世の中で起こっていることを知ることは、意外と難しい。

 インターネットがここまで広がる前は、多くの人がそういう意識を共有していたように思う。新聞やテレビが情報収集のメインだった時代には、そういうマスコミが取り上げる大きな出来事についてしか知ることができず、世の中には自分の知らないことがたくさん存在する、と皆が思っていたのではないか、と勝手に想像する。

 現代は、インターネットのお陰で、誰でも情報を発信できるようになった。このことを指して、「以前より情報を手に入れやすくなった」と見ることは簡単だろう。しかし、僕は逆に、そういう時代だからこそ情報にたどり着きにくくなった、と感じる部分もある。

 僕たちは、インターネット上に存在する膨大な情報と向き合わなければならない。情報がいくら多くなろうが、僕たちが自分の内側に取り込むことができる情報の上限が引き上げられるわけではない。だから僕たちは、その膨大な情報から自分にとって必要だと思われる情報を取捨選択しなければならない。しかしそれは完全に個人の先入観によって行われる。何が必要で何が必要でないかを決めるのは自分だ。それはつまり、自分の価値観や主義主張と相容れない意見を積極的に排除できてしまう、ということでもある。

 それゆえに僕たちは、以前よりも格段に偏った情報の中で生きている、と考えることもできるのだ。

 エアポケットのごとく、多くの人にほとんど知られないままになっている現実というのが、世の中にはたくさん存在する。今回は、そんな現実を浮き彫りにする3冊を紹介しようと思う。

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恐るべき「裁判所の統制」

『裁判所の正体 法服を着た役人たち』(瀬木比呂志、清水潔著、新潮社)

瀬木比呂志「多くの場合には、やはり、無罪が多かったりすると、出世上、非常に不利になりやすい」

 あなたはこの発言を聞いて、どう感じるだろうか? 僕は怒りしか覚えない。しかし、これが現実なのだ。

『』(瀬木比呂志、清水潔著、新潮社)


 本書は、現在は学者である元エリート裁判官である瀬木比呂志氏と、僕が「文庫X」として売り出した『殺人犯はそこにいる』の著者である清水潔氏が、裁判所がどんな論理で成り立っている空間なのか、ということについて対談をした作品だ。瀬木氏には『絶望の裁判所』という著書があるが、本書『裁判所の正体』も、まさに裁判所というものに対して絶望しか感じさせないような内容だった。

 裁判など自分には関係ない、と感じる人も多いだろう。しかし、決してそんなことはない。自身が被告にならなかったとしても、裁判所の振る舞いは僕たちの生活に直結するのだ。

瀬木比呂志「そうすると、結局、日本では、本来は市民・国民の代理人として権力を監視すべき裁判所も、ジャーナリズムも、どっちも権力の一部になってしまっている傾向が強くないかということですね。大きなところほど、『権力チェック機構』じゃなくて『権力補完機構』的になってしまっている」

 僕たちは、心のどこかでこんな期待をしている――世の中で、何か議論が起こる。直接被害を受けるようなものではなくても、例えば原発の再稼働や夫婦別姓など、広く国民全体に関わるような議論もある。それらは、何らかの訴えがあれば最終的に裁判で決着を付けることになる。そして裁判所というのは、三権分立にのっとって、権力とは関係のない正しい判断をしてくれるはずだ――と。

 しかし、瀬木氏によれば、現実はそうではない。最高裁は、国家による「統治と支配」にかかわる部分には絶対にさわらないのだと言う。権力の意向に逆らうような判決は、裁判所全体の統制によってほとんど出てこないのが現状だ。もちろん、その統制から抜け出し、自らの良心に従った判決を出す裁判官もわずかながらいる。しかしそういう者は、いずれ何らかの形で報復を受けてしまう。

 結果的に、自分が被告として立つわけではない裁判の結果によって、僕たちの生活が間接的に、しかし極めて深刻に侵されている、ということになりかねないのだ。

瀬木比呂志「だから国連で、日本の刑事司法は『中世並み』と言われてしまった。そのとき、それを言われた日本の人権人道担当大使が『日本は刑事司法の分野で最も先進的な国の一つだ』と反論して、みんながクスクス笑う。で、『笑うな。シャラップ!』と返して、たちまち世界中に報道されちゃった(笑)。とくにマスメディアじゃなくて、インターネットで広がったんですね」

 僕たちは、こういう国に生きているのだ、とまずは自覚しなくてはいけないのだ。

 本書の対談相手である清水氏は、事件記者を長く続け、裁判を傍聴した経験もある。しかしそんな清水氏でも、初めて聞く話ばかりだったという。当然、一般の国民はまったく知らない事実ばかりだろう。この作品で描かれているのは、知らなくていいでは済まされない現実なのだ。

三十代を苦しめる「自己責任」の罠

『助けてと言えない 孤立する三十代』(NHKクローズアップ現代取材班著、文春文庫)

 2009年、北九州で衝撃的な事件が発生する。39歳の男性が、自らの窮状を周囲の誰にも伝えないまま餓死したのだ。その男性には親友もいたし、数カ月前まできちんと働いていた。人付き合いも良く、リーダーではなかったものの周囲からの人望も厚かったと周囲は語る。そんな人間が、何故「助けて」と言えないまま、所持金たった9円だけを残して餓死してしまったのか・・・

 NHK北九州放送局の取材班が抱いたそんな疑問から、やがてNHKの番組クローズアップ現代で大反響を呼び起こすことになる取材が始まった。

 彼らがたどり着いたのは、「自己責任」という言葉だった。

「いまの三十代は自分でなんとかしなければならない『自己責任』の風潮のなかで育ってきたといえる」

 この指摘は、僕も分かるような気がするのだ。

『』(NHKクローズアップ現代取材班著、文春文庫)


 僕は大学を中退している。その中退をきっかけに僕は、「頑張らなくてもいいや」と思えるようになった。そういう意味で僕にとって、大学を中退したことはとても意味のあることだった。今なら僕は、自分が何か困ったときに、周囲に助けを求めることができるような気がする。

 でも、もしあのまま大学を卒業し、就職活動をし、外からは順調に見えるだろう人生を歩んでいたとしたら・・・。僕も「自己責任」の罠から逃れられず、何か自分の生活が脅かされる事態に陥ったとしても、誰かに助けを求めることなどできなかったかもしれない。

「彼らが助けてと言わないのではなく、彼らに助けてと言わせない社会があるんじゃない? そのことを先に認めるべきだし、そして、彼ら自身も社会も言い続けている“自己責任論”についてだけど、社会は彼らを救済した後で“ここから頑張るのはおまえたち自身だ”と突き放せばいい。このままでは、いくら彼らが自己責任を果たそうとしても、果たせるスタートラインにさえも立てないのが、いまの世の中だ」

 ホームレスへの炊き出しボランティアをとりまとめるNPO「北九州ホームレス支援機構」(2014年に「抱樸」に改称)の奥田知志代表はそう語る。三十代のホームレスは、自分がホームレスと見られるのを極端に嫌う。支援の手を差し伸べようとしても、拒絶されてしまう。奥田氏の実感として、ホームレスに見えないホームレスが急増しているという。それは、統計の数字にはなかなか現れてこないものだ。

 本書を読めば、あなたはきっとこう感じるに違いない――自分の夫が、息子が、あるいは親友が、あなたに窮状を訴えないまま「隠れホームレス」として生活しているかもしれない――と。そんなことはない、とあなたは断言することができるだろうか?

明らかになった農作物のアキレス腱

『ハチはなぜ大量死したのか』(ローワン・ジェイコブセン著、文春文庫)

 あなたは、地球規模で起こっている「CCD」という現象をご存知だろうか? CCD(蜂群崩壊症候群、Colony Collapse Disorder)とは、原因不明のままミツバチが姿を消す、というものだ。

 これは、僕たちの生活に関係する話だろうか? もちろん関係する。大いに関係すると言ってもいい話なのだ。

『』(ローワン・ジェイコブセン著、文春文庫)


 2007年の春までに、北半球のミツバチの4分の1が消えたという。研究者は、複合的な原因によって発生していると考えているが、その原因はまだはっきりとしていない。本書が出版された時点(原著の発行は2008年)よりも現在では研究が進んでおり、原因らしき可能性が特定されつつあるようだが、確定しているわけではない。

 ミツバチがいなくなると、我々の生活にどんな問題が降り掛かってくるのか。ミツバチの不在は、農作物が育たない、という深刻な問題を引き起こすのだ。

 ミツバチ以外にも農作物の受粉をする生物はいるが、ミツバチは実に農作物の7割の受粉を担っていると言われている。ミツバチは人間にとってとても有用な生物であり、ミツバチなしでは花をつける農作物のほとんどが収穫できなくなってしまう、とも言われている。人間は、CCDという謎の現象に直面することで初めて、どれだけミツバチに依存してきたのかを認識するようになったのだ。

 農作物の収穫は僕らの生活に直結する問題だが、より大きな話で言えば生態系全体に関わる問題でもある。本書では、ミツバチが植物にとってどれだけ重要な存在であるのかが描かれていく。ただ農作物が収穫できなくなるというだけではなく、僕らが生きているこの地球全体に甚大な影響を及ぼす事態になっているのだ。

 地球温暖化などの環境破壊は常に人間の歴史とともにある。CCDも、原因は不明ながらある種の農薬が原因なのではないか、と目されているようだ。僕たちは、自然と共生する形でなければ生きていくことはできない。僕たち人間が、宿主である地球を破壊し尽くすがん細胞にならずに済むよう、僕たちは自分たちの振る舞いを改めなければならないのだと感じさせられる。
 

筆者:長江 貴士(さわや書店)