様々な働き方が問われる現代。女性の場合、結婚、出産というライフイベントによってキャリアを棒に振ることがない働き方に、注目が集まっています。なかでも若い女性向けの起業セミナーは、どこも盛況を迎えているとか。

希望に満ち溢れ、起業する女性たち。そこには成功が待っているのでしょうか、それとも挫折が?今回登場するのは、都内で完全個室のプライベートサロンを経営している裕子(仮名・34歳)さん。

ケアが行き届いた艶のある白い肌と、綺麗な黒髪をひとつにまとめた姿は、アジアンビューティーという言葉が似合いそうです。太目のアイラインが引かれた目元と、オレンジレッドのグロスが塗られた口元からは、意思が強そうな印象を受けました。会話の間も言葉に迷うことなく、笑顔を見せながらはきはきと語る姿は、頭の回転の良さを感じます。

彼女は、完全個室で行なう小顔矯正をメインとした美容鍼のサロンを経営しています。実家は千葉県松戸市で、両親が整体院を営んでいます。美容鍼のサロンも、最初は実家の分院という形でオープンしましたが、今は完全に別会社として経営しています。3年以内には都心にもう一店舗オープンするのを目標に、売り上げを伸ばすよう頑張っています。

裕子さんは背も高く、スタイルがよかったので学生時代から目立つ存在でした。自分で履歴書を編集部に送ったのがきっかけで、読者モデルとしてティーン雑誌に登場していました。雑誌では、ファッションページを飾るモデルというよりは、座談会のような企画ページ要員でしたが、誌面に登場できるだけで嬉しかったそう。地元から、都内にある女子高に通い、学園祭シーズンになると、有名男子校や大学に遊びに行き、人脈を増やしていました。ティーン誌の編集部からの「こういう子いない?」という依頼に、企画にあったタイプの友人を連れていくこともあったと言います。

大学ではマスコミ研究会に所属し、企業が開催する学生向けのイベントの手伝いや、複数の大学が参加できるパーティーイベントなども手がけました。その時のツテで、広告代理店やマスコミの人たちとも知り合い、異業種の人たちが集まるパーティーなどにも呼ばれる機会がありました。裕子さんが大学卒業に近づくにつれ、呼ばれている顔ぶれがどんどん変わっていくのがわかりました。VIPルームと呼ばれるような場所には、選ばれた綺麗な子たちしか入れないのを見て、自分は人数合わせのための要員だと認識します。

定期的に誌面に登場できるような読者モデルでもなかった彼女は、「なにか他と差別化できるものがないと、キラキラした業界では生き残れない」と感じます。大学3年になると、しだいに誌面に呼ばれる機会は減っていきます。「本当は、自分が雑誌に出たり、活躍がしたいけれど、綺麗な子たちが多すぎて無理だ……」。実家は古ぼけた整体院、今さら家業を継ぎたいとは思いません。

大学に入学したばかりの頃は、漠然とマスコミや、テレビ局、広告代理店など、華やかな業種に就職したいと思っていましたが、将来的にはなにか事業を決めて、独立をしようと考えるようになります。裕子さんは女子大生という特権を生かし、ファッションやコスメなどについてブログにエントリーし、アフィリエイトで収入を得ていました。なんでもないブログでも、「女子大生」「読モ」というブランド力があるため、それなりのPVがありました。しかし、アフィリエイトは年齢的に厳しくなっていくと考え、ECサイトの運営やノウハウを学べそうなwebコンテンツをプロデュースする企業に入社します。

自分の顔出しで美容業界にいくことを望んだが、現実的にできることは……!?

入社した企業では、美容に関するサプリや、美顔グッズなどが売れているのに着目します。それまで、見向きもされていなかった美容グッズでも、影響力のあるタレントやブロガーが紹介すると、売り上げが上がるのを見て、積極的に企業などに商品のタイアップなどのプロモーション活動を提案していきます。美容コンサルタントとして裕子さん自身が商品をweb上で紹介することもありましたが、注目されることもなく集客に結びつかなかったため、上司から「お前のルックスだと、美容で売るのは無理」と言われてしまいます。この経験をきっかけに、商品を必要としているターゲット層のリサーチ力が培われます。

それまでは、起業をするなら読者モデルや、イベントプロデュースで得た人脈が生かせそうな、女性向けのコンサルタントの仕事がいいなあと思っていましたが、同じような肩書きで活躍をしているブロガーなどが多い中、新規で顧客を開拓していくのは難しいと考えます。そこで、サービスを提供する業務形態で、女性のリピート率が高いものはないかと考え、趣味で通っていたエステやネイルサロンをいつか自分で経営したいと思うようになりました。

心の中で、「いつか起業をしたい」「エステサロンの経営とかいいかも」と考えながら、会社勤めを続けていました。しかし、入社して3年目になる時に、部署の異動を命じられます。それまでのプロデューサー業とは違い、カスタマーサポートを中心とした運用事業部への異動でした。カスタマーセンターの人員マネージメントや、問い合わせ対応が主な仕事でしたが、慣れない業務で体調に不調をきたします。

今でも、流行っているサロンにお客として施術を受けに行って、良いところはマネしている。

カスタマーセンターで働くのはもう嫌……後の起業のために、一番ベストな人生の選択を……!〜その2〜に続きます。