優勝を決め、表彰式の後に喜びを爆発させる室屋義秀。右隣が自動車レース「インディ500」で今年5月優勝を果たした佐藤琢磨(写真:Joerg Mitter / Red Bull Content Pool)

究極の3次元モータースポーツ「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ(以下エアレース)」。福島県在住のパイロット室屋義秀(むろやよしひで)が、最終戦の第8戦でポイントランキングトップとなり、2017年シーズンの世界チャンピオンに輝いた。世界最高の飛行技術でタイムを競うこの戦いで総合優勝の快挙を成し遂げたのはアジア人初となった。

エアレースは高速低空飛行と高精度な操縦が求められるモータースポーツだ。世界最高の飛行技術を持つレースパイロットたちが最高時速370km、最大重力加速度10G(地球の重力は1Gのため10倍に相当)という過酷なレース環境の中、世界各地を転戦している。レース専用機を使用し、1機ずつ高さ25メートルの空気で膨らませたパイロン(エアゲート)で構成する低空の空中コースを周回して飛行タイムを競う。2017年で10シーズン目を迎えた。

10月19日に開かれた凱旋記者会見の場で室屋は「操縦技術世界一という目標をずっと掲げてやってきました。うれしさをうまく言い表せませんが、皆さんの支援がトロフィーに変わっただけで、この先やることも変わらないです」と力強く語った。

パイロットを目指した原動力

室屋の原動力は「大空を自由に飛びたい」という思いだった。夢を思い描いた当初から「操縦技術世界一」という目標を掲げ、技術の向上を追求し続け約25年。エアレース参戦から6シーズン目で年間チャンピオンに輝いた。


10月19日に東京都渋谷区で行われた凱旋記者会見でトロフィーを掲げる室屋義秀(編集部撮影)

「世界一には届いたけど、技術的にはもっと求めるものがある。V2(連覇)をして絶対王者の技術を追求したい」(室屋)と、今後も己の限界に挑戦する。

世界チャンピオンの余韻に浸る間もなく、すでに来シーズンに向けて始動している。

操縦技術を高めることが課題と話す室屋は、これまでも厳しい練習を続けてきた。「操縦中は心拍数が160〜180まで上昇し最大10Gの負荷もかかります。それに耐えられる筋力を得るためのトレーニングを日頃行っています。毎日のように身体作りをしつつ技術も高める感じですね」(室屋)。

日々の生活がレースに向けての調整であり、自分の限界を超えないよう制御することも重要だという。室屋が続ける。「空を飛ぶことには恐怖があっていい。恐怖は体が発するブレーキであって痛みを含めて人間の本能だからです。訓練の中で恐怖やブレーキの領域を広げ、ケガや事故が起きないよう、自分の中で余裕を持つためのトレーニングです」。


アメリカ・インディアナポリス戦での室屋義秀のフライト(写真:Chris Tedesco/Red Bull Content Pool)

そのたゆまぬトレーニングを積んできたことで、今シーズンは全8戦のうち4勝を成し遂げ、5戦で表彰台に立った。

優勝を決めた最終戦のアメリカ・インディアナポリス戦ではコースレコードとなる1分3秒026という驚異的なタイムも叩きだした。

昨シーズン第3戦、日本の千葉大会(千葉市美浜区)で初優勝を成し遂げてから、今シーズン総合優勝を達成するまで、チーム力も大幅に向上した。パイロットであるリーダーの室屋が目立つが、世界を転戦するチームの中では1ピースでしかない。チームは自発的に行動するメンバーばかりだ。

「リーダーは目標設定を正しいレベルで明確にする。とてつもなく遠い目標では達成するまでに疲れてしまうし、勝てない設定でいつもボロ負けでは続かない。そしてチームメンバーのモチベーションを的確に評価することもリーダーの務めです」(室屋)。

アスリートと経営者の二足のわらじ

室屋は、ストイックなアスリートという存在だけではない。実は起業家、経営者としての顔もあるのだ。航空運航と、イベントの企画をプロジェクト展開する航空マーケティングを手掛ける「パスファインダー」という企業を2000年に設立。室屋がゼロからたった1人でスタートした。

最初は会社の建物もなければ、飛行機すらもない。そもそも日本においてエアショーなどビジネスとして儲かる土壌もなかった。「スポンサーにもほとんど興味を持ってもらえませんでした。だったら自分でやるしかない。何も知らない中でスタートしました」(室屋)。

アスリートとしてのトレーニングをしつつも、ビジネスとして成立させるために企画や営業など手探りですべてを1人で担ってきた。どんな状況でもかかってきた電話は受けるようにするなど、24時間フル稼動な体勢でやってきたという。

経理や総務、社会保障、税制など会社経営をするための仕組みに加え、組織マネジメント理論、チームビルディング、さらには話し方などいろんな知識を本から得た。経営しながら事業を学び、不足していたパズルのピースが埋まってくると仕事が舞い込むようになったという。軌道に乗ったのは2007年ごろだった。

その後、2008年にエアレースのスーパーライセンスを取得、2009年にはアジア人初のエアレース参戦を果たす。そんな室屋に転機が訪れたのは2011年だ。東日本大震災や原発事故が発生し、室屋が拠点にしてきた福島市の「ふくしまスカイパーク」も被災した。自分自身がエアレースパイロットとしてキャリアを歩む中で、トレーニングを続けてきた福島は特別な場所だ。


室屋義秀(むろや よしひで)/エアロバティックス/レッドブル・エアレース・パイロット。1973年生まれ。福島の復興支援活動や子どもプロジェクトにも積極的に参画。福島県「ふくしまスポーツアンバサダー」。全国でエアショー活動を展開(撮影:佐久間秀実)

「福島の地で受けた恩を返すという思いがあるだけ」と室屋は使命感を持って話す。

「2011年は個人としても大会で結果が出せず、ぼろぼろでヘコみきっていました。一緒に盛り上げていきたい思いはあります。福島と一緒に歩んできた波に乗せてもらっているところがあるのかもしれません」(室屋)。

福島でレッドブル・エアレースを開催したいという考えもある。世界中に福島の映像が配信されると同時に10万人の集客が実現できる。福島に宿泊して食事をして人と触れ合ってもらえたら、福島の現状を知ってもらえるのではないか、と室屋は語る。自分ができることをしたいと福島への恩返しを考えているようだ。

【11月4日3時30分追記】記事初出時、この箇所に「ふくしまスカイパークにはドローンの研究施設もできている」との誤った記述があったため該当部分を削除しました。

「ビジョン2025」室屋選手の思い

会社の設立から17年。室屋は、何もないところから始めて現在は日本中で年間27カ所、週末にエアショーを開催する仕組みを作ってきた。2025年までの将来構想を示した「ビジョン2025」がいまは大きな目標としてある。

航空業界を大きくしていきたいという思いから、幅広い人に航空の世界を知ってもらうべくエアショーを各地で展開しているのだ。今後、10年かけて子どもたちが大きくなったときに、航空スポーツを含め航空産業に就職先を作り、職業として就いてもらうところの入り口を担いたいという。

「長いスパンで物事を見ていくとしたら、最低でも3年必要。テレビゲームみたいにすぐクリアできるわけがない。ちょっと時間はかかると思うけど、自分の能力と目標設定を正しく見ること。本気で進んでみること。大概はコミットしないで途中で妥協したほうが楽だから、妥協してしまうのではないでしょうか。

本気で進んでいれば、能力が足りない、目標設定がおかしい、本当にやりたいことではなかったということがわかってきますよ」(室屋)。自分自身、長いスパンをかけて目標を追い続けた結果、パイロットの頂点に上りつめた今がある。

――大空を自由に飛びたい。

このたった1つの強い思いこそが、時間や年齢という現実的な壁を超えて、自身やチームの夢を体現してみせたのだ。取材時、よく世界を制覇した選手に成功の秘訣を訪ねてみると、「思いのチカラ、自分は勝てると思うこと」と口をそろえて言う。今までのスポーツの歴史を見ると、1人の世界王者の出現が、後に続く大きな道となっている。今回、室屋義秀の快挙を見た子どもたちは、きっと自分たちもできると強い思いが刻み込まれるだろう。

(文中敬称略)

室屋選手のフライトの模様(Red Bull Air Race提供)