「みんなにも自分のエリアから外に一回、出てもらいたいんです。私自身、いまの夫から『太ってて何が悪いの?』と言われて。その言葉は、ずっと体形コンプレックスに悩んでいた私のなかでは斬新でした。みんなにも、そんな出会いがあってほしい。人間関係を断って、部屋で勉強していてもダメ。いまの自分のままで、どこかへ向かう勇気を持つことが大事なんです」
 
10月末、東北のある自治体主催のセミナーでこう語ったのは、恋愛カウンセラー・羽林由鶴さん(52)。自分に自信が持てず、うつむきがちだった20〜40代の男女の参加者たちは、彼女の力強い言葉に顔を上げ、うなずきながら聞き入っていた――。
 
羽林さんのHPのプロフィールにはこうある。《DV・離婚・体型コンプレックスを乗り越え、体重103kg、バツイチ子持ちでありながら、13歳年下の東大生と出会い、結婚》。羽林さん自身、外見コンプレックスに悩み、死をも考えた時代を越えてきた。
 
教育関係の出版社勤務を経て、恋愛カウンセラーとして独立して、すでに12年。著書も11冊を数え、最近では、恋愛のみならず、コンプレックス克服や生き方を見つめ直すセミナー、各種の会話術の講師として、全国の自治体からもお呼びがかかる。
 
振り返れば、30代の前半まで、羽林さんはずっと、体形コンプレックスに振り回される日々だった。
 
「子どものころの私は、口も達者で、何でもできる子。ただ、幼稚園の毎月の身体測定だけがすごく嫌で。そのころから体重にコンプレックスを感じていましたね」(羽林さん・以下同)
 
羽林さんは'65年9月、大宮市(現・さいたま市)生まれ。公務員の父('05年没・享年68)、専業主婦の母、5歳年下の弟の4人家族だった。出生時の体重は3000グラムに満たなかったが、そんな娘の成長を願ってか、父の口癖は「ご飯3杯食べよう」。素直な彼女はしっかり食べて、想定以上に大きく育った。
 
すると、父は羽林さんの体形をイジリだすように。食卓で、彼女がおかずに手を伸ばそうとすると、すかさず「そんなに食べて大丈夫か?」と言ったという。
 
「父にとっては、何げない言葉だったかもしれませんが、私はそのたびに傷ついて」
 
幼稚園の身体測定で、「いちばん大きいのは由鶴ちゃん」と、発表されるたびに傷つき、母親同士の会話でも「由鶴ちゃん、本当に大きいわね」と、必ず言われることに傷ついた。しかし、大好きだった父の言葉ほど、彼女の心をえぐるものはない。
 
「それが毎日、積み重なっていくんです。10代前半で、父から体形を『醜い』と言われたことがあって。その言葉がずっと忘れられなかった。父のことが嫌いになりました」
 
小6で体重が60キロを超え、中学卒業時には70キロ。高校時代は、単品ダイエットが成功し、一時は60キロまで減量できたが、リバウンドを繰り返し、大学卒業時には84キロになっていた。
 
親しい男性ができても、「太い」「丸い」と思われるのが怖くて、その先に進めない。いつしか「付き合うなら、私より体の大きな外国人」と、考えるようになっていった。教育系の出版社に入社してからは、女友達と米軍キャンプに出入りした。大柄なアメリカ人のなかにいるときだけ、体重のことを忘れられた。
 
自宅を出て一人暮らしを始めた24歳のとき、1歳年上のアジア系外国人の元夫と出会い、'91年6月に結婚。'94年には長男に恵まれたが、度重なる元夫のDVが原因で'01年に離婚。元夫とは「共依存」の関係にあった羽林さんは、「これからは自分で考えて生きよう」と強く決意。日常のなかでできる小さな意識改革を積み重ねていった結果、いつしか、あれほどこだわってきた体重のことが気にならなくなっていた。
 
'04年には、13歳年下の夫・サトルさん(39)再婚。現在は人気カウンセラーとして月の3分の1は、講演旅行で家を空ける多忙な日々を送っている。
 
「疲れ? 講演先の駅などに行って、『これ、夫に食べさせたい』などと考えながら歩いているうちに、パワーが充電されていますね」
 
家にいるときは、羽林さんが料理の腕をふるう。片づけはサトルさん。夫婦は、いまも新婚当初のように仲がいい。23歳になった長男は、すでに結婚して、家を出た。彼女にとって“目の上のたんこぶ”のような存在だった父は'05年、68歳で亡くなった。羽林さんの再婚から1年後のことだった。
 
「本当にあっけなかった。あの父ですから、『苦しい』と言っても、ふざけているのかと思ったくらいで。それほど父は、私にとって強い人で、急に弱るとは思えませんでした」
 
暴言、離婚……羽林さんの人生の節目節目で、よくも悪くも、娘のことを気にかけてくれた父。娘の壮絶な離婚を目の当たりにした両親は、サトルさんとの再婚にも猛反対した。
 
「母は彼に会いたくないと言いましたが、父は会ってくれて。彼には『キミの将来にいいことなんて何もないぞ』とか『親が泣くぞ』とか、散々なことを言ったんですが(笑)」
 
その父が急逝した後、病室からメモが出てきた。そこには《心配してましたが、サトル君と一緒に、家庭も仕事も頑張ってやってくれているようで安心してます》とあった。
 
「あっ、これが父の本心だったのかと思いました。遺書じゃなく、ふだんの気持ちをつづったものだから、余計に……。その父が、あっけなく逝って。『ああ、人って、急に死ぬんだ』と思いましたね。そのことを、また、父が教えてくれたといいますか……」
 
父への複雑な愛憎は、いまも彼女のなかに渦巻いている。
 
「父はいろんなことを、私に教えてくれた。その意味では『ありがとう』かな。ただ、父の気持ちを知ったいまでも、父が幼いころから私に言ってきた暴言を、愛情とも思わないし、許す気もない。相変わらず、クソジジイと思っています(笑)。人間って、家族ってそんなもの。それでいいと思う。私はいつも人間らしくありたいと思って生きています」