なぜ"いじめられている人"を見て笑うのか

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「哲学」は人生の役に立つのか。東京大学の梶谷真司教授は「問いの立て方が重要だ」という。たとえば「なぜいじめはダメなのか」ではなく、「なぜいじめられている人を見て笑うのか」と問う。そこから始まる対話は哲学の条件を備えている。具体的な方法を解説していこう――。

■仕事、お金、婚活も「哲学」のテーマに

「なぜ働かなければいけないのか?」「どれだけお金があれば幸せか?」「どういう人と結婚したいか?」

哲学には、「小難しく」「変人がやっている」イメージがあるかもしれません。しかし、人生でぶつかるこのような素朴な問いも、「哲学」のテーマになりえます。

近年、「哲学対話」と呼ばれる活動の輪が広がりつつあります。哲学対話に哲学の専門的な知識は必要ありません。数人〜十数人が車座になり、互いに向き合って一緒に問い、語り合い、考えを深めていきます。対話のルールさえ守れば、4歳の子どもでも参加できます。これまで、学校やマンションのコミュニティ、農村での会合、地域の子育てサークル、婚活パーティとさまざまな場所で、哲学対話をおこなってきました。どの場所でも皆さん生き生きと頭をひねり、語り合っています。

ただの井戸端会議じゃないか、と思われるかもしれません。しかし、ソクラテスも孔子も、弟子や仲間たちと対話する中で思索を深めました。哲学対話は哲学の原点ともいえる試みです。

しかも、この哲学対話を導入することによって、学校のいじめが減り、職場の人間関係がよくなるなど、意外な効果が表れています。ディベートや討論と哲学対話は何が違うのでしょうか。そして、このような効果がなぜ表れているのでしょうか。

■「この仕事に意味はあるのか」

哲学とは「問い、考え、語ること」と、私はいつも説明しています。特に「問う」ことは哲学の肝です。哲学対話でも、まず参加者から問いを募り、何を問うべきか投票をおこないます。問いを決めるのに時間をかけるのは、何をどのように問うのかが、私たちが考えることを決めるといっても過言ではないからです。

私たちは、幼いころから問うことの難しい社会に生きています。授業中に質問したくても、進行の妨げになるからと先生に嫌がられます。実際、私が大学での講義中に、「質問はありませんか?」と募っても、ほぼ手が挙がりません。

社会人になっても同様です。会議中にわからない単語が出てきても気軽に聞けないでしょう。

そのわりに、「A+Bの解を求めろ」「プロジェクトを進めろ」と私たちは外部からの問いに頭を悩ませてばかりです。「この仕事に意味はあるのか」と思っても、その問いを自分も含めだれも受け止めてくれない。自分にとって重要な問いを問えずに生きてきたのです。

だからこそ、哲学対話では何を問うのかを大切にします。たとえば、ある中学校のクラスでは「いじめとは何か」がテーマになりました。生徒たちのあいだでいじめが起きていたら、当事者にとって非常につらい時間になる可能性があるでしょう。でも、生徒にとってそれは問うべきことだったのです。

■なぜ"いじめられている人"を見て笑うのか

対話をしているうちに「なぜいじめられている人を見て笑うのか」という問いが出てきて、結局「みんな面白いから笑っているわけではない」ということがわかったのです。ほかの人が笑ってるのに合わせていただけで、本当はよくないってみんな思っていたんだと。その日以来、教室からはいじめを笑う声がなくなっていき、「そういうことするのやめなよ」という人が出てきました。そのうち自然といじめはなくなっていったそうです。

「なぜいじめられている人を見て笑うのか」は生徒しか思いつかない問いでしょう。だからこそ、このような効果が出たと私は考えています。教師の側から「なぜいじめはダメなのか」という問いで話し合いをさせていたら、これほどうまくはいかなかったでしょう。

学校での哲学対話では、「なぜ部活の先輩に敬語をつかう必要があるのか?」という疑問があがります。自分よりスポーツが下手で、人間的に尊敬できない先輩がいたとき、学年が違うだけでなぜ敬わないといけないのか。社会人なら「なぜ無能な上司のいうことに従う必要があるのか」と置き換えることができるでしょう。

愚痴のレベルなら、「あんな上司のいうことを聞いてられるか!」「あんなやつ嫌いだ!」の一言で終わってしまうかもしれません。一方、哲学対話では「わからないこと」を増やすことが重要です。わからないことが増えることは、多様な視点から考えを深めることにつながっていきます。

■「わからないことが増えてよかったですね」

「有能な上司だったらいうことを聞くのはなぜか?」「人格的には素晴らしいけど仕事のできない上司の場合は?」「自分はそもそもどういう人なら敬意を示したくなるのか?」

――そうやって問いを増やしていくと、個人的な問いが、だんだんと普遍的なものへと変わっていきます。そのうち、自分が大切に思っていることや、本当に不満に思っていることに気がつく。これから向き合うべき問いが見つかることもありますし、当初の上司の問題がどうでもよくなることだってあるかもしれません。

悩んでストレスを感じているときは、たいてい、同じ問いが頭の中をぐるぐる回っているだけで、そこから抜け出せなくなっているのだと思います。ストレスを感じたら、いま自分は同じことばかり考えていないか振り返ってみましょう。そして、問いを増やせないか? と発想を転換してみてください。わからないことは増えるかもしれませんが、意外とすっきりするはずです。

哲学対話では、立場の違う他人と話すことによって、問いが自然と増えていく効果があります。私は対話が終わったあとに、「皆さん、わからないことが増えてよかったですね」と声をかけています。

■「他愛のないこと」を話し合おう

哲学対話をビジネスの現場に利用した例もあります。ある部長は、部署のミーティングに哲学対話を取り入れました。なかでも一番盛り上がったテーマは「好きなご飯のおとも」だったそうです。

職場ではこのような他愛のないことについて話し合ってみるのもおすすめです。梅干しが好物な人と、明太子が大好きな人に優劣はありませんから、皆、気負わずに話せるようになります。それに、好きなご飯のおともについて真剣に話し合う経験はほとんどの人にありません。部下たちは目を輝かせて対話を楽しんだそうです。

哲学対話の効果はてきめんでした。対話がきっかけで、社員同士が仕事以外のことでも普段から話をするようになり、職場の風通しがよくなった。話し合うことに慣れたため、会議でも積極的に発言する人が増え、アイデアが飛び交うようになったそうです。

部長から見ても、定期的に部下を呼んで面接をするより、哲学対話をすることではるかに部下の人となりがわかるようになりました。

最近では忙しくて哲学対話を中止にしようとすると、部下が許してくれないようです。いまや多くの社員が哲学対話の日を心待ちにしているといいます。

哲学対話はディベートや討論と違い、次の7つのルールに基づいておこないます。1つ1つは些細に見えますが、「問い、考え、語る」場をつくるための秘訣がつまっているので、詳しく説明しておきましょう。

(1)何をいってもいい

これが一番の鉄則です。何をいってもいい場をつくるために、残りの項目があるといっても過言ではありません。私たちは日ごろ、あの人に悪いから反対しないでおこうとか、空気の読めない人間だと思われたくないとか、さまざまな気遣いをしています。「何をいってもいい」場であることを確認することで、ここではそうした配慮をしなくていいと安心感を得ることができます。

(2)人を否定したり茶化したりしない

仲がよくて何でもいえるようでも、何かいって「それは違うよ」とか、「バカじゃないの?」といわれれば、発言を躊躇するようになるでしょう。あるいは、わざと注目を浴びるように、ふざけたことや過激なことをいう人もいます。いずれにせよ、それでは「何をいってもいい」とはいえません。

(3)発言せず、ただ聞いているだけでもいい

話さない自由があってはじめて、何でも話す自由が保証されます。その場しのぎのことをいうくらいなら、しゃべらないほうがまし。何もいわなくていいからこそ、何をいってもいいことが守られるのです。不思議なことに、ずっと発言していた人よりも、聞き続けていた人のほうが、終わったあとにいい感想をいうことも多いのです。

(4)お互いに問いかけることが大切

私たちは質問をすることにも、されることにも慣れていません。「どうして仕事が終わっていないんだ?」「なぜ宿題してないの?」と叱られているので、質問=責められること、と認識している人も多くいます。哲学対話が「どういうこと?」「なぜ?」「どうして?」と積極的に質問する場であることを確認し、安心してお互いに問いかけられるようにします。そうしてはじめて一緒に考えを深めていけるのです。

(5)知識ではなく、自分の経験に即して話す

知識を基準に話をすると、知識がある人だけが、発言権をもつことになります。すると、だれかが話し、だれかが聞くという一方通行の場になってしまいます。哲学対話では、知識があるように背伸びをし、卑屈になる必要はありません。自分の経験から話をすることで、年齢や性別にかかわらず、対等に話をすることができます。似た者同士よりも、多様性が高い哲学対話ほど、さまざまな経験に基づいた疑問や発言が出てくるので自然に面白くなり、対話が深まります。

(6)話がまとまらなくても、意見が変わってもいい

普通の会議では、話がまとまらなければ失敗だとみなされます。ですが、哲学対話は何かを決めるものではないので、話をまとめる必要はありません。決まったことをひっくり返そうとしてもかまいません。また、周囲の話を聞くうちに意見が変わったら、全く正反対のことをいってもいいのです。

(7)わからなくなってもいい

哲学対話をしていると、さまざまな問いが頭をかけめぐるので、「わからなくなりました」という人も多い。でも、それは哲学対話にとっては大成功です。哲学の問いは答えのないほうが普通であり、わからなくなることは、理解が深まった証拠でもあるからです。

進行役として私が気をつけているのは、この7つのポイントを丁寧に説明することです。時々、沈黙が生まれることもありますが、気にしません。静かに黙っている時間も大切です。

ちょっとしたコツは、「いい意見ですね」と私からあまりいわない。発言の目的が「いい意見をいう」ことになりかねません。知識を披露する人が出てきたら、「もう少し自分の体験から話してもらってもいいですか」と注意するなど、7つのポイントを守ってもらうことだけをお願いします。

ここまで読んで、「哲学対話なんかしなくても、何でも話せる飲み会をしたらいい」と思った方もいるかもしれません。ですが、飲み会の席が「無礼講」であったとしても、みんな上司の機嫌をとりますし、ましてや「生きることに意味があるか」なんていってしまったら、場の雰囲気は最悪です(笑)。みんな酔っぱらっているから何でもいっている気になっているだけ。同僚で集まって上司の悪口をいって盛り上がったとしても、本当はその上司を評価している人はいいたいことをいえていなかったりする。「何をいってもいい」場はほとんどないからこそ、哲学対話のように安心して「何をいってもいい」場を設けることに意味があるのです。

■偉大な哲学者の理論は万能ではない

冒頭で、「哲学」には「小難しく」「変人がやっている」イメージがあるといいました。これまでの「哲学」が、「存在とは何か?」のような一般的な問いをテーマにしていたことと、それを考える主役が専門家である哲学者だったことがその一因でしょう。

しかし、私たちが日ごろの生活でぶつかるのは、「上司が嫌」「お金がほしい」といった非常に個人的で、具体的な悩みです。自分の問題に向き合うとき、自分の問題の専門家はほかならぬ自分自身です。偉大な哲学者の理論は、手助けにはなっても、だれにでも当てはまる万能な解決策にはなりえません。人生では、哲学者の言葉ではなく、自分の言葉で自分の問いを立て、考える必要があります。

にもかかわらず、私たちにはこれまで、「何をいってもいい場」がなかったため、自由に物事を考えることができませんでした。自分自身の言葉で考えることをおろそかにして、人任せにしてきたともいえます。

哲学対話は、あなた自身の言葉で問いを立てることを大切にします。立場の違う他人と話し合うことで、あなたの考えは深くなっていきます。理路整然としたものではない、荒々しいものかもしれません。でも、自分の問いを自分の言葉で考え語れれば、それがあなた自身の「哲学」なのです。

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「問い、考え、語る」対話に必要なルールは7つだけ
(1)何をいってもいい
空気を読んでいわないという気遣いは不要
(2)人を否定したり茶化したりしない
発言が恥ずかしくなったり、わざと注目を浴びるために発言することを防ぐ
(3)発言せず、ただ聞いているだけでもいい
話さない自由があってはじめて、何でも話す自由がある
(4)お互いに問いかけることが大切
積極的に質問する場であることを確認し、お互い安心して問いかけられるように
(5)知識ではなく、自分の経験に即して話す
経験に優劣なし。だれでも対等に話ができる
(6)話がまとまらなくても、意見が変わってもいい
何かを決める場ではないので、問題なし
(7)わからなくなってもいい
わからなくなったのは、理解が深まった証拠

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梶谷真司(かじたに・しんじ)
東京大学大学院総合文化研究科 共生のための国際哲学研究センター センター長。1966年、愛知県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は哲学、比較文化、医学史。著書に『シュミッツ現象学の根本問題──身体と感情からの思索』などがある。
 

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(東京大学大学院総合文化研究科教授 梶谷 真司 構成=山本ぽてと 撮影=尾関裕士)