女性の結婚率は、35歳を境に急激に下降する。

だがしかし。そんな悲観を抱くことは一切なく、麗しき独身人生を謳歌する女がいた。

恭子、35歳。

彼女が歩けば、男たちは羨望の眼差しで振り返り、女たちは嫉妬する。恭子は一体、何を考えているのか?

外資系ラグジュアリーブランドで働く恭子と、部下の周平は、一度は瑠璃子の罠にはまったものの、同僚・理奈の計らいによってようやく距離を縮めた。

転職セミナーで、因縁の元彼は恭子にうまい話をもちかける。しかしそこに周平が現れ、恭子の「彼氏」宣言をしたのだった。




「恭子さん、ちょっといいかな。社長が、会わせたい人がいるって」

周平君を見送った後、セミナー会場内を歩いていたら、人事部の同僚に呼び止められた。

「社長が、ですか?」

私が戸惑っていると、社長がパチパチと拍手をしながらやってきて、上機嫌で言った。

「今日の活躍、素晴らしかったよ!我が社の代表として、素晴らしい講演をしてくれて本当にありがとう」

私は笑顔で頭を下げる。そのとき社長の後ろに、見たことのない40代半ばくらいの男性が立っているのに気がついた。

社長は、そうだ、と手を打って、彼を私に紹介した。

「こちらは、新ディレクターだよ」

今までのディレクターがイタリア本社に栄転することが決まったため、来週から新ディレクターを迎えるという話は既に耳にしていた。一体どんな人が来るのかと、近頃社内はその話題で持ちきりだったのだ。

「はじめまして、剛田です」

剛田さんは、爽やかな笑顔で私と握手する。

「僕、外資は初めてでして…逆に教えてもらうことも多いと思うけど、よろしくお願いします」

私は、彼の腰の低い姿勢に感心した。これまで大手の日系アパレル企業で本部長を勤めていたところをヘッドハンティングされたというから、相当優秀な人のはずだ。彼の下で働くのが、心から楽しみだと思った。

それにしても、今日は随分長い1日だった。

大勢の就活生の前での講演や、元彼との確執に蹴りをつけ、起業の誘いを断ったことなど、1日で本当にたくさんのことがあった。

長い闘いがようやく幕を閉じたのかもしれない。そんな安心感と、清々しい達成感に包まれていた。



そして翌週、ついに剛田さんが会社にやってきた。

しかし、私達の前に現れた彼は、社長の前で謙虚な挨拶をした日とは全く様子が違っており、別人のように豹変した。

私の闘いは、まだ終わっていなかったのだ。


歓迎会で、剛田は豹変し、本性を見せる!


本性を現した男


部下一同によって開かれた歓迎会で、剛田さんは突然、私に向かって乱暴に言葉を投げつけた。

「おい、お前!俺のワイングラスが空っぽだぞ」

今、私のことを呼んだのだろうか?びっくりして、彼を見つめ返す。

「おいおい、俺が指摘してあげる前に、自分で気がつかないと」

そしてニヤニヤ笑いながら、顎をしゃくって酒を注ぐよう私に促している。

「それだけ綺麗に化粧してる暇があるなら、同じくらい気配りもできないものかねぇ」

立ち上がってワインを注ごうとすると、私の部下が慌てて止めに入る。

「恭子さん、私がやりますから…」

しかし剛田さんは、首を横に振った。

「全く、これだから外資の女たちは!お前らが揃いも揃って気が利かないのは、マネージャーの責任だ。だから彼女が酒を注げばいいんだよ」



翌日からも剛田さんの暴走は止まらず、社員たちは剛田さんに怯えるようになった。

あれだけ仲の悪かったはずの理奈と瑠璃子はいつのまにか結託し、影でさんざん悪口を言っている。

「あー!ジャイアン、ほんとムカつく!」

ジャイアンとは、2人がつけた剛田さんのあだ名らしい。しかし面と向かって刃向かう勇気はさすがに無いようで、瑠璃子は理奈と手をとりあって励まし合う。

「ジャイアンって、完全に男尊女卑のモンスター上司で、本当に許せない。でも、転職先が決まるまでの辛抱だから、それまで私達は目をつけられないように、ひっそり生き延びましょう!」

驚くことに2人は、水面下で転職活動を行っていた。

この状況を放っておいていいのだろうか。私は疑問を抱き始めていた。

その日の午後、剛田さんは唐突に私に向かって言った。

「明日、イタリア本社との電話会議があるけど、もうお前は出なくていいよ」

私は慌てて立ち上がる。

「え?でも、デザイナー来日イベントについての会議ですよ?私がいないと…」

しかし私が何を言っても、彼は断固として譲らない。

「代わりに、資料はお前が全部作ってくれよ。今日中に必ず、頼むな」

そう言って彼は、私の肩を軽く叩いた。




私抜きで会議は進められたが、不安は的中した。イベント内容について、剛田さんは勝手に、イタリア本社の変更の要望に全てOKを出していたのだ。

イベント当日まで2週間をきっている。今さら変更は出来ないと、私はきっぱり言い返したが、剛田さんは顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

「本社の言うことは絶対だ!お前は黙ってただ従えばいいんだ!」

私の怒りは限界に達していた。



私は周平君と、代官山『サルイアモール』でスペイン料理を食べていた。転職セミナー以来、私達は正式に付き合っている。

「いっその事、ジャイアンの顔を一発ひっぱたいて、会社辞めちゃおうかな…」

普段は絶対にこぼさないような弱音が、今日は口をついて出てしまう。すると周平君は突然笑い出した。

「恭子さんの口から“ジャイアン”って言葉が出ると、なんか面白い」

「笑い事じゃないのよ。あの人、イベントが思い通りにいかなかったら全て私に責任をなすりつけようとしてるんだから」


恭子は剛田を倒せるのか?


不可能を可能にする女


周平君は急に真面目な顔になって、私の手を握りしめた。

「だったら、本社の要望を全て実現して、イベントを大成功させちゃえば?恭子さん、あなたの辞書に不可能という単語はないはずだ」

私はハッとした。周平君の言う通りだ。今までだって何度も、不可能を可能にしてきた。

そして私は、勢い良く立ち上がった。



それからの2週間、私と部下達が奔走した甲斐あってイベントは大成功した。

打ち上げ会場でほっと一息ついていると、剛田さんがわざわざ私の所にやってきて、空のグラスを差し出した。

「おい。何度も言わせるな。俺のグラスが空だぞ」

私はワインを注ぐ代わりに、ワインボトルを顔の前にドンと突き出す。

「そんなにワインがお好きなら、ボトルごと。はいどうぞ」

すると剛田さんは、ワナワナと怒りに震え始めた。

「お前、俺の言うことを聞けないなら、クビにしてやる!」

そのとき背後からヒールの音が聞こえ、私は振り返った。

「だったら、私達全員、クビにしてください」

そこには、理奈を筆頭に女子社員全員がずらりと並んでいた-。



「恭子、見た?ジャイアンったら、すっかりしおらしくなっちゃって!」

数日後、私と理奈はオフィスビルの廊下を笑いながら歩いていた。

イベント終了後に剛田さんは、本社にいる前ディレクターから、私を会議から外したことできついお叱りを受けたのだった。そして部下の努力を自分の手柄のように上に売り込む態度も、個人的に説教されたらしい。

「あっ、お疲れ様です!」

そのときすれ違った後輩が、私に挨拶をして、照れ笑いをしながら走り去っていった。理奈が私に尋ねる。

「ねえ、最近、恭子ファンの子達、あなたのこと何て呼んでるか知ってる?」

「どうせまたサイボーグとかでしょ?」

私が冷ややかに答えると、理奈は笑いながら言った。

「ううん。“麗しの35歳”って-」




数週間ぶりに残業から解放された私は、自宅のソファで周平君とくつろいでいた。

「恭子さん、最近疲れてるでしょ。ひざ枕、どうぞ」

私の顔を愛おしそうに覗き込む周平君の膝の上で、私は目を閉じて、心の中で強く誓った。

ようやく手に入れた、この穏やかな幸せを、永遠に手放さないと。



恭子、35歳。

彼女が歩けば皆振り返り、そして彼女を知る者は口々に尋ねる。

“なぜ彼女は、そこまで麗しいのか?”と。

恭子は笑って、こう語る。

女の人生は、山道よりも険しい。仕事に恋愛、結婚に出産。あれもこれも手に入れたいと願っても、望む通りにはならず、常につきまとうのは年齢の壁。

でも、険しい山道を抜けた先には、必ず光が差している。

そして、例えあなたが今何歳でも、それは長い人生の通過地点にしかすぎないのだ、と。

―Fin.