文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「恋しつつ、しかも恋人から別離して、それに身を震わせつつ堪える」
--堀辰雄

昭和12年(1937)11月、長野・信濃追分(現・軽井沢町追分)の油屋旅館が火事に見舞われた。滞在客の中には、作家の堀辰雄とともに、堀を兄のように慕う若き詩人・立原道造がいた。

堀辰雄はこの日、書き上げたばかりの『かげろふの日記』の原稿を東京へ送るため軽井沢まで赴いていた。その夜は川端康成の別荘に泊めてもらうことになり、一夜明けて油屋旅館へ戻って呆然となった。部屋に残しておいた書類やノートもろとも宿は焼け落ち、立原道造や宿の主人は命からがら逃げ出していたのである。

その後、再建された油屋は、10年ほど前まで旅館として営業を続けていた。ロビーには、火事の翌年に立原道造が旅館の主人あてに書き送った手紙が大切に飾られていた。

「去年のあのおそろしかつた日からもうまる一年がけふでたちます(略)あの日はほんたうに怖かつた けれどそれをのりこえて お互いいまはつよく生きられること 何よりよろこびにおもひます」

だが、手紙に綴られたことばと裏腹に、詩人の胸は病魔におかされていた。この手紙からわずか半年も経たぬうちに、立原道造は24歳の短い生涯を閉じた。

翌年、堀辰雄は立原への鎮魂の思いをこめ、『木の十字架』と題する小品を紡いだ。掲出のことばは、その中の一文。立原道造の恋人への態度を表現したものだ。

立原には愛する恋人がいた。愛しい、結婚したいという思いがありながら、自身の命の揺らぎを自覚するが故に、堪えて距離を置き、ひとり旅などをしている立原。そんな、詩人リルケを想起させる立原の姿を、堀辰雄は、哀しく、しかし好もしく見守るしかなかったのである。

『木の十字架』の中には、次のような一節も読める。

「私達が結婚祝いに立原から貰ったクロア・ド・ボア教会の少年達の歌やドビュッシイの歌のレコオドをはじめて聴いたのは、その翌年の春さきに、なんだかまるで夢みたいに彼が死んでいってしまった後からだった」

「私達はとかく沈黙がちに林道の方へ歩いて行った。こうやって津村君、神保君、それから僕、野村少年と、みんな揃っているのに、当然そこにいていい筈の立原道造だけのいない事が、だんだん私にはどうにも不思議に思えてきてならなかった」

折々に去来する、親しい友を突然に失った後の空虚でやる瀬ない思いが、行間からあふれている。

堀辰雄はその後さらに、立原への哀悼の思いを込め、生前刊行されていた2冊の小詩集を含む『立原道造全集』の刊行に力を尽くしたのだった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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