本日より公開となる坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』

写真拡大

坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が全国で公開されている。

足掛け5年、途中、彼の病の発覚という、思わぬハプニングで中断を余儀なくされながらも無事に完成にこぎ着け、今年9月のヴェネチア国際映画祭で披露されると満場の喝采を浴びた。

その内容は、彼の飽くなき音楽への探求とともに、東日本大震災の余波と彼自身の新境地がオーバーラップした、示唆(しさ)に富む旅路となっている。

インタビュー前編では「企画を承諾した理由」や「“YMO”全盛期時代」の話を聞いたが、この後編では「自然と音楽の話」、さらには「デヴィッド・ボウイ」についてまで話を伺った。

―今作では、北極に行って氷が解ける音を採音されたり、戸外で自然の音を録音されている姿も作品中に見受けられます。そういった自然の音への興味も、3.11後に大きくなっていったものでしょうか?

坂本 いえ、自然の音に興味を持ち始めたのは2000年ぐらいからですね。元々、90年代の初めに環境問題への関心を持つようになったので、その影響もあると思います。別に環境問題へのメッセージを僕が直接、自分の音楽に込めてアピールするような形にはしていませんけれど、やはり自然への関心が強くなった。それが2000年あたりから音楽にも自ずと出てきたのかな。

―9.11の後、ニューヨークの街から音楽が消えたという話が映画の中で語られていて、ご自身もしばらく作曲ができなくなったと仰っています。9.11から3.11、そして闘病といった一連のプロセスから、仕事においてどんな影響を与えられたと思いますか?

坂本 音楽への影響というのは、あまりシンプルに語れるものでもないです。ただ自分の中で考えるようになったのは、まあ9.11は人災ですけれども、地震や津波といった災害や病気は自然のプロセスで、自然の一部なのだということ。生や死や病気といったものはすべて自然に属するもので、自分もまた自然の一部なんだということを強く考えるようになりました。

だけど、僕がやっている音楽を作るという行為は自然の一部ではない、非ナチュラルなことです。自然は音楽を持たない。自然自体が音楽です。僕らが耳を澄ませば、自然には音楽がたくさんある。だから音楽を必要としない。ウマ、牛、蟻、彼らは音楽を作りません。

ホモ・サピエンスだけが音楽を作る。おそらく、我々が非ナチュラルだからなのだと思います。僕はナチュラルなプロセスをリスペクトしますが、僕自身の作曲家としての仕事は非ナチュラルなものだと自覚しています。

―非ナチュラルといえば、映画音楽の場合はまず他人からの注文ですから、もっと非ナチュラルなものですね。作曲の姿勢はご自身のアルバムを作る時とは全く異なりますか?

坂本 そうですね。映画音楽は監督の決まったイメージがあって、それに沿ってやって下さいと言われるわけです。自分の意思とは関係ない、他の人の意思やイメージや趣味に沿って作らなければならないので、それは本当に困ります(笑)。

―その上、締め切りもある(笑)。

坂本 ただ、そうやって無理矢理、自分を羽交い締めにすることによって、自分でも予期しなかったものが出てくる。外からの強制がないと、僕はそういう音楽を作らないと思うので。

例えば、『ラストエンペラー』のような音楽というのは、(ベルナルド・)ベルトルッチ監督という強圧的な人がいなければ僕は絶対作っていなかった。彼からは、西洋と中国の音楽を融合させたものを作ってほしいと言われました。でもそのおかげで、ああいう自分でも予期していなかったものが生まれるのはとても面白いことだし、それも一種のコラボレーションではありますね。

―それにしても映画でも語られている通り、2週間で45曲作ったというのは驚異的ですね。

坂本 クレイジーですよ(笑)。プロデューサーのジェレミー・トーマスから最初に電話があって、『今すぐ音楽がほしい』と言われた(笑)。何日もらえるかと聞いたら1週間と。さすがに不可能だと思ったから『2週間くれ』と頼みました。それでも不可能に近かったけれど、若かったからできたのだと思います(笑)。

―『戦場のメリークリスマス』で共演されたデヴィッド・ボウイが昨年1月に他界しました。あの撮影で思い出深いエピソードなどはありますか。

坂本 撮影では、彼はとても地に足のついた気さくな人でした。スーパースターのようなところが全くなく、それですごく仲よくなっていろいろな話をしたり、ひと晩ふたりだけでセッションをしたこともありました。

でもその後、映画がカンヌ国際映画祭に招待されて再会した時は、全く人が変わったかのようで。僕や大島(渚)監督、他の俳優たちに対して距離をとって、スーパースターのように振る舞ったので、ちょっとショックを受けました。

だから、どちらが本当のデヴィッドなのか僕にはわからないですが(笑)、とても複雑な人だったというのは確かだと思います。

―彼が亡くなったニュースを聞いた時はどのような影響を受けられましたか。

坂本 ショックでした。数ヵ月はダウンしていましたよ。彼のラストアルバム(『Black Star』)が大好きなんですけれど、とてもポジティブに感じました。死にゆくことを知っている人の音楽には思えなかった。

彼は最後のアルバムになると知っていて綿密にデザインしたと言う人がたくさんいますが、僕にはそう思えない。歌声がとてもポジティブだったから。彼はもっと生きて、もっと新しい音楽を作りたかったと思います。

だからこそ彼の死にとてもショックを受けて、何ヵ月も悲しかった。たとえ自分が同じ立場だったとしても、僕も同じようにポジティブに考えて行動すると思います。

* * *

脳裏に去来する様々な思いを語ってくれた坂本龍一。常に立ち止まることなく大胆に、しなやかに、真摯に探求を続けるその横顔は、音楽というジャンルをも超えて、現代に生きるひとりのアーティストとしての矜持(きょうじ)を感じさせた。

(取材・文/佐藤久理子 (c)2017 SKMTDOC,LLC)

■坂本龍一(さかもと・りゅういち)

1952年東京生まれ。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年『YMO』を結成。83年の散開後も多方面で活躍。映画『戦場のメリークリスマス』で英アカデミー賞、『ラストエンペラー』では米アカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞受賞。14年7月、中咽頭癌の罹患を発表したが、1年に渡る治療と療養を経て、音楽制作の現場に復帰。『東北ユースオーケストラ』の音楽監督として東日本大震災の被災三県出身の子どもたちと音楽活動も続けている。

○8年ぶりとなる最新オリジナルアルバム『async』が絶賛発売中。『async』の楽曲を気鋭のアーティストたちが再構築したリミックスアルバム『ASYNC−REMODELS』も12月13日発売。最新情報はオフィシャルサイトまで。

■『Ryuichi Sakamoto: CODA』は全国公開中。詳しい情報はオフィシャルサイトまで。