「意外かもしれませんが、祖父にも父にも『政治家になりなさい』と言われたことは、一度もないんです。政治家一家に生まれたんだなということは小学生の時分に気づいていましたが、それを“家業”だとは思わずにきました」
 
日に焼けた精悍なマスクに、笑顔を交えながらこう話すのは、中曽根康隆さん(35)。10月22日に投開票された衆議院議員選挙・比例北関東ブロックで自民党から出馬し、初当選した“新人”だ。そして中曽根康弘元総理大臣(99)を祖父に持ち、父・弘文さん(71)は外務大臣、文部大臣などを務めた現職参議院議員と“華麗なる一族”の“跡取り息子”である。
 
しかし中曽根家では、英才教育は「一切なかった」というから、ちょっと驚く。
 
「小学校中学年のころには、クラスメートから『総理の孫』と言われたり『中曽根総理を泣かそ〜ね』とかいう冗談を言われていました(笑)。そして大人びた友人には、祖父や父の当選の翌朝には『おめでとう!』と声をかけてもらったり。つねに“人に見られている家族”なんだということは、理解していました」(康隆さん・以下同)
 
幼少のころから「政治」が身近にある生活を送り、大学は慶應義塾大学法学部に入学。法律の勉強と同時に、体育会ゴルフ部での厳しい練習で鍛えられた4年間だった。コロンビア大学大学院進学でアメリカに渡り、国際関係学を学んだ後、JPモルガン証券に就職。その日々のなかで「政治の道に進みたい」と強く思うようになったという。
 
そして29歳のとき、父に「秘書にしてください」と願い出たという、その返答は?
 
 
「『ダメだ!』というものでした。あきらめきれず、手紙まで書いて思いを伝えたのですが、『まだまだ勉強が足りないし、この責任の重い仕事は、康隆には務まらない』と……」
 
そんなやりとりをしているうちに2年がたってしまった。康隆さんは「もう行動に出るしかない」との思いで、ある日突然、会社を辞めてしまったのだという。この決意に、とうとう父も「そこまで本気なら挑戦してみればいい。でも、大変だぞ」と語ったそう。その後、父の秘書として4年間、修業を積み、今回の出馬となったのだ。
 
内心、お父さんは継いでほしいと思っていたのでは? と問うと、「それはなかったのではないか」と前置きして、康隆さんは続ける。
 
「父は会社員生活を15年間した後、祖父が現職の首相だった’86年の衆参同時選挙で参議院議員に初当選しましたが、もともと政治家になるつもりはなかった。その初出馬のとき、4歳の私を抱えながら選挙戦を支えたのが母(真理子さん・61歳)です。『政治家の息子』の大変さと『政治家の妻』の苦労を、いちばん肌で感じてきたのが、父と母だったと思うんです」
 
母は母で、最愛の息子からの「出馬決意表明」に、こんな言葉をかけたのだという。
 
「決めた以上は、結果を出せるように頑張りなさい。1人では何もできないんだから、周囲のみなさんを大事に」
 
かくして「中曽根家三代目」は国会議員生活のスタートラインに立ったのだ――。