国鉄時代、上野駅ホームに並ぶ寝台特急「ゆうづる」(筆者撮影)

上野駅15番ホームの入り口には「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」の石川啄木が詠んだ短歌のモニュメントがある。

「東北の玄関口」と長い間言われ続けてきた上野駅。この駅は故郷から上京してきた人たちにとって思い出多き駅である。とりわけ東北、北陸方面から夜行列車で到着した時の感慨はひとしおであり、薄暗い行き止まり式ホームを重い荷物を手に歩いた日は決して忘れることができないことであろう。

列車に残った雪に涙…

その昔、上野駅には東北方面からやってくる「集団就職列車」発着の専用ホームが設けられていた。今は廃止された18番ホームがそうであった。

かつて夜行列車の取材で上野近辺の駅前旅館に泊まり込んだ時、駅前の大衆酒場で「古い電気機関車に牽(ひ)かれた普通列車や急行列車は、冬になると客車の車輪や車体に雪をつけてホームに入ってきた。その雪をそっとなでたら涙が止まらなかった……」と夢半ばにして集団就職の職場から離れた初老の男性から聞いたことがある。


東北や北陸へ向かう在来線特急・急行の利用者でにぎわった国鉄時代の上野駅ホーム(筆者撮影)

昭和30年代、高度成長期のさなかに「金の卵」と言われた、中学・高校を卒業したばかりの少年少女が集団就職列車に乗って上野駅に到着したときの思いは、同世代の筆者には大いに共感することができる。

その集団就職列車の少年の心情を唄ったのが「ああ上野駅」(作詞:関口義明、作曲:荒井英一、歌:井沢八郎)で「どこかに故郷の香をのせて……」は今も懐メロ演歌として歌い継がれ、その歌碑は駅の不忍口のガード下に残っているが、足を止める人は少ない。

時代とともに18番ホームは常磐線へのホームへと変わり、寝台特急「ゆうづる」がここから発車していった。そして、今はそのホームも「ゆうづる」も消えてしまった。


1932(昭和7)年に建てられた上野駅舎(筆者撮影)

北の玄関口、上野駅の現駅舎は関東大震災で焼失した初代駅に継いで1932(昭和7)年に建てられた2代目駅舎で、正面入り口には車寄せとホールがあり、それを囲むように回廊が設けられた昭和初期の「大時代的」建築様式を誇っている。1934(昭和9)年建築の小樽駅や、1937(昭和12)年に完成した大連駅(中国)も、上野駅を参考にして建てられた。


地平ホームに到着した仙台からの急行列車「新星」(筆者撮影)

上野駅は東京のターミナル駅には珍しく、1階にあたる地平ホームは欧米のターミナル駅と同様、いわゆる「くし形」の行き止まりホームとなっている。国鉄時代にはこれらのホームから、特急「ひばり」「やまびこ」や、寝台列車「北陸」「ゆうづる」など、東北・北陸方面への長距離列車が主に発着し、2階部分のホームからは主に高崎、上越、常磐線への中・長距離列車が旅立って行った。

当時、上野駅を通り抜けるのは山手線、京浜東北線など一部で、ほとんどが上野始発の列車だった。

「終着駅」から通過駅へ

この「終着駅」上野の様相が変化し始めたのは、1982(昭和57)年の東北新幹線開業時であろう。当初は新幹線が大宮までの暫定開業で、上野―大宮間には新幹線利用者を運ぶための「新幹線リレー号」が連絡シャトル列車として運行していたが、1985(昭和60)年3月14日に新幹線の大宮―上野間が延伸開業した。


高架の2階ホームから発着していた特急「あさま」と「とき」。どちらも愛称は新幹線に引き継がれた(筆者撮影)

東北・上越新幹線の開業により、東北地方や新潟方面に向かう上野始発の特急「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「とき」などが姿を消し、一部の列車は新幹線の愛称名として引き継がれることになった。ちなみに在来線特急「やまびこ」は上野―盛岡間を7時間5分で結んでいたが、その愛称を引き継いだ東北新幹線「やまびこ」は、開業当初から最速2時間45分で両駅間を結び、大幅なスピードアップとなった。

だが、在来線の長距離特急・急行が多く廃止されたのは、上野駅の衰退の始まりでもあったように思う。新幹線の終着駅として「北の玄関口」としての体面は保ち続けたものの、1991(平成3)年に新幹線の上野―東京間が延伸開業すると、東北・上越新幹線の列車の多くが東京始発・終着になり、上野駅はほぼ全列車停車するものの、終着駅ではなく列車が通り抜ける「通過駅」になった。


試運転中の東北新幹線(仙台駅で取材許可を受け筆者撮影)

上野駅がかつての「終着駅」から通過駅へと変貌するうえで、さらに決定的な出来事となったのが2015(平成27)年3月14日の「上野東京ライン」開業である。上野―東京間にバイパス新線を敷くことによって、東北本線・高崎線、常磐線と東海道本線の相互直通運転を実現し、これまで日暮里や上野乗り換えで東京・品川方面へ向かっていた通勤・通学客には飛躍的な利便性をもたらした。

従来は全列車が上野駅発着だった、常磐線のフラッグシップである「スーパーひたち」などの特急は「ひたち」「ときわ」に愛称を改め、日中のほとんどの列車が品川始発になり、上野駅を経由して常磐線に向かっている。

今年10月14日に行われたダイヤ改正では「上野東京ライン」の常磐線直通列車が増発され、上野駅止まりの列車はさらに少なくなった。特急も、終日30分間隔で品川発着の列車が運行されるようになった。

13番ホームに見たかつての面影


上野駅に停車する豪華列車「TRAIN SUITE 四季島」(筆者撮影)

しかし、乗り入れによる利便性向上にはリスクも付きまとう。東海道本線で事故や大雨、強風によるトラブルが発生すると、直通する高崎線や宇都宮線にも影響が及び、全線でダイヤが乱れることになる。冬季の関東平野では、強風のため列車の運休や遅延も多く発生し、ダイヤの乱れはほぼ全線にわたって影響してくる。


地平ホームに到着した、EF57形電気機関車が牽引する客車列車(筆者撮影)

先日、久しぶりに上野駅の地上ホームを訪れた。ここが北の玄関口だったか……と思うほど、日中は閑散としていて、上野駅になじみ取材を数多く続けてきた筆者には特に感慨深いものがあった。特に「北斗星」「あけぼの」を最後に上野発着の夜行列車が全廃されたことには寂しさもひとしおで、思わず「上野発の夜行列車……」と口ずさんでしまったほどである。

そんな気持ちの中、13番ホームには豪華列車「TRAIN SUITE四季島」がその姿を横たえていて、少しは往年の上野駅の雰囲気を醸し出していた。このホームはかつて、青森方面へと向かう急行「津軽」「八甲田」、特急「あけぼの」などの名列車が発着した夜行列車の定番ホームだったのだ。