ビームス社長が「ナイキ」との思い出を語る(撮影:今井 康一)

10月27日の発売開始後すぐに10万部を突破し、早くも「2017年最高のビジネス書」との呼び声が上がっているナイキ創業者の自伝『SHOE DOG(シュードッグ)』。
まだ誰も知らなかったナイキに注目し、1977年からナイキ製品を取り扱い始めたビームスの社長の設楽洋氏に、ナイキとの出会いとその魅力、本書の感想を語ってもらった。

最初は売れなかったナイキ


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――ビームスでは、いつごろからナイキを取り扱っていたのですか?

そもそもビームスは1976年、「アメリカンライフショップ ビームス」という屋号でオープンしました。アメリカの若者のライフスタイルを日本人に提供する、というコンセプトがあったからです。

7畳ほどの小さなスペースに、UCLAの学生寮の部屋を再現しようとしました。パイン材のテーブル、スケートボード、Tシャツやジーンズ、そしてスニーカーなどを置いたんです。そこでナイキも販売しました。初めてナイキを置いたのは、オープンの翌年の1977年です。

ところが、ナイキはすぐには売れませんでした。当時の日本ではスニーカーといえばコンバースやケッズが有名でしたが、それさえもなかなか手に入らない。そんな中で、新興のナイキを知る人がい少なかったのは当然でしょう。まれに新しいもの好きやスニーカーマニアのお客様が珍しいからと買っていく。後に爆発的人気を博したエアでさえ、最初は売れなかったですから。

当時のナイキの商品のひとつにローラースケートのついたスニーカーがありました。私たちはそれを取り扱っていましたが、ぜんぜん売れない。次の商品が仕入れられないからと、私が自分で買ったほどです(笑)。


ローラースケートがついたナイキのスニーカー(撮影:今井 康一)

ちなみに、そのスニーカーはいまでも社長室に飾ってあります。数年前、当時のナイキ社長がビームスのショップに来訪したときに、このスニーカーを履いて出迎えました。この商品が現存していることに驚き、喜んでくれました。

――どうして知名度の低かったナイキに注目されたのですか?

ビームスがオープンする少し前、アメリカではベトナム戦争が終わり、若者の生活が変化した時期でした。それまで、ジャズやソウルなど「夜の世界」を感じさせるサウンドが流れていたのが、「ホテル・カリフォルニア」のような明るい「昼の世界」のサウンドがはやりはじめた。そして、青い空の下若者たちがスニーカーを履いてランニングやスケボーを楽しみ、サーフィンをするようになりました。

いわゆる“アメリカ西海岸のライフスタイル”です。それまではランニングなどは、アスリートやちょっと変わり者がやるものというイメージだった。それが、いつのまにかクールなものになって、ライフスタイルのひとつとして取り入れられるようになっていったんです。

「ニケ」を探しにアメリカへ


設楽 洋(したら よう) /ビームス、ビームス クリエイティブ代表取締役。1951年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、電通入社。プロモーションディレクター、イベントプロデューサーとして活躍し、広告電通SP賞、イベントプロデュース賞受賞。 1976年、父である設楽悦三の立ち上げた「BEAMS」設立に参加し、原宿にわずか6坪のショップ、「AMERICAN LIFE SHOP BEAMS」をオープンする。1993年に初の大型店、BEAMS TOKYO(ビームス東京)を渋谷にオープンする。2016年にBEAMS JAPANで毎日ファッション大賞特別賞、2017年には動画「TOKYO CULTURE STORY」でCLIO FASHION&BEAUTYシルバー、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド受賞(撮影:今井 康一)

ちょうど日本でも学生運動が終わり、そうしたライフスタイルを取り入れようとする空気が流れました。まだファッションでは、アイビーが主流だったころです。ビームスがオープンしたのと同じ年、『ポパイ』というファッション誌が創刊されました。

『ポパイ』を出版した平凡出版(現・マガジンハウス)に私の学生時代の友人だった小黒一三君がいて、彼から、「アメリカでニケというスニーカーがはやっている」という情報を聞きました。「じゃあ、ニケを探そう」とアメリカに買い付けに行ったのです。その後、ニケではなくナイキと発音することを知りました。当時はもちろんネットもない時代で、それほどに情報がなかったのです。

まだナイキと直接の取引ができなかったので、アメリカの小売店でまとめ買いをしていました。たくさん買うことで、値引きをしてもらって安く仕入れようとしたんです。でも、アメリカでもまだナイキはスポーツ選手が履くもので、一般向けに売っている店が少なかった。苦労して店を探し出して、大きなカバンにいろんなサイズのコルテッツなどのスニーカーを大量に入れて日本に持ち帰っていました。並行輸入のはしりですね。

時には税関で怪しまれることもありましたね。なんでこんなに靴を買っているんだ、って。「私たちはサッカーチームの関係者で、これはうちの選手が履くものだ」なんて言い訳したこともありました(笑)。

それが今では、ナイキは世界的なブランドとなり、当社も正規に取引をするようになりました。昨年にはBEAMS創業40周年記念として、「NIKE AIR PRESTO」というコラボシューズも発売しました。当時と比較すると、非常に感慨深いものがあります。

思い返してみれば、もしかしたら日本に初めてナイキを持ち込んだのは当社かもしれません。フィル・ナイトは、アメリカでまったく知られていなかった日本のオニツカを広めようとしましたが、私たちは逆で、日本でまったく知られていなかったアメリカのナイキを日本に広めようとした。そういった意味では、日本でナイキがストリートカジュアルとして定着したことに、私たちもわずかばかりでも貢献したのではないかと思っています。

経営者の苦悩がありありと伝わってくる

――ナイキとビームスの社会的な役割が同じで、近い存在ということですね。

私は小説やドキュメンタリーはよく読みますが、じつは経営書はあまり読まないんです。なぜなら、その著者の考えに影響を受けてしまいますから。経営書は目次だけを見て、「この論点を私ならどうするか」という視点で考えます。でも、『シュードッグ』は経営書でありながら、ドキュメンタリーの要素が大きくて、夜中に睡眠時間を削ってまで読破しました。それほど面白い内容でした。


社長室にいた、古いナイキのシューズで作られた「シュードッグ」(撮影:今井 康一)

もちろん、こうした業界にいるのでナイキの歴史についてはだいたい知っていました。ナイキがブルーリボン社からナイキになったのが、ちょうどビームスがオープンした1976年だということも知ってはいましたが、その時のフィルの深い感情を本書で読むと、興味深いものがありましたね。特に、フィルが抱いていたリアルな悩みには、同じ経営者としてとても共感しました。

たとえば、フィルもブルーリボン社が成長していくごとに資金繰りに苦労し、会社を立ち上げても数年間は副業でおカネを稼いでいました。ビームスも当初は、おカネがないから、売れたら仕入れての繰り返し。売り上げは伸びているのに、いつも会社には現金がない。

じつは私も会社を経営しながら7年間、電通に勤めていました。ビームスからは、給料がとれなかったからです。そんな生活をしていましたから、フィルの会社のトップとしての葛藤は非常によくわかりました。

株式上場という点でもフィルの葛藤が描かれていました。上場して一般株主が入ってくると自分たちがやりたいことができないんじゃないかと不安を感じ、何年もフィルは悩んでいます。結局、ナイキは上場を果たしましたが。私自身も同じように悩んで、現在は自分がトップにいる間は上場しないという結論に至っています。

――経営トップとして、共感するところが多いと。

ビームスもナイキと同じように、トップが信頼する社員に仕事を任せていますし、しかもいろいろなタイプの社員がいてそれぞれの個性が強いというところがあります。トップが言ったことに対して社員は言いなりになるのではなく、反対意見も言うという社風も似ています。


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私も社員から「社長、それはだめです」と言われることがあります(笑)。私は、ビームスを動物園みたいな会社だと言うことがよくあります。社員のさまざまなキャラクターに合わせて仕事を任せながら、だんだんと会社が成長していった。そこがナイキと非常に近いと思いますね。

また、ナイキは、靴の専門家ではなく、陸上競技に打ち込んでいた人たちが始めた会社です。自らもスニーカーを履いてスポーツをし、その経験からクオリティを高めて、さらにスポーツ選手と組んで改良を重ねていきました。

そのリアルさと製品への自信、そして、それを世の中に広げる手段をしっかりと実行していったからこそ、ナイキが成長したのだと私は思っています。私たちも、スタッフ自らが使い込んでみて本当によいものだけを世の中に提案することで、会社が成長していきました。

百貨店が全盛の時代に、私たちは「十貨店」を目指そうと意気込んでいたのです。

努力は夢中に勝てない

――働き方という点で、参考になる点はありましたか?

この本で強く感じたのが“努力は夢中に勝てない”ということ。これは私が社員によく言っている言葉です。フィルも社員も夢中になって仕事をしている。バットフェイスと称する最高経営会議でも、時間も忘れて熱のこもった議論をしたり、あるいは喧嘩(けんか)をしたりする。仕事が好きで好きでたまらないのでしょうね。

仕事を英語でいうと、レイバー、ワーク、プレーがあります。私が思うに、レイバーは、嫌だと思っていても残業してでもこなさないといけない仕事、ワークは普通の仕事、プレーはスポーツのように自らが好きで打ち込める仕事です。

私たちはよく、「仕事をプレーにしたい」と言っています。好きで好きでたまらないことなら、時間も忘れて打ち込むことができるんです。そうした集団であることを突き詰めていくことが、ビームス全体のこれからにもつながると思っています。