になった時である。当時は、東京、京都、大阪など主要都市で社会党、共産党、総評などが一緒になって革新自治体が次々に誕生していた。55年体制のもとで革新勢力の高揚期に当たっていたからである。

 もちろんこの時には、“第1の躍進の波”がやって来たなどとは言わなかった。その後も、躍進に次ぐ躍進で70年代には、共産党が与党の中心となった民主連合政府を樹立できると夢想していたからだ。

 ところが4年後の総選挙では、17議席に激減した。この選挙は、ロッキード事件で前首相田中角栄が逮捕され、ロッキード選挙とも呼ばれた選挙であった。この事件の追及では、共産党は何度も訪米調査を行い、文句なしに一番活躍したにもかかわらずだ。70年代に民主連合政府という夢は潰えた。

 “第2の躍進”は、90年代である。95年参院選では5議席から8議席になり、96年総選挙では15議席から23議席に躍進、比例の得票数は過去最高の726万票であった。さらに98年参院選では15議席を確保、比例の得票数は819万票であった。97年9月に行われた第21回党大会決議は、これは「一時的なものでも、偶然のものでもない」と言い切っていたものだ。だが躍進は「一時的なもの」でしかなかった。参院選では、3年後3議席、6年後6議席と減らし続けた。衆院選でも2003年選挙で9議席にまで激減、比例の得票数も458万票と200万票以上も減らした。

 なぜこの時期に共産党が躍進できたのか。94年に社会党委員長だった村山富市が自民党、新党さきがけに担がれ自社さ政権の首班となった。村山政権は95年8月に終わるが、自民党と組んだ社会党は、すでに生き残る力を喪失していた。そのため96年1月に日本社会党が事実上消滅し、現在の社民党に衣替えすることになった。この結果、従来の社会党支持の革新支持層が一時的に共産党に投票をしたのに過ぎなかったのである。しかし、民主党の結党、伸長とともに、それらの支持層は民主党に吸収されていった。

 大雑把に振り返ってみれば分かるように、“第1の躍進”も、“第2の躍進”も、すぐに後退、低迷の時期が訪れた。“第3の躍進”も、“第3”などと言ったときから、すぐに後退、低迷の時期に入る宿命にあったということなのだろう。今回はそれが立憲民主党の結党によって訪れたのだ。

 次は、“第4の躍進”とでも言うのだろうか。大きなお世話だろうが、少し増えれば“第○の躍進”などと数えない方が良い。数え切れなくなること間違いなしだからだ。

実体のない「市民との共闘」

 この間、共産党はことあるごとに「市民との共闘」ということを強調してきた。共産党だけの話を聞いていると、広範な市民がこの共闘に取り組んでいるかのような錯覚すら覚える。

 先に紹介した選挙総括でも、「立憲民主党が躍進し、市民と野党の共闘勢力が全体として大きく議席を増やした」と述べ、党大会決定でも「安倍自公政権とその補完勢力に、野党と市民の共闘が対決する、日本の政治の新しい時代が始まった」などと述べていた。

 ここには共産党の意図的な戦略を見て取ることができる。共産党だけの運動ではなく、あたかも幅広い人々による運動であると見せかけるためである。確かに、共産党が「戦争法」と呼ぶ安保法制が国会で成立する際、学生や多くの市民が国会に駆けつけ、反対の声を上げた。この市民の中に、少なくない共産党員が含まれていることも間違いない。

 だが、本当に市民との共闘が実現していたなら、そのことに最も熱心であった共産党がここまで大幅に票や議席を減らすことはなかったはずである。この票の激減自体が、市民との共闘というのが実体のないものであったことの証である。

 共産党が「共闘している」と言う運動団体に「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)がある。今回の総選挙では、立憲民主党、共産党、社民党を応援することを表明していた。だがこの組織が、「市民連合」と呼ぶほどに広範なものなのか眉唾である。

 この運動体の呼びかけ団体(有志)には、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「安全保障関連法に反対する学者の会」「安保関連法に反対するママの会」「立憲デモクラシーの会」などがあるようだ。「総がかり」などという大層な名前が付けられている団体もあるが、実体はごく一部の人々の運動に過ぎない。ちなみに私自身の周辺には、この運動に関わっている人は1人もいない。

本当に必要とされている政党なのか

 共産党の激しい浮沈ぶりを見ていると、この政党は本当に必要とされている政党なのか、疑問を持たざるを得なくなる。本当に必要とされているのであれば、「第1、第2、第3」などと躍進・後退を激しく繰り返すことはないはずだ。

 いずれの躍進も、所詮は行き場をなくした支持層が、一時的に身を寄せただけなのである。共産党はこのことに目を向けなければ、この宿痾から抜け出すことはできないだろう。

 冒頭に紹介した共産党の選挙総括のように、共産党を丸ごと知ってもらう努力など不要である。国民はすでによく知っているのだ。それを知っていないかのように言うのは、上から目線の傲慢な態度と言うほかない。そもそも“党勢拡大”に一体、何十年取り組んできたのか。社会主義革命を掲げた政党の党勢拡大などあり得ないことをそろそろ受け入れるべきである。

筆者:筆坂 秀世