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ロータリー・エンジン搭載のシトロエンがある

世に広まった奇妙な技術というものがあれば、シトロエンが手を出すかもしれない。

1960年代後半、ロータリー・エンジンが新しく、刺激的な存在であったころ、このフランスの自動車会社は心底このエンジンにほれ込み、NSUとComotorという名の合弁企業まで設立した。

最初のモデルは1969年のM35だったが、アミ8をベースのこのクルマは267台のみが生産され、そのほとんどが買い戻されたうえでスクラップ送りとなった

M35の失敗にもかかわらず、写真のGSバイローターが1973年に発表された。より大きなDSと同等の価格にも関わらず、その燃費性能はDSを下回るものであった。なお、1973年はオイル・ショックにより一夜にして石油の価格が高騰するなど、タイミングも悪かった。

このモデルは847台が生産されたが、シトロエンは交換部品を作らなくても済むよう、廃棄処分とするために再び車両を買い戻そうとした。しかし、今でも何台か生き残りがいる。

ロールス・ロイスのマスコット、はじめは「成金」対策だった

これまで裕福なひとびとだけが新車のロールス・ロイスを購入する事ができたが、中には金はあるが常識のない人間もいる。創業当時、ロールス・ロイスには相応しくないと思われる装飾を施されることがしばしば起こったため、彼らはラジエーター上に設置する正式なマスコットを創る事にした。

彫刻家のチャーリー・サイクスはエレノア・ソーントンをモデルとして選んだが、彼女はモンタギュー公爵の愛人であり、そもそもこの仕事は公爵からの依頼であった。

マスコットは1911年にオプションとして導入され、1920年代までには標準仕様となった。このマスコットは知的財産権、実際には全ての所有権のはじまりであり、1988年にBMWがロールス・ロイスの車両製造権を取得した際に併せてこの権利も得た。

BMWはこの名前とエンブレム、そしてトレードマークのグリルのサブライセンス権を、航空機及び船舶用エンジンサプライヤーであるロールス・ロイスPLCから取得するため、£4,000万(当時のレートで$6,400万)を支払った。クルーにあったかつてのロールス・ロイスの工場はフォルクスワーゲンのものとなり、現在ではベントレーのみを生産している。

自動車雑誌の歴史上、もっとも手の込んだエイプリルフールのジョークは?

1987年4月1日、われわれAUTOCARは自動車雑誌の歴史上、最も手の込んだであろうエイプリルフールのジョークを発表した。

3ページにわたる特集記事で、1年前に開通したばかりのロンドン環状高速であるM25の195kmを、当時最新の三菱製コンセプトカー MP-90Xで全開運転を行い、1時間で周回するという試みだ。

後日談もある。

われわれは最新のハイテク車両はそのデザインと構造により、警察のスピードガンにも補足されないと主張した。2週間後、読者からの投稿ページで確認したところによれば、完全にジョークだと理解してくれた読者と、完全に信じ込んだ読者がいる事がわかった。

ジープ・チェロキーには、あまりにも不人気すぎてお蔵入りになったオプションがある

ジープは北米以外ではチェロキーとして知られた初代リバティにディーラー・オプションとしてウッドパネルを設定することで、その復活を試みた。

ワゴニア・パッケージにはフロント・フェンダー、ドアとリア・クオターパネルが含まれ、ワゴニアのエンブレムが両サイドに追加された。

このオプションはジープが期待したほどの人気を得る事はなく、彼らは模造のウッドパネルと共にリバティのネームプレートを自動車の歴史の殿堂へ送りケジメを付けることにした。

アストン マーティン本社には、アストン マーティンしか停められない駐車場がある

英国はゲイドンにあるアストン マーティンの本社を訪ねれば、だれでも優先駐車スペースにクルマを停める事ができる。罠かも? アストン マーティンを駐車すれば良いのだ。

サーブは直3をふたつくっつけ、直6エンジンを造ったことがある

1959年、究極のラリーカー開発を命じられたサーブのエンジニアは2基の3気筒エンジンをつなぎ合わせることで、直列6気筒エンジンを開発した。

横置き6気筒エンジンの排気量は約1.5ℓであり、3段マニュアルギアボックスを介して、140psを前輪へと伝達した。

スウェーデン語でモンスターを意味するモンストレットと名付けられたプロトタイプは、立案者がこのような風変わりなクルマはほとんどのレースシリーズで禁止されている事に気付くまで、その未来は約束されていたのだ。

ポルシェ・エンジンを積んだVW製セダンがある

初代パナメーラが発売されるずいぶん前に、ポルシェ設計のエンジンを積んだ4ドア・セダンが存在した。

1963年、フォルクスワーゲンはシボレー・コルベアに対抗するため、大排気量のエンジンをリアに積んだEA 128というプロトタイプを製作した。

このクルマには後に911に積まれることになる2.0ℓ水平対向エンジンが搭載され、ステアリングとブレーキはポルシェの車両から移植された。

北米でのフォルクスワーゲンンの存在感を高めるべく、ビートルの上級モデルとして計画されたが、コンセプトモデルから生産に移されることはついになかった。

リアエンジン・レイアウトを避難し続け、主張を退けられた社会運動家がいる

コルベアについて話をしよう。社会運動家のラルフ・ネーダーは1960年代を通じてコルベアをこき下ろした。そのリアエンジン・レイアウトを非難し、クルマの形をした死の罠だとまで言い放った。

彼の要求により、米国政府は1960〜1963年モデルのコルベアに対して2年間の継続評価を行い、ハンドリングに焦点を定めた。

1972年、米国運輸省道路交通安全局はシボレーの初期のリア・エンジンモデルは、同社のフロント・エンジンモデルと同等程度安全だという結論に達して、ネーダーの主張を退けた。

プジョーは胡椒を作り、販売している

プジョーは継続して運営されている会社としては最も古い自動車メーカーだと主張する事ができる。彼らの歴史は1842年に始まった。

最初の製品? ペッパーミルである。プジョー・ブランドのペッパーミルは今日まで作り続けられている。

メルセデスとダイムラー、そしてジャガーの不思議な関係性

ドイツのダイムラーはメルセデス・ベンツの親会社であり、故に世界最大の自動車会社のひとつである。

では彼らはダイムラー・ブランドの車両も製造しているのだろうか? 答えはノーである。ダイムラー・ブランドの権利はジャガー・ランドローバーが保有しており、彼らはメルセデスの最大のライバルメーカーのひとつである上に、英国企業でもある。

1895年にその前身企業がダイムラー・ブランドを買い取ったあと、ジャガーがこのブランドを継続保有している。2007年、ジャガーはダイムラーが貿易会社、商標、または企業名としてこの名前を使用する事には合意したが、2007年以降ダイムラー・ブランドのクルマを製造していないにも関わらず、依然としてジャガーはブランドの車両製造権を持ち続けている。

一方、米国では法律上の理由により、2009年にジャガーはダイムラーの商標権を失った。

そして最後に…… スピードが命取り?

多くのひとがスピードと交通事故死亡者数の間には強い相関があるとお考えだろう。この考えに立てば、主要なアウトバーンでは長距離に渡って速度制限のないドイツは、世界で最も危険な道路を持つ国となるだろう。

しかし、そうではない。

2012年からの自動車専用道路/高速道路/アウトバーンの走行100万km当りの交通事故死亡者数を見てみると、ドイツは1.74人と、隣国フランスよりも若干多く、ベルギーよりは少なく、そして、米国の半分でしかないのだ。