経済制裁は北朝鮮経済にどれほどの影響を与えているのか(写真:ロイター/KCNA)

軍事的挑発には圧力で対応と、北朝鮮に対する経済制裁が続いている。だが、その北朝鮮にはどのような経済構造があり、どう機能しているのか。それを明らかにするテキストが出た。『現代朝鮮経済』を書いた環日本海経済研究所調査研究部の三村光弘主任研究員に北朝鮮経済の現状を聞いた。

──北朝鮮といえば、餓死者が出るほど貧しいのに、軍事にばかりカネを使っているというイメージが日本では強いと思います。

これまで北朝鮮経済を概観できる本はあまりなかった。それは、特に1980年代以降、北朝鮮が信頼できるデータを発表していないためだ。韓国産業銀行や韓国銀行などの機関がデータを発表しているが、どこまで信頼できるかといえば疑問が残る。「社会主義経済」という北朝鮮経済の全体像をどう示すかは、本当に難しい。

社会の中で経済の持つ重み

──国際的な経済制裁が実施されている中、その実効性を含めて、北朝鮮経済をどう見るべきですか。

北朝鮮の国家体制では、経済は政治の付属物、従属変数でしかない。全体的な国際政治状況がどう動くかによって、大きな影響を受けると思う。

同時に、金正日政権時代の2009年に実質的なデノミである貨幣交換を行ったが、国民から強い反発を受けて実行が頓挫したことがある。当時の責任者は粛清された。このように、政治が意図した政策を実行しようとしても、国民側の経済の論理が動き、政治側が失敗するケースも出てきた。

国民の生活を国家が支えられなくなり、カネやモノがなければ政策が制約される。社会の中で経済の持つ重みがより目立つようになっている。政治も経済からフィードバックを受ける相互作用が生まれつつある。


三村 光弘(みむら みつひろ)/1969年生まれ。大阪外国語大学外国語学部朝鮮語学科卒業、大阪大学大学院法学研究科博士。2001年環日本海経済研究所入所、11年から現職。『解剖 北朝鮮リスク』『朝鮮半島の秩序再編』(いずれも共著)など著書多数。訪朝回数も豊富(撮影:尾形文繁)

──2012年に金正恩政権が本格化して以降、経済状況が改善しているという見方があります。

この数年のミクロ的な視点からいえば、毎年状況はよくなっている。マクロ的に見ても、経済規模は拡大している。もちろん制裁強化が進めばマイナス成長になる可能性はある。ただ、それが3〜5年という期間で済めば、それ以降、北朝鮮経済は今後もよくなるだろう。10年ぐらい続いても、北朝鮮は「欲しがりません、勝つまでは」と持ちこたえることもできる。

北朝鮮の指導層やエリート層は、ミサイルの到達距離が米本土に近づけば米国は自分たちを大事にすると思っている。北朝鮮という国家が存在することを前提に米国が交渉してくれればいいが、逆に米国が締めつけようとすれば北朝鮮にとって命取りになるかもしれない。

──豊富な訪朝経験を基に、北朝鮮国民の本音も記されています。1990年代後半、「苦難の行軍」と呼ばれた経済難を生き抜いたエリートの1人の言葉は印象的です。

あの時代、「心がピュアな人たちはたくさん亡くなった」と10年ほど前に聞いたときは、これからの北朝鮮経済は、これまでと違った形で変わってくるのだろうなと感じた。社会主義の理想を掲げ、国家の力を信じていた人たちほど食糧が手に入らず死んでいったということだ。生き残るためには仕方がなかったとしても、生き残った人は当時亡くなった人たちと比べると「不純」な気持ちを持ったり、後ろめたい行動をしたといった思いがあるのだろう。

「苦難の行軍」時期である1995〜1996年ごろ、深刻な物不足に陥った。国家の配給も止まった。家長が家族を養えなくなり、妻や両親、子どもまで一家総出で買い出しをしなければ生きていけない時代を経験している。

国民に対するグレーゾーンが広がっている

──「最悪な状況を見てきたから」と、経済制裁を冷ややかに見ている北朝鮮国民も少なくはありません。

国家が生活に対して責任を負えず、今は家族総出で何とか食えるようになった。そこから、「われわれの生活に国家は口出しするな」という意識が国民に広がっている。それを受け、国家の干渉や関与を慎重に行う、あるいは国民の行動を黙認する動きもある。

国家は「こういう方向でやりましょう」という大枠を示すが、よほどの逸脱がなければ黙認するようになった。独裁国家ゆえに強権、弾圧というイメージは残るが、実際は国民に対するグレーゾーンが広がっている。その中で経済も動いており、「これぐらいやっても大丈夫か」という、いわば裁量が経済主体にも広がっている。

──「トンジュ」という新興富裕層が増え、経済を動かしている側面もあります。

前述したグレーゾーンぎりぎりで動いている人たちこそ、カネを稼ぐことができる。一方で、それができないまじめで融通の利かない人もいる。それはどこでも一緒だろう。うまく立ち回れれば豊かになれる。一方で北朝鮮社会は相互扶助が利いている社会でもある。一定の功績を認められた人や傷痍軍人、学校の先生など、個人的に商売や小遣い稼ぎができない人には、余裕がある人がカネやモノを支援するなどの美風が根強い。

政治から見ると極めて恐ろしい独裁国家に見えるが、その中であっても人々は人間としての生活を営んでいる。

将来的に日本と北朝鮮経済の距離は近い

──1970年代や1990年代初頭に盛んになった日朝貿易についても詳細に紹介しています。当時、北朝鮮側では「なぜ苦労して日本と付き合わなければならないのか」という不満があったとあります。


1970年代の日朝貿易は、貿易代金を北朝鮮が支払えず、信用取引ができなくなってダメになった。その後、外貨稼ぎで日本企業と取引していたとき、「品質や納期にうるさく、守らないとカネも支払ってくれない」との不満が北朝鮮側に広がった。それは、旧ソ連などの社会主義国は、1年ぐらい納期が遅れても目をつぶってくれるような関係だったからだ。

当時、日本や在日コリアンの商工業に携わっていた人たちが現地で委託加工などのビジネスを教え込んだ。経済制裁で先行きが不透明だが、委託加工はアパレルなど中国との取引で重要な外貨稼ぎ源となっている。

かつて北朝鮮と取引があった日本企業には、北朝鮮労働者の質を評価するところが多い。日本の工場とほぼ同じ品質ができてくるという。これは、中国の工場ではまったくできなかったようだ。日本企業との取引と比べると「中国企業とは楽勝。納期も品質もルーズ」だと言う。将来的に日本と北朝鮮経済の距離は近いといえる。