人妻が恋するのは、罪なのか。

裕福で安定した生活を手に入れ、良き夫に恵まれ、幸せな妻であるはずだった菜月。

結婚後に出会った彼は、運命の男か、それとも...?

恋に溺れた人妻・菜月のこれまでの一部始終を傍観してきた友人の美加が、知られざる胸の内を語る。




「ミカ。リップがとれてる。すぐに直して来なさい」

会議室に、イタリア人上司の冷たい声が響く。

これまで数々のラグジュアリーブランドを転々としながら昇進し続けている彼女は、40歳で二人の子持ちであるにも関わらず、1ミリの隙もなく仕事をこなす。

「すみません、すぐに戻ります」

―この忙しい中、しかもインターナルの会議で、口紅くらいいいじゃない...!

美加は本音をぐっと堪え、急いで会議室を出る。

フランス本社から社長一行が来日しているため、美加のオフィスは嵐のように荒れていた。

すでに飽和状態の仕事量は日に日に増え続け、体力と神経が絶え間なく削られていく。

外資系企業はどこも同じだろうが、ミスを犯したり、“使えない”と判断されれば簡単にクビになる。特に年末が近づくこの時期は、どの社員もピリピリした空気を発していた。

美加は睡眠不足で荒れてしまった唇に、真っ赤なマットの口紅を無理矢理に塗り直す。目の下には濃いクマが浮かんでいるが、しばらくは手の施しようがないだろう。

つい小さく溜息をついてしまうと、頭に自分とはまるで対照的な女の顔が浮かんだ。

疲れ一つ見えない、透き通るような真っ白な肌。口紅などなくとも薄ピンクに潤った唇。そして、異性同性問わず、見る者を妖しく惑わせるような黒目がちの瞳...。

仕事で荒れた独身女の心に、親友の菜月の存在は、もはや毒でしかなかった。


人妻の不倫に巻き込まれた、独身女の胸の内とは...?


この子は、私を馬鹿にしてるの?


世の中の女は、二種類に分かれると美加は思う。

男に守られる女と、そうでない女だ。

菜月は当然ながら前者であり、美加がそうでないことは、彼女の存在によってこれまで何度も痛感させられてきた。

外見のレベルや出自などを総合的に比べれば、おそらく同じ程度。むしろ華やかさや社交性においては美加の方がずっと長けているはずだが、対男性という点では、菜月には絶対に敵わなかった。

しかし美加は、少なくとも「あのとき」までは、菜月に対して妬み僻みという感情を抱くことはなかったと思う。

そもそも菜月本人は、生まれながらに男に可愛がられる素質を持つ女の余裕とでもいうのか、自己顕示欲も低ければ、他人に下手な対抗心や野心を抱くこともない、控えめな性格をしていた。

だから、男のいる場では常にその視線を根こそぎ菜月に持っていかれようとも、いつも美加の隣でニコニコと静かに微笑む彼女のことが単純に好きだったし、自慢の親友であったことに間違いない。

自分は自分、菜月は菜月として割り切っていたし、友人に敵対心を持つなんて、ダサい女のすることだと思っていた。




―私、達也くんが好きなの...―

しかし、あの菜月の一言によって、どこかピンと張りつめていた美加のプライドは一気に崩れてしまった。

―この子は、私を馬鹿にしてるの?―

まず美加の頭に浮かんだのは、こんな疑問だ。

夫に愛され、暇つぶしのようにヨガインストラクターなんて仕事をしながら、何不自由なくぬくぬくと暮らしている裕福な人妻。

そんな彼女が、独身で恋人もいない自分に向かって、全く悪びれもせずに「恋をした」などと切実に訴える光景が信じられなかった。

しかも菜月は、その恋を貫きたいからと、夫を捨てて愛人に乗り換えようとしている。

どちらも美加伝いで出会い、世間一般の独身女からすれば、喉から手が出るほど好条件の男たちだ。

もともと妙な色気のある彼女ではあるが、あのときの菜月は、恋する女独特のねっとりとしたオーラを放っていたのも、美加の神経をさらに刺激した。


嫉妬するような女に成り下がりたくない。美加の葛藤とは...?


世間知らずの人妻は、一度くらい痛い目を見ればいい


結婚間近に進展した恋人に愛想を尽かされた。仕事でトラブルを乗りこえるたび男勝りになり、恋愛においてどんどん不利な性格になっていく。そもそも、出会いの場に赴く時間を捻出するのも一苦労。

よくある話と笑われるだろうが、ラグジュアリーブランドの広報という憧れの職に就き、仕事を優先するあまり美加が犠牲にしたものは、紛れもなく“女の幸せ”だ。

だが、それも自分で選んだこと。

だからと言って専業主婦やアフター5を楽しむOLを馬鹿にしたり、彼女たちに嫉妬や敵意を向けるのはお門違いで、それこそレベルの低い女のすることだと思っていた。

―私もそろそろ、なっちゃんみたいに幸せな結婚がしたいー

だから、心に少しでも靄がかかりそうなとき、美加は敢えて、菜月は自分の憧れだと声高に言い続けてきた。

―なっちゃんは、私の自慢の親友なのー

それは決して嘘ではない。むしろ事実でなければ、自分は惨めな女に成り下がってしまうという危機感すらあった。

それなのに。

不倫に溺れ、我を失う菜月を目の当たりにしたとき、美加は激しい憎悪が心の中に渦巻くのをどうしても止めることができなかった。




夫婦の家に写真を送りつけたのは、美加である。

夫に守られることを当然のように受け入れ、それでもなお、感情に流されるまま他の男に寄りかかろうとする菜月が苦労を被り、一度くらい痛い目を見ればいいと思った。

彼女が身一つで温室から放り出され、世間の荒波に揉まれてくれたら、この女同士の酷な不平等さに一矢報いることができる。

さらに美加は、達也にも手を回していた。

一流の商社マンとはいえ、あんな裕福な主婦に今と同じ生活を与えることができるのか。達也と一緒になり生活レベルが下がれば、お互いに苦労するのは目に見えているし、誰も幸せになんかならない。

彼女のことを本気で思うなら、一刻も早く家に帰すのが賢明な判断だ。達也は菜月を幸せになんてできないし、世間知らずな彼女も、現実を全く分かっていないのだから...。

美加の言葉を達也は苦しげに聞いていたが、一番手応えがあったのは、菜月の夫が二人の写真を保持していると伝えたときだ。

「もしも訴えられて仕事に支障でも出たら、達也もなっちゃんも、本当に終わりだよ」



世の中には、男に守られる女と、そうでない女がいる。

そうでない女は、時に他者を攻撃することでしか自分を守れない。

美加は憐れな自分の最低な行いを、そう正当化することに努めた。

▶最終回:11月4日 21時更新予定
禁忌を侵した人妻の、その結末は...?!